第14話 Cause and effect !
人間離れしていることを指摘する場合はあれど、自身がそうであることを認識するのは意外に難しい。俗に言う「普通」は、大抵自分自身の立場や置かれて来た環境を基準にして形成される認識だからだ。
例えば。ある日突然、身に覚えのない自分を手に入れていたとして。
そのように急激な変化を知覚できたなら、違和も異常も感じられるだろう。しかし、人間は緩慢な変化に鈍感だ。認知は歪みを伴ない、現実を正しく見ることすらできていない。
不確かな世界を肯定する為に必要になるのは、自分と他人を切り分ける術。周囲の猿まねをしながら、存在意義の肯定に注力すること。
病む暇も無いほどに自己を肯定し、恐れる時間を作らないよう他人に心を砕く。砕いているふりをする。砕けているように振る舞う――。
カラベルは思考の海から顔を出し、いや、物理的に顔を上げて対面する金髪のツインテールを視界に入れた。
緩い巻きがかかった毛先を「もしゃもしゃ」と指で弄ぶ少女は、金色の瞳を青年に向けたまま、ゆっくりと瞬きをする。
「――俺は人間っすよ!?」
「自覚無し、か。今、沢山の事を考えたりしなかった? アタシが質問して返答するまでの間にタイムラグは無かった? 心の底から否定できた?」
「そ、そういうの、揚げ足取りって言うんだぜ……!」
「まあ。少なくとも、嘘は吐いてない様ではあるけどさー」
青年は、とても冗談を言っている様子ではない少女の言葉に混乱している様だった。ローラは剣呑とした顔をそのままに、溜め息をつく。
「カーベル君、何か勘違いしていそうだし。ちょっとだけ、アタシの話でもしようか」
「ローラさんの?」
「ああ。そもそも君、アタシやカラス君がどういう生き物なのか知らないだろう? はぐらかされて後、そのまま聞くこともしなかったんじゃないかい?」
「……俺、異端と異形の区別すらつかないっす」
「うん。そんな事だろうと思った」
金色の髪を揺らし、少女はようやく金色の瞳を細めた。
「異端と異形の違いはね、元が人間だったかどうか。人間の要素が残っているかどうか、なんだ」
ローラは言って、焼き菓子を何処からともなく取り出すと、口に放り込んだ。
「アタシやカラス君は人間として生まれた運命を捻じ曲げた『異端』だ。一方、君が今まで見てきた化け物たちは『異形』に分類される。異形は日の光に当たると灰になるが、異端は条件を満たさないと死なない」
カラベルはそう言われて回想する。『宿り木』のような例外もあるだろうが、『毒蝶』にせよ『双頭の蛇』にせよ、活動する時間は曇り時か夕方だった。電車へ乗る道中で襲ってきた牛と蜂の大群だって、朝になれば灰になった覚えがある。
「じゃあ、君にとってアタシが人間離れしていると思う部分はどこかな」
金の猫目が笑う。カラベルは肩を竦め、顎に指を当てる。
とはいえ、カラベルはローラと顔を合わせてまだ数日の付き合いである。分かっていることと言えば――。
「怪力と、驚異的な再生力。空を亜音速で飛行できる、とかだよな。あと地獄耳」
「うんうん。可愛い女の子相手に地獄耳呼ばわりはどうかと思うよ?」
「ひぃっ、殺気!?」
気持ち程の盾にもならない枕を胸に抱いたカラベルはその綿塊の向こうに顔を隠したが、ローラに責める意思は無かったらしい。癇に障ったことは事実らしいが、彼女に言わせてみれば「短気すぎると殺しすぎてしまう」ということらしい。殺しすぎるってなんだ。誰を。青年は怖かったので聞かなかったことにしようと思った。
「ローラさんは、人間だった時の事を憶えているのか?」
かわりに、青年は素朴な疑問を口にする。ローラは少し面食らったようだが、答える気はあるようだ。
「アタシはねぇ、人を殺すことを生きがいにする人間だったんだよ。生きていく為に必要なら何でもやった」
少女の赤い唇が弧を描く。
「で、ある暗殺を頼まれた時にしくじったのよ。相手が異形だったから、成す術も無く殺されてね? 気付いたらこんな風になっていたってわけ」
「こんな風、って」
「んふふ。吸血鬼? みたいな」
にかっ!
笑った口角の中に、肉食獣のような八重歯。
「当時はいきなり眷属にされて悔しかったのよねぇ。だから人間の代わりに、異形を栄養分にしてるの。燃費は悪いけれど人間より異形の方が好きさ。風味も全然違うしねぇ」
あの時代、人間はまだ不味かったし――とまあ、さらっと恐ろしいことを呟く少女である。ニコニコとしてはいるが、彼女がしっかりと人間を辞めていることだけはカラベルにも理解できた。
「しかし、吸血鬼と言えば有名どころだろう。よく退治されずに生き残れたというか」
「そうだねぇ。確かに刺客は沢山来たけれど、どれも弱くて殺して貰えなかったんだ。
「吸血鬼祓いの要素オンパレード……」
「まあ、そういう事もあるかと思ってね。ただ、太陽の光だけは駄目みたいで、今でも日の光を避けて暮らしているよ。めっちゃ日焼けするんだ」
「めっちゃ日焼けするんだ……」
「後はねぇ、決まりは守らなきゃいけなくてね。流れる水を渡れないとか、迎え入れてくれないと家や区域に立ち入れないとか。ほら、カーベル君と初めて会った時に、照明弾使ったでしょう?」
照明弾というと、先日コルヴォと青年が二人で組み立てて打ち上げたあれだ。
「あれは、『ここにいますよ! 来て下さい!』っていう意思表示になるんだよね。アタシがあの場所に介入するには、あれを侵入許可として受け取る必要があったわけ」
「成程、移動にも手間がかかるんだな」
「ま、昨今は国を出ようと思ったら飛行機があるし、チケットを取ること自体が相互許可の判定になるみたいで、あんまり苦労はしてないけどね。ほら、船みたいに直接流水を渡らなければいい話だから」
「セーフラインがガバガバじゃないか」
「だよねぇ。アタシもそう思う」
あっけらかんと笑って、ローラは椅子から立ち上がる。何をするのかと思えば、カラベルの隣――ベッドの脇に腰を下ろして足を組んだ。
出会った時と変わらぬ純白のワンピースに皺が入る。
「ねぇ、カーベル君。人と乖離するという事は、必ずしも不幸であるとは言わないんだよ」
「は、はあ」
「だから正直に答えて欲しいな。君にこの世界がどのように見えているのか。君にはこの世界がどのように聞こえているのか。君がこの世界をどのように感じているのか。アタシは非常に興味がある」
素直に教えてくれないかな? と。可愛らしい顔をこちらに向けて言う少女。
青年はその美貌と、月のような獣の双眸の煌めきに眉を顰める。
コルヴォは以前、異形を狩るローラに関して「思うところがあるのだろう」と零していた。やり取りから分かるように長い付き合いであろう彼がそう言うのであれば、恐らく少女が言っている「異形を狩る理由」にはもう一歩深い場所にある動機が存在するはずだ。
「貴女には、異形を狩る目的があるのか? コルヴォのように」
「……アタシは、異形を狩れればいい。食えたらいい。アタシが望む結果は、その殺戮の果てに熟する。言い方を変えれば、沢山の異形を狩ること自体が目的だよ」
少女の真っ直ぐな視線に、カラベルの目が揺れる。
赤茶の髪が背中に流れた。コルヴォには「願掛け」をしていると説明しているが、本当の理由は忘れてしまっているのだ。一体何のために後ろ髪ばかり長く伸ばして、そこに意味を持たせようとしているのだろうか――。
「……霧箱、っすね」
青年の口から一言零れた。ローラは一瞬、何の事を言っているのか分からないといわんばかりの顔をしたが、少し考えてから、自身の質問にカラベルが答えたのだという事を理解する。
「キリバコ? それは、学生が実験で観察するあれのことかい?」
「ああ。宇宙から降り注ぐ放射線を可視化する箱。霧が線を引くように生まれては消えていく実験箱」
カラベルはそう言って、少女に目を向けた。
世界に薄くフィルターがかかっているように映る。霧のような実線が、空から天井を貫いては次々床に消えていく。目の前に居るローラの身体は白いワンピース越しであっても酷く冷たいように目に映る。青白い、金色の髪と瞳が対比してキラキラ輝いた。
そこで青年は気が付く。この情報量の多い景色を紛らわせるために、自分自身で自衛していたのだという事実に。
キャビネットの上、青年から一番遠い所に置かれた普段使いのゴーグルは綺麗に手入れされていて。しかし、目の前に座る吸血鬼の少女と会話するにおいて、そのレンズは必要ではないようだった。
「耳は?」
「色んな音が聞こえる。すれ違った相手の会話も、鳥の声も湖面に釣針が落ちる音も」
「それじゃあ、どんな風に感じているんだ。君は、この現実をどう思う」
「……
――最初。
カラベルは無意識に口に出したが、恐らく彼がこうなってしまった前後の知識と混同しているのだろう。
「直ぐに必要な矯正器具を開発する必要があった。日常生活に不備が出れば、あいつにも奴が手を出すかもしれない。だから、必要になりそうな知識を目に焼き付けて、どうにかする為に飛び出して」
でも、あいつは死んじまったんだよな。
青年はそこまで呟くと、こめかみに指を滑らせた。
普段ゴーグルのバックルやストラップに隠れているその部分には、生々しい傷痕があった。
「カーベル君。今、辛いかい?」
「……いいや。俺には心がないから、苦しみを理解することはできないだろう」
白いシャツを、胸元できつく握りしめる青年。濁った瞳の色が、澄んだ錆色に戻っていった。ローラは腕を組み直し、これは厄介な拾い物だと溜め息を一つ吐く。
厄介だからといって、別に追い出す気も殺す気も起きない。
「ふぅん? そうなの。アタシには君が、十分人間らしいように見えるけどね」
「ん? 俺は人間だぞ?」
「おいおい、視界の時点で違和感バリバリだったろうに! カーベル君が幾ら否定しようが、君はアタシたち異端に酷く近い――人間を辞めかけた人間なんだからさ! 自覚してほしいな?」
「そうは言ってもよ、俺は俺の事を人間だって知ってるんだ。こうなった理由や経緯にも心当たりがない」
記憶にない情報が口をついて出るこの状況に混乱しているのか、青年は頭を抑えた。赤毛が掻き乱されて指先がうなじに回りそうになって――カラベルの身体は硬直する。
その額には、ローラの指が銃のような形になって差し向けられていた。
「だーめ。ホールドアップだよカーベル君?」
「!?」
「首の後ろは触らないように。多分、そこが起点だ」
「起点? 何の」
「異形を不用意に刺激する音の、起点。トリガーとでも言おうかな?」
「引き金……」
ローラはニッコリ笑うと、掌を解いて青年の頭をがしがしと撫でまわす。そして、手荷物から一枚の紙を引き出した。
モノクロの写真である。しかし、それは只の写真ではない。
「これは、エックス線を使ったレントゲン写真だ。映ってるのは君。はっきり言うと、脳味噌と骨以外は完璧に機械仕掛けだよ」
「……は!?」
カラベルは思わずレントゲン写真を少女の手から奪い取った。
見れば見る程奇妙である。
骨と脳以外の全てを埋め尽くす理解不能なビニールチューブの束。筋肉繊維も呼吸器系も消化器官も代謝を促す肝臓や腎臓だって、子種を作るための内臓ですらメタリックの針金と数多の歯車で形成されている。
宿り木の一件で滅びたあの村で、少しばかり機械弄りに没頭していたカラベルには、自分の中に入っているというそのパーツ量の尋常でなさが手に取るように分かった。
人間を作ろうと試みた科学者は数多けれども、その多くは失敗に終わっている。それを、ここまで違和感なく人の身体の形を崩さずに内部を機械化しているという事実に、当の本人が全くの自覚症状が無かったという事実に、カラベルは驚愕した――心の底から恐怖した!
突きつけられたそれが証明するのは、己の人間性の薄さ。もしかするとキッチンペーパーよりも薄い人間性しか残っていないのかも知れない。
「意識や記憶が人格を作り出すという点においては、君は人間だ。そして、心が脳の機能であるという事実を受け入れるのであれば、君は心を持った人間だ。但し、生物学的に君が人間から乖離しているかと問われた時、アタシにはカーベル君のことを胸を張って人間だと言い張れるだけの根拠と自信がない」
「――ねえ。君はどうして
「……!」
「君は、何を知ってるのかな? 何を、知らなかった事にしようとしているのかな?」
青年は、答えを返すことができない。
代わりに、問いを返す。
「……異端が異形になることは?」
「あるよ。散々見てきたし、数えられない程看取って来たさ――理性と倫理が人のそれを逸脱した時点で異端とは呼べなくなる。理性無き獣は、ただの化け物だ。そうなれば元人間であろうが、アタシの食料と等しい」
「そう、すか」
カラベルはそれを聞いて、心の底から安堵した。
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