第13話 Preparation !!


 黒地に白で描かれた、曼荼羅の天井が視界に入った。


「起きたか」

「……」


 必死になって水面に腕を伸ばそうと足掻いている様な、そのような寝相で目覚めたカラベルは、両腕両足に包帯とガーゼを装備していた。

 寝台の隣、木の椅子に座って読書をしていた少年は、黒い髪を振って左を向くと義眼を装着し。神妙な目つきで青年を見下ろす。


「病み上がりでもできるだろうと仕事を渡したあの娘も、お前の行動力を侮っていた私にも落ち度がある。だが、仕事は仕事だ。何があったか憶えているか。話せそうか」


 怒っているような、心配しているような、恐らく後者が勝っているのだろう。声を荒げずに説明を求めた少年に、カラベルは目を向けた。乾いた唇で喉を震わせる。


(良かった。どうしても聞きたい事があったんだよな)


「コルヴォ。あんたはアポイント無しで異形が依頼人として事務所にやって来たら、撃つか?」

「問答無用だ」

「よし、俺が知ってるコルヴォで安心した」


 赤茶色の髪を掻き乱そうとして、顔をしかめる。ガーゼの下にどのような傷痕があるかは分からないが、火の棒を刺しこまれたような熱い痛みだ。


 夢から覚めるには頬をつねるといいと聞くが、夢の中で夢を自覚する能力者でない限りそれは難しい――つまるところ、カラベルは聞き込みを終えた後に事務所へ帰宅する帰り道に襲われたのだろう。


「……何があったか、だったよな。俺の記憶にあるのは、ローラさんから仕事を貰って、聞き取り調査をして、十人目に話を聞いた時に拉致されそうになって……」


 そこから先はごっそり記憶が抜け落ちている。酷い思いをしたはずなのに、その内容すら思い出せない。


「えっと……ここの屋敷の使用人さん、名前はエドワード?」

「いいや、エドアルドヴィチだ。教えた覚えはないが」

「おう、いや、確認したかっただけなんだ」


 カラベルはコルヴォの言葉を元に情報を整理していく。

 聞き込み調査を終えた後、自身が事務所に帰っていないだろうこと。

 エドアルドヴィチという名前の存在は、知識として知っていただろうということ。


 夢は、潜在意識を含む記憶から形成されるものである。


「成程ね、俺が見てたのは夢か。はー、死ぬかと思った」

「おい、ついに頭がゆだったのか。また湖に沈められても文句は言えないぞ」

「湖?」

「湖だ。溺れたことは憶えていないのか」

「溺れ――」


 ぞわり、と鳥肌が立つ。鼓膜を破らんと流れ込んだ水の音。気管支を押し広げられながらも酸素を求める肺胞。

 生々しい感覚が全身を駆け巡る。忘れようとしていた死の予感と、意識が落ちる瞬間の記憶だ。


「――たんだな。それは現実か」

「ともかく、それだけ意識がはっきりあれば問題なさそうだな。ローラも呼ぶぞ、いいな」

「おう。俺も聞き込みの件で報告しないといけないことあるし」

「……今更だが、お前も大概精神が強いな」

「何の話だ?」


 青年は痛む腕を上げて顔にかかった髪を払うと、べたついた頭皮に顔をしかめる。


「そういえば俺、今度はどれぐらい寝ていたんだ」

「五日だ。喜べ、記録更新だぞ」

「いまいち喜べねぇニューレコードだな」


 カラベルはローラを呼びに行こうとしたコルヴォを引き留め、濡れタオルを所望した。







 雇い主(仮)が合流してからの会話は非常にスムーズに進んだ。というのも、カラベルが眠っている間に聞き取りを終わらせたらしい少年の見解と、青年の見解はぴったりと一致したのである。


 作為的な噂の広がり方。あまりにも多様すぎる目撃者たち。明らかに人為的で、その思考は人間に寄っている。

 異形の発生に人間が絡んでいるなど、本来はあってはならないことだ。ローラはその場でエドを諜報に回すと即決した。


 そうして話を進める中で青年が改めて知った事が一つある。

 それは噂の根源である「湖に現れる謎の影」の正体とその最期についてだ。


 青い髪に緑の瞳をした、半人半魚の異形――人魚メロウ


 見た目の特徴を聞く限りでは、カラベルの夢で訪ねてきた謎の人魚と瓜二つ。その場に居合わせたコルヴォから言わせれば「まあまあ美人」だったらしいので、夢で見た彼女に近い顔立ちだろうと脳内補完する。


「お前が帰って来ないことに気付いたのは、日が沈んであとの事だ。ローラに問い合わせれば聞き込みに行っただけだというから、一時間待った。が、嫌な予感がしてな。街をエドアルドヴィチと二人で探し回った」


 手掛かりが皆無だったので、それこそ街の端からしらみつぶしに聞いて回ったらしい。


「運よく、赤毛を長く伸ばした男が街外れへ歩いて行ったと証言した通行人を見つける事ができたが。いざ湖に着いてみれば、お前は桟橋に打ち上げられていた――人魚と共に、な」

「人魚と……って、俺、人魚と一緒に居たのか?」

「そうと考えるのが自然だが、詳しくは知らん。だが、私たちが見つけた時には双方共に衰弱しきっていた」


 コルヴォは言って、胸元から何やら取り出した。

 見覚えがあるようなないような、シンプルな掌サイズのメモ帳。それをパラパラとめくって、最後の方を開くとカラベルに差し出す。







 おうごんがむっつ、あなたのことをあなたがまっています。

 すいそうのなか、いきをしつづけているあなたに。

 さいごまでにんげんであることをえらんだあなたに。

 わたしはこれだけのねつしかわけてあげられないけれど。

 さあ、はやくむかえにいって。

 あなたがあなたでいられるうちに。







「……」

「……」


 黙読して顔を上げれば、コルヴォとローラは同じように首を振った。この言葉が何を示すものなのか、さっぱり分からないらしい。


 神話や童話の一節ではなく、分かる相手にしか伝わらない暗号のようなものなのだろう、と。カラス頭はそう言って揺れた。


「これは?」

「ああ。それを私に手渡して、人魚は力尽きた。認めたくはないが、お前を助けたのはその異形だったらしい」


 祈りが届くかはさて置き、感謝はしておけ。そう言葉を続けたコルヴォの声は青年には聞こえなかった。


 心の中にすとん、と。腑に落ちる感覚がある。


 会った事もない人魚が、自分のせいで死んだのだと聞いて、驚かない自分がいる。


「そうか。死んだのか、あいつ」


 無意識に口をついて出た感想に、青年は眉間の皺を深くする。


(……って、誰の事だ?)


「カーベル君? 生きてる?」

「えっ、ああ。生きてるぜ、調子が良いぐらいさ」

「そっかあ。君がそう言うならそうなんだろうねぇ」


 ローラは金のツインテールを揺らし、隣のコルヴォへと目を向ける。


「カラス君! ちょっとお使いをお願いしても?」

「は?」

「愛飲している紅茶缶の底が見えていてね。なに、直ぐ向かいの店で売ってるからさ! ここは一つ、よろしく頼まれてくれないかい?」

「……」


 コルヴォはこめかみをカリカリと弄ると、「出てくる」と一言告げて退室した。エドが出払っている今、この部屋に残っているのは異端の少女と青年カラベルの二人だけ。


「ねえ、カーベル君。アタシと賭けをしないかい?」

「へ」


 コルヴォが出て行ったのを確認したローラは、腰元から金色のコインを一枚取り出す。


「コイントス。裏か表か当てるだけの、お子様でもできる遊びさ」

「どうしてまた……というか、満身創痍の青年に何を賭けろと?」

「君は何も賭けなくていいさ。そうだねぇ。君が勝ったら君の精密検査の結果を教えよう。負けたとしても、このコインは君の物さ」


 ローラは金の目を猫のように細め、口を弧状に歪める。

 カラベルは、どう考えても利益しかないその賭けに伸るか反るかしばし思案して、しかしメリットが大きいことを認めるとベッドの上で頷いた。


「おーけー。それじゃあ、花の絵柄が刻まれている方を表にしようか」


 ローラはメダルの裏表を青年に示すと、初動作無しに指で弾いた。

 常人には目に留まらない速さで回転する金のコインが、少女の左手甲と右手のひらにサンドイッチされる。


「表だ」

「さて、どっち――……うん。いくらなんでも、答えるの早すぎじゃあないかな?」

「花の絵がある方が上になっていれば表、なんだろう? なら表だ」

「本気で言ってるぅ?」


 半信半疑の金髪少女が右手を外す。左手甲に乗った金のコインはカラベルが言った通り、花の絵が天井を向いていた。


「あたりー、君の勝ちだね。これは勝利の品だ」

「えっ、あっ」


 再度弾かれたコインは五回転半回って、身を起こしたカラベルの腰元に不時着する。確認してみれば、両面に花の絵があるわけもなく、裏面にはすっかり見慣れた「OdrWorld」の刻印がなされていた。


 カラベルはコインを失くさないようにと、自分のポーチをキャビネットの上から引っ張り収納する。コイントスの表として使われた花の柄は、指摘されなければ花とは分からない、地味な草の形をしていた。


 そうして、キャビネットの上にポーチを戻そうとしたカラベルだが、その行動をローラが制する。どころか、今まで集めたコインを全て出して見せて欲しいと言い出した。


 青年は疑問を抱きつつも、今まで集めたコインを膝にかかるシーツの上に並べていく。表面の花の柄は同じだが、外周に文字が刻印されている裏面の中心にはそれぞれ違う絵柄が刻まれている。


 宿り木――ミスティルテイン。

 冥府の蝶――プシュケ。

 双頭の蛇――アンフィスバエナ。

 そして、今ローラから受け取ったコインで四枚目。


 右のテールを指で弄びつつ、それら一連の行為が終了するのを待っていた雇い主(仮)ローラは、普段見せる子どもらしい笑顔を引っ込め、カラベルの目を見つめる。


「じゃあ、アイスブレイクが済んだところで本題に入ろうかな? 君も目が覚めてから十分時間が経って、頭が回るようになってきたころだろう。ねぇ、


 異端の少女は遮光カーテンを背に足を組み、タペタムを向ける。


「君。自分が普通じゃないって自覚はある?」






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