第15話 FIFITH = Wyvern


 一方その頃、事務所向かいの茶葉屋さん。

 古今東西の水に煮出す飲み物を揃えている専門店だが、特に紅茶の目利きが素晴らしいことで有名な店主が切り盛りしている。


 店内には客が数人。黒いカラスの羽のような頭をした少年もその内の一人である。

 色とりどりの紅茶缶を手に取りながら、事務所に置いているものと同じ銘柄を探す。雇い主のローラの嗜好は半年に一度か、一年に一度のペースで変わるので、事務所にあまり顔を出すことのないコルヴォからすれば、帰る度に毎回新しい茶葉に嵌っているように見えている。


 ようやく見つけた茶葉缶は、赤い刺繍柄で桃色の、可愛らしいサイコロ型であった。コルヴォはそれを一つ手に取って、ついでに自分が気に入っている茶葉を探すことにした。


 コルヴォは主に事象後の後始末と処理を主に担当している異形殺しブレイカーである。


 守る者が居ない土地に赴き、産まれた異形がそれ以上流出するのを食い止める防波堤の役割だ。状況が悪化する前に現場へ突入する人間の同業者とは違い、異端である少年はそのようにして何十年も狩りを続けてきた。


 異形に堕ちた同僚を葬った事も数知れない。その多くが初対面で、その殆どが何かしらの信者であった。


 太陽に焦がれる者。星に運を任せる者。人に陶酔する者。過去の伝記に自らを投影する者。異端を神と崇める者。そして、大地を愛する者。


 何か、一つでもいい。


 護るべき対象が居る。ルーティンがあり、決まりという鎖を首に付けて生きている。そういう者達は確かに強い。が、その硬度の割にはあっけなく――脆い事がある。


(カラベル青年と行動するようになって、確実に無理をする回数が増えている。荷物持ちは助かるが、強敵と対峙するたびに血清を撃ちこんでいては、私の身体が保たん……)


 双頭の蛇の一件から、コルヴォは暫くの異形狩り禁止令が出されていた。立場的に上司であるローラからの命令なので従っていたが、カラベルのレントゲン写真を見てしまった今ではどうだろうか。


(あいつは確実に狙われている。だとしても、相手が人間の場合、私にできる事は数少ない)


 人間の相手は人間がするものである。異端であるコルヴォやローラが退魔士のような専門家から見逃して貰っている理由は、彼らが異形殺しブレイカーであり、人に危害を加えていないからなのだから。


(……警察、情報機関、保護組織……うむ、解剖される未来しか見えん)


 全身がサイボーグ(脳みそを除く)なんて、一種の人間にはロマンの塊である。あいるびーばーっぐとは言わされないだろうが、青年の脳から下を欲しがる輩は星の数ほど居ることだろう。


(護る対象、か。せめて野郎でなければ、素直にやる気を出せたのだが)


 レジに向かう途中、さらっと失礼な事が頭をよぎるが、コルヴォからすれば青年はまだまだ先のある若者である。新芽を目の前で摘まれてたまるか、と腰を上げる程には気に入っているらしかった。


「あら。いつもありがとうございます、コルヴォさん」

「ああ、ここの紅茶は外れないからね」

「ふふふ。世辞をいってもまけられないですよ?」


 そう言いながら紙袋に入れられた二缶の紅茶に合わせて、レジ係の女性は音も無くおまけを差し入れた。

 日々人でない生き物と対峙しているコルヴォには目で追える動きだが、敢えて指摘することは無い。


 本日のおまけは、紅茶によく合う焼き菓子の詰め合わせのようである。


「はい、どうぞ。貴方の今日が晴れやかなものでありますように」

「ありがとう。貴方の今日が実り多いものでありますように」


 浅い礼を返して、少年は店を後にする。


(さて、話は終わった頃だろうか)


 少年は細い石畳の通路から上を眺める。三階にあるカラベルの自室は、まだカーテンが閉まったままだった。


(まだか。随分と長話だな……)


 いや、青年は仮にも怪我人である。ベッドから降りるとは思えないし、ローラが部屋に居るのであれば日の光を入れないのも普通か。コルヴォはそう判断して、事務所のノブに手をかけた。







「はいっ! しっかりと一筆、頂いたんだよ!」

「――うん?」







 帰宅したコルヴォの目に入ったのは、入り口から少し離れた接待用の席で、すっかり元気になった青年が万年筆を持ち、何やら文字がつらつらと書かれている契約書にサインをし終えた光景だった。


 三枚の契約書に計四カ所、「Karabel」の筆記体が綴られている。


 全てに記入を終えた事を確認してインクの乾きを待つ青年は、手元の万年筆の蓋を閉めたところで、玄関で紙袋とはめ込んでいた義眼を取り落とした義眼の少年の存在に気付いた。


「おっ、帰って来たのかコルヴォ」

「これは一体何の騒ぎだ」

「騒いでなんか居ないよ? 考え過ぎじゃあないかいカラス君!」

「人の話を聞け。せめてこちらの心中を理解しようと努力しろ!」


 床に落ちた義眼を拾って、虚空になった眼窩を青年に向ける。この半月ですっかり慣れてしまったのか、この威圧も効果がない様である。


 カラベルは少年の顔を一瞥して、それから水を口に含む。


「俺、怪物殺しブレイカーになるぜ。これで晴れて同僚だなぁ! コルヴォ!」

「な……ちょっ……はあああああああああああああああぁ!?」


 一度は拾った紅茶缶を机の上に叩き付け(結果として缶の角が凹んだ)、陶器製の義眼を片手で粉砕するコルヴォ!!


「なっ、なんでそうなった!? 私が苦心しながら紅茶を探す間に一体何を話したというんだ貴様ら!!」

「紅茶選ぶのに苦心してたのか? こだわり強いんだなコルヴォは」

「あはは! カラス君は茶葉の香り一つでメンタルの調子が変わるぐらいデリケートなんだよっ!」

「んな訳あるか! っちっくしょう一瞬でも心配した私の時間を返せ!」

「心配してくれてたのか!?」

「するわ! ただでさえローラと二人放置してまた変な仕事受けて倒れられても非常に困るっ! ――いいか! くれぐれも私の仕事を増やす事だけはしてくれるなよ若者ぉ!」


 ギリギリ歯ぎしりをしながら、がらんどうの左目を抑えたコルヴォは右目で少女を睨みつけるとバタバタと居住スペースへ上って行った。


 義眼のスペアでも取りに行ったのだろう。カラベルが借りている部屋が三階にあるように、コルヴォの部屋も三階にあるので、眼窩を洗浄する必要がある事を考えるとしばらくかかる。


「いやー、あっははは。笑った笑った。感謝するよカーベル君! カラス君がアタシの名前を素で呼ぶなんてよっぽどだからねぇ!」

「そういやあ、確かに。コルヴォの口からは初めて聞いたな」

「うん、あれでもアタシと付き合い長いからねー」


 だからアタシも「カラス君」って呼んでる。ローラは言って、唇を爪でなぞる。爪先は鋭く砥がれ、銀の爪を嵌めていなくても十分肉を抉れそうだ。


「君の場合は、ゴーグル青年かな?」

「いえ、カーベルでいいっすよ。ローラさん」

「あはははは、言うと思った!」


 少女は高笑いして、何処からともなく金色のコインを指で弾く。カラベルは、自身の頭部めがけて放たれたそれを素手で掴み取った。


 「OdrWorld」――見覚えのある文字の羅列と相反して、手にした事の無い柄のコインである。裏面は同じ花の絵だが――これで五枚目。


「これは……」

「君が寝ている間にドラゴンステーキを焼く機会があってね?」

「まじかよ」

「勿論、アタシ一人で行って来たさ。夜食は美味いんだぞう、背徳的で」

「年頃の乙女みたいな台詞っすね」

「アタシの姿が少女に見えないっていうのかな?」

「いえいえ、まさか」


 青年は適当にはぐらかし、吸血鬼は卓上の書類を一つ片付ける。


「改めてよろしくね、カーベル君」

「……ああ。宜しく頼みます、ローラさん」


 青年は階段を駆け下りてくる足音に苦笑して、ミネラルウォーターを喉に流し込んだ。







 コルヴォは三階の自室へ駆けこむと、眼窩を濯いで、服を着替え、身だしなみを整えて。それから一冊の手帳を取り出した。


 カラベルに見せたあのメモ帳とは別の物で、こちらがオリジナルである。コルヴォにとって、人魚が残したメッセージはあの怪文だけでは無かった。




 ――その先は、その場に居合わせた少年と付き人のみが知る。


『あなたがたは、にんげんですか』


 消息を絶った青年を探して湖畔まで辿り着いた二人は、脳に響く女性の声音を拾った。弱々しくか細く、儚げな声だった。


 勿論鼓膜を震わせるタイプの音ではなかったので、彼らは長年の勘から異形の声であると推測した。死霊滅殺銃を手に弾頭装填までして、声のする方へ行くと、桟橋に辿り着いたのである。


 そこには、シャツを真赤に染め上げた青年が打ち上げられていて。

 隣には、一尾の人魚が力無く座り込んでいた。


 散弾銃を全身に浴びたような穴を体中にあけた、女性が。


『ああ。やっぱり』


 人魚はコルヴォとエドアルドヴィチの姿を見つけるとそう言って、唯一無事とも言える口元を優しくゆがめる。


『よかった』


 脳に響く高音である。声帯を震わせることで発されるものではない。普通の人間であれば耳を掻き毟るような怪音だ。噂にあった鳴き声というのはきっと、彼女が湖の中で時折発していたこの声の欠片だったのだろう。


 だが、その喉元は大きな銃創でえぐり取られている。青い髪も、両目も、白い肌も、下半身を覆い尽くす鱗も、人の女性の型をした上半身までもが血まみれで。ただただ痛々しい。


「……お前は、異形か?」

『はい。おそらくは』


 人魚はコルヴォの問いかけにそう答え、胸元から一冊の手帳を取り出すとカラベルの隣に置いた。薬指が欠けたその長い指は、血を滴らせながらも青年の褐色の頬を撫でる。


 長い間水に沈んでいたのか、カラベルの顔面は蒼白だ。辛うじて息をしているようにも、今しがた命からがら助けられたようにも見える。


「……異形であるなら、私はお前を殺さなければならない」

『……やさしいひとですね。すぐにうちころされるものかと』


 人魚は青年の頬から指を放し、自身の鎖骨の下辺りに爪を立てる。


 ぶちり。

 ぶちっ。ぶつっ……。


 自ら胸に穴を開け、女性は血まみれの指で心臓から何かを引き出した。

 赤いジャムがまとわりついた、黄金の蜂蜜のような煌めき。

 それが音も無く、手帳の上に添えられた。


 黄金から離れた指先には大きな亀裂が走る。光を反射しない黒色のひび。バリバリと不協和音を立てて、人魚の形は失われていく。


「……」

『さようならやさしいひと。……どうか。からべるのことを、おねがい』


 呟くと共に、女性は湖に沈んだ。後には何も残らない。


 陸に上がった人魚は泡に消えた――それだけの話である。




「……カーベルよ」


 コルヴォは呟き、その手帳を裏返す。

 人魚が少年に手渡した筈の革表紙には「Karabel」の文字。


「お前は一体、何処から来たんだ」






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