第16話 Silence is gold !!
カラベルが目を覚ましてから数日。特に依頼も無く、書類を片付ける雇い主を横目に紅茶と水を嗜む日々が続いていた。
「そういえば、帰って来るの遅いねぇ。エド」
ローラは呟いて、本日最後の書類を片付けた。
飴色のニスでコーティングされた重厚な机。
座り心地の確保と高さ調整が問題なくできる代わりにそこそこ値の張るキャラメル色の革張りワークチェアの上に胡坐をかくと、椅子にのった下半身だけを机から遠ざける。
回転脚がついたそれは軋みながら後退し、金髪の少女の額を机に押し付けた。
「エドが居ないと洗濯物と
「そう言われても困るんだがな」
「いいや言い続ける! アタシは家事仕事を八十年もの間押し付けられた地獄から生還したあの時! 二度と家事をしないと決めたのさ!」
「それほどのキャリアがあるならむしろ自分でやった方が早いだろうが」
「自分でやると疲れる! だからやりたくない!」
「子どもか!!」
雇い主にぎゃいぎゃい物申すのはカラスの羽のように黒い髪をした少年である。普段は
しかし、少年の姿は休暇と言うにはいささか不格好なものである。三角斤で口元を覆い、眼窩がある方に眼帯をし、はたき棒とバケツと雑巾のセットを片腕に上の階から降りてきたところだった。
何をしてきたのかというと、欄干を拭いてきたのだ。それだけ。
――休暇。
彼らの言う休暇は「命にかかわらない行動」全般を意味するのだが。
「だからといって一日十時間以上も屋敷内の雑用を押し付ける――これは『命にかかわらない行動』には含まれん! 普通に労働だ! 時間外労働をするからには労働に見合った賃金を寄越せ! 賃金を!」
「時給はしっかり固定で払っているじゃないか! 最低賃金割ってるけれども!」
「だから割ってるんだろうが! 良心があるのであれば法を守れ!」
「アタシ人間辞めてるから人が考えた法律なんて知らんねぇー!」
「いや、あんたらこそ俺に任せっぱなしで言い争ってんじゃねーよ!?」
赤毛を覆うように白いタオルを巻いた青年は、ゴーグルをかけたままこちらを振り向く。アクリルの向こうにある錆色にはここ数日で蓄積した疲労の色が伺えた。
金と黒の髪の毛は一瞬動きを止めて、それから別の部屋へ移動しようとする。脚立に登って天上の電球を掃除していたカラベルは流れるような動きで彼らの動線を塞いだ。
「……あっ、アタシは沢山あった資料に全部目を通して頭に叩き込んだから糖分が欲しいの! 冷蔵庫に一昨日貴方に買ってもらったドーナツが」
「砂糖ならそこの飴玉で事足りるっすよね?」
「私は
「あんたの性格上、それは毎晩欠かさずにしてることだよな?」
少年と少女は首根っこを掴まれて、それから事務所の中心に連れ戻される。青年は盛大な溜め息をついた。
「コルヴォ、ローラさん、どっちかはこの部屋に残ってくれ。俺が何を触って何をしでかすか分からない以上、見張りが絶対必要なんだ」
カラベルの目は至って真剣なものである。湖の一件があって以降、青年の身体に何が仕込まれているのか分からない以上は一人になるべきではない――青年は二人に監視される事に同意したし、契約を交わした二人にはその義務がある。が。
「……っ! そうはいいつつも本心では掃除の沼に引き摺り込む同士が欲しいのだろう!?」
「分かってるじゃねーかコルヴォ! 法と約束は都合が良いように使うのが正解なんだよ!」
「半月で随分と腹黒くなったな若者ぉ!?」
「おい、若者っつったなカラス頭。分かった。ローラさんは休んでいいんで、こいつの時給半分を俺に下さい」
金髪の少女は青年が笑顔で放った言葉に、同じような笑みを返す。
一考の間も無かった。
「――カラス君! 恩に着るよ!」
「勝手に着てくれるなあ!! ただでさえ割っている時給が半分だと!? 労働の対価としてどうなんだ!?」
「棲み家と職場の掃除ぐらい日ごろからやるようにしとけよ。普段エドさんにお願いしてた分の仕事を今俺らがやってるだけだろーが」
「……それは、確かに……」
ご
という訳で二人仲良く、本棚に積もった埃を取ったりしている内に本日の夜も更けていく。三日連続で掃除をしたからか、彼らがこの拠点に戻って来た時よりも少しだけ綺麗になっているような気すらした。
「うぉお! 凄いね壁が光ってる! 物理的に綺麗になった気がする!」
とは、先程まで上の階に逃げていた家主の言である。
地獄耳を気にしつつ必死に作業したかいがあった。
青年と少年はソファに突っ伏しながらそう回顧する。
「何が『必死に作業したかいがあった』だ。こちとら漏れなく全身筋肉痛だぞ馬鹿者……そもそも握力の制御には苦労するんだ……!」
「俺だって三日間ぶっ通しで働きゃあ疲れるわこんにゃろう……どういう訳かこの体にもスタミナ切れはあるみたいだからな……!」
「二人共しっかり寝ていないのが原因だと思うのは、アタシが常識的だからなのかな? あっでもそれはアタシのせいか。うんうん。今度エドにはお礼しなきゃだなぁー」
ローラは宣言通り砂糖をぶっこんだミルクティーを自分の側に置くと共に、白い陶器の平皿を二枚、二人の目の前に置く。
端が波打つように加工されたその中央部には、てのひら大の黄色いパンケーキ(何故か焼き目が白黒くっきりとした水玉)が二枚。その上で四角い十グラムバターが今にも溶けだそうとしていた。
青年と少年は顔を見合わせ、調子を合わせて怪訝な顔を少女へ向ける。
ローラは引きつった笑顔のまま、ナイフとフォークを皿に添えた。
「謎めいた顔をするんじゃないよ、夜食ぐらいアタシでも作れる。何。要らないなら全部アタシの胃の中に沈むけどぉー?」
「素直に頂くぜ」
「抵抗せず頂こうか」
「いつも以上に一言多いね君たち」
「焼き目が水玉なのが非常に気になるがな」
「右に同じ」
「つべこべ言わないの!」
スポンジ状の小麦粉焼きにナイフを入れて小分けにし、カラベルはそれを口に運ぶ。奥歯からがりごりと異音がするが、食べられない味ではなかった。
「そうだ、エドさんまだ帰ってきてないみたいなんだけど。ローラさんも見つけられない感じなのか?」
「……うん。キーワード検索にかからない感じ。アタシのテリトリーを出てるのかも知れないなぁ」
ローラは言って、こめかみのあたりをトントンと叩く。彼女が言うテリトリーの範囲をしっかり把握できていないカラベルだが、青年がコルヴォと出会ったあの村の位置まで含めるとなれば相当な範囲である筈だ。
聞いてみればここ数日、異形や神秘が発生する気配すら感じないのだという。
ローラは異音を立てながらパンケーキを頬張る二人を前に、空いていた席に腰を下ろす。
「ね、美味しい?」
「悪くはないと思うぞ。ラムネ菓子さえ入ってなければ店で売っていそうな出来だぜ」
「うんうん。美味しい
生地に混入したのが薬剤じゃなかっただけ平和だと判断しただけだ。
ごりぃ、と奥歯でラムネ(という名の栄養剤)を噛み潰したコルヴォは文句を言わずに食べ進める青年に、奇妙なものを見るかのような視線を向ける。
「……沈黙は金なり、とでも言うつもりか?」
「まさか。俺の身体には問題なさそうだからいいんだよ。女の子が手間暇かけて作ってくれたスイーツを残せるかってんだ」
「成程、私がモテない理由の一つか」
「性格じゃねぇの?」
「今の一言で銀になったぞ」
「俺は金も銀も要らねぇっての」
この行動が実際に
「――あれ?」
ローラが素っ頓狂な声を上げたのはその時である。
最期の一切れをカラベルは口に運ぼうとしていたが、その手を止める。
コルヴォはヤケクソになって残り一枚のそれを細切れにしたものを次々と口に投入する。もしゃもしゃ動く口腔内からはやはり柔らかいものを食んでいるとは思えない効果音が聞こえた。
「どうかしたのか?」
「エドをね。見つけたんだけど」
ローラは金色の髪をくるくると指で弄び。不安げに引っ張る。
滅多に動揺しない彼女の瞳が、僅かに揺れた。
「……どうした」
「……音が違う」
少女の呟きを耳にした青年は、そこでようやく異変に気が付いた。
人間の脳に繋ぐには高性能すぎるその耳に毎晩聞こえていた、周辺住民の談笑、テレビの音、水道の音のような生活音。加えて鳥の声も蝙蝠の声も聞こえない。
「そういや、ここら一帯の音も聞こえねぇな……」
「カーベル。一帯というと、街全体のことか?」
「ああ」
カラベルは最後の一切れを倍速で胃に叩き込むと、水を口に含んで喉を潤す。コルヴォも窓際の壁に貼り付いて外の様子を確認するが、直ぐに首を振った。
「人っ子一人見当たらないな。加えて何処の家にも灯りが点いていない」
「マジかよ」
「うーん、これはちょっと面倒な事になったかもね」
ローラは言って、少年と青年に指示を出すわけでもなく、しかし素早く身支度を整えていく。外に散歩へ行くようなワンピースは彼女の戦闘服。細い指には銀の爪、足元には銀踵のシューズ。
「異形狩り。アタシだけで行ってもいいんだけど、二人は来る?」
「私は無論、着いていくつもりだがな。青年の選択によるだろう」
コルヴォは残弾を確認し、ロンググローブを腕に嵌めながら答え、視線を流す。
カラベルは少しだけ考えて、赤茶の髪をまとめて立ち上がる。胸元に忍ばせた
それに、エドが外出した理由はカラベルが謎の人間に襲撃された事にある――青年にも責任の一端があるのだった。
コルヴォとローラは青年の様子に呆れたり、嬉しそうに顔を歪めたりした。カラベルは少女の三日月のような笑みを久しぶりに見た気がした。
「行動はダイヤモンドって奴だね!」
「掘り出し物がただの炭ではないことを祈ろうか」
「うーん。相手が炭素オンリーなら良く燃えてくれるんだろうけどなぁ」
思い思いに自身を鼓舞しながら、外へつながる扉へ手をかけるローラ。コルヴォとカラベルは壁に貼り付き、万が一の遭遇に備える。
ローラは暫くコロコロと笑っていたが、ふと、笑みを消す。
「それじゃあ、いくよ」
獣の如く鋭い瞳にはそぐわず酷く寂しげな顔をして、扉に手をかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます