第11話 Fish out of water !
赤毛の青年カラベルが聞き込みを終えて事務所に戻って来たのは、日が暮れて少ししてからの事だった。先に帰って来ていたらしいコルヴォは、青年の姿をみるなりコーヒーを飲む手を止めて息を吐く。
「昨日の今日で、まさか仕事をしていたとはな……病み上がりの方が元気なんじゃないか?」
「はは、もしかするとその言葉通りかもしれねぇな」
スキニ―ジーンズにネイビーのシャツ。上着は灰色のジャケットで、型は悪くないものの全体的に少しだけよれている。
これといって目立つ服装でも、忌避される見た目でもない。
日がなバイトをして寮の費用を稼いでいそうな学生――初対面の人間からすれば、そのような印象をうけるだろう。変装としては十分である。
「なるほど、服はエドのチョイスか」
「エド? あ、もしかして使用人さんの名前か」
「ああ。なんだ、聞いてなかったのか。……いや、あの娘が丁寧に紹介すると思ってはいなかったが」
「エドというと……」
「エドアルドヴィチ。代々あの娘に仕えている家系の人間だ」
青年はミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出しつつ、昼間の事を思い出す。
無駄のない身のこなしと物腰柔らかな対応。皆のじっちゃん的な包容力のある暖かさを感じたカラベルだったが、あの怪物を素手で殴り潰す少女に代々仕えていると知っては聞き返さずにはいられない。
「彼も
「ああ。引退はしているが腕のいい狙撃主だった。もしその気があるのなら、彼から射撃を学ぶと良い」
「まじかよ」
青年の頭の中で、物腰柔らかなエドの姿が一転、暗闇に潜み数キロ先を狙撃する凄腕スナイパーのイメージに置換される。
砂塵の中、顔も体つきも隠した初老の男性が異形相手に戦う様子は見てみたいような気もするが、好奇心はネコを殺すともいうし想像のみにとどめようと彼は誓った。
「そういやあ、ローラさんは何処に? 一応報告だけでもしようと思ったんだけどさ」
「彼女なら食事に出かけたぞ。夜が明ける前には戻って来るだろうが、朝になる前には帰るだろうさ」
「食事って、異形を?」
「お前も数日前よりは察しが良くなったな」
「へぇ、それじゃあ、物によってはえらいゲテモノ食べてることになるんだなローラさん」
「あの地獄耳を体感した割には発言に容赦がないなお前は」
それに、お前が想像しているような食事ではない。
コルヴォは言って、向かいのソファに腰を下ろしたカラベルに燻製肉とワインを勧めた。
青年は酒を断ったものの、ほのかに黄色いハムを摘まんで口に放る。
義眼を外した少年は、青年の様子にふと笑みを浮かべる。
「な、んだよ。その不敵な笑みは。気持ちわりぃ」
「ふん、どのように笑うかは私の勝手だ。さて、仕事の話をしようかカーベル。記憶が風化する前に、お前が見聞きしたことを話してみろ」
カラベルがローラに頼まれた聞き取り調査というのは、彼女が拠点を構えるこの街に広がった噂について、である。
「夕方までにのんびり回って、それでも十人ぐらいに話を聞くことができたぜ。ただ、必要以上の情報を引き出すことはできなかった。俺の力量不足か、話のネタになる材料が殆どなかったからなのかは知らねぇけどよ」
ローラが見込んだ人数を上回る聞き取り数であるが、その結果に誰より戸惑ったのはカラベル本人である。彼は自身の能力を信用していないので、なんなら再調査を誰かに頼もうと思ったぐらいだった。
「内容は暗記するようにしていたんだが、流石に要点を引き抜いて説明するぞ。一つ目は湖に魚の大きさとは思えない影を見かけたというボート乗りや漁師さん、趣味で釣りをしている人の目撃情報だ」
「魚の大きさとは思えない、とは言うがサイズはどの程度なんだ」
「こう、両腕をがっと広げて、それで足りなかったとか言ってたなぁ。四番通りの男性からの情報だ」
資料から情報を引き抜き、合計で六枚の用紙が机に並ぶ。コルヴォは目を通しつつワインを揺らした。
「二つ目は、それが目撃された場所と時間について。湖の影を目撃した誰もが昼だったと口を揃えた。もし異形だとしても太陽の光に耐性を持っているか、水の中でだけそう言う加護的な何かが発生するのかは分からないが、現れる前兆があるらしい。目撃者は口を揃えて、決まって小鳥のような高い声が響き渡って後に影が現れたって言うんだ」
「影……それはとある界隈でよく話題になる首長竜のような未確認生物系の案件になりそうか?」
「んー。俺は神秘や異形、死霊と異端であるかどうかの判別すらつかねえから、その辺の勘はさっぱり。相対したところで分からねぇと思う」
専門家の前に、見習いですらないからな。カラベルは呟き、飴色のチーズを食む。酒を嗜まない代わりに、つまみを食べるのは得意らしい。
「強いて言えば、目撃されてんだから未確認じゃあないとは思う」
「ほう」
カラベルは手元に残っていた資料から三枚を引き抜いて、先程出した用紙の隣に置く。
「こっちは夜の目撃情報だ。といっても、夜な夜な湖にボートを出すような物好きは居なかった。精々ジョギングのルートに湖沿いの道路があったとか、眠れなくて湖を見ていたとか、そういう理由で湖面を見ていた人から、湖の中から頭を出す人間のような影を見たって言う証言があった」
「その情報が、前の二つの目撃証言と関係するだろう根拠は?」
「俺は自分で見たことも聞いたことも無いから断言はできない。ただ、夜の目撃者からも、どこからか鳥が鳴くような声がしていたって証言があったぜ――ただ」
カラベルはそこで言葉を切った。
先程言った通り、青年は専門家はおろか見習いですらない。感想や考察ができる程の知識や経験がないので、現物を目にしていない現在、意見することが正しいのか逡巡したのである。
一方コルヴォは空になったワイングラスに二杯目を注ぐか迷って、席を立つと紅茶を淹れ始めた。アールグレイの香りを纏い、少年はソファの元の位置に座る。
少年の右目は青年に向けられ、無言をもって話の続きを促す。
青年は気まずそうに口の端を歪めた。
「……目撃情報がまとまりすぎている気がするんだよな」
言葉を選び、正直な感想を述べる。
「普通、噂ってのは尾ひれがつくもんだろう。目撃者が口を揃えて『湖の中にデカい黒い影を見た、あれはとても魚影ではない』って言う割には、そこに鮫や海豚や巨大魚かもしれないっていう追加の意見が出て来ねぇんだよ。汽水域の湖であれば栄養も豊富だろうし、メープルの国みたく魚が巨大化してもおかしくないように思うんだが、そういう風に主観的な考察をする目撃者が一人も居なかった、っていうのは流石に不自然だろう?」
誰も彼もが同じ意識を持って、一つの現象を観察し、記憶している。
記憶の改変が起こることなく情報が維持されているのも妙だが、恐らくは周囲にふれ回る事もしていないだろう。
しかし、それだけではない。
カラベルは書類の内容を見ただけだが、証言者たちは出身も育ちも示し合わせた様にバラバラで、もっと言えば重なる部分を探す事がとても難しい。この街が世界中から人をかき集めている先進都市であったとしても、会った十人だけならともかく、資料の全員にそれが当てはまるという現実は異常を通り越し異様ですらある――。
少年は義眼を磨き始めていたが、カラベルの見解を聞いて手を止めた。
「目撃者の操作か。古来より神秘や異形に出くわす条件は様々な物があるが、湖の周辺で『声を聴く』というプロセスを経ているのであれば、神秘側が相手を選んでいるのかもしれないな」
「神秘が人を選ぶってことか?」
「処女好きの一角獣然り、容姿端麗を好む神然り、選り好みする輩は多い」
「……だがよぅ、コルヴォ。男女比率も年代のばらつきも一定で、出身地や育った土地を見分けて被らないように目撃させるって……思考回路が人間っぽいとは思わねぇか?」
赤毛を掻き上げ、ゴーグルの位置を調整したカラベルは言う。
ポシェットから取り出したのは今までに集めてきた謎のメダルである。
「ミスティルテイン」、「プシュケ」、そして先日の「アンフィスバエナ」の三体の異形が落とした謎の戦利品――合計三枚のメダルは、金色で「OdrWorld」という文字が刻まれているという以外には共通点が無い。
「カーベル、お前は……あれらの異形も、誰かの企みにより呼び出されたものだと考えているのか?」
「だとしたら、辻褄が合うんじゃねえかって――俺が考える最悪について想像してるだけだ。根拠はねぇよ」
燻製肉をかみつぶし、つい半月前まで過ごしていた村の事を思い出す。会わなくなった人間の記憶は声から忘れていくといわれているが、もう、顔の輪郭すらおぼろげだった。
未練がましい回想を断ち、ミネラルウォーターを一息に喉へ流し込む。
「そういやぁ、十人目に会った人がかなりの変人でさ。全然それらしい話は聞けなかったんだが、興味あるか?」
「十人目?」
「ああ。この、オンスって人」
カラベルは言って、十枚目の資料を机に置く。
M字に後退した総白髪に、
資料に使用されている顔写真の殆どは履歴書や正規の書類から引っ張って来た違法のデータだろうと予測されるが、彼の写真だけ隠し撮り(バレている)のようである。
「自称、天才科学者なんだそうだ」
「天才科学者」
「顔を合わせるなり腕を掴まれて車に引きずりこまれそうになったんで、石畳に叩き付けてきた。……これは流石に正当防衛だよな?」
ぴしり、と空気が軋んだ音がする。いい生活を送ってきたわけではないカラベルからすれば日常茶飯事のできごとだったのだろうか。あまりにも何でもないように語るので、コルヴォは言葉を失う。
思えば、彼は少年の異形狩りに同行して失神したことが一度もない。
腰を抜かしたのだって、双頭の蛇を相手取ったあの一回だけである。
「コルヴォも気をつけろよ。世の中にはやべえ化け物と並ぶぐらい理解できねぇやべえ人間が存在する」
「人間の相手は人間に任せろ。次そのような事があれば速やかに通報だ。いいな」
「おうよ」
そう軽く返答し、ミネラルウォーターを飲み干す青年。夜はまだ長いが明日もある。目の前の少年がどれだけの期間休暇をとるか把握できていない以上、カラベルにできるのはがむしゃらにできる仕事をこなすことだけだった。
例え、
こんこんこんこん。こんこんこんこん。
寝る前にシャワーを浴びようと、晩酌するコルヴォを置いてカラベルが事務所を出ようとした時である。
二十三時四十六分。事務所の営業時間は過ぎているし、そもそもこの部屋は形ばかりのもので、
この時間に依頼主が来るとはとても思えない。また、人避けのおまじないをしているらしいので、一般人が迷い込んでくるとも考えにくい。
少年と青年は顔を見合わせて身構えるが、扉の向こうに居る人影は突入してくるそぶりをするわけでもない。
定期的に、機械的に、ドアノッカーが鳴る音が響くだけである。
こんこんこんこん。こんこんこんこん。
「……」
「……」
こんこんこんこん。こんこんこんこん……ここっこここんこここここここここここここごごごごごごごごごごっごごごっごごごごごごごっ!!
「遊び始めた……!?」
「人間か?」
コルヴォはグールガンを構える。使用可能を告げるランプの色が目に入った瞬間、カラベルが開錠した。
ぴたりとノックが止んで、部屋の中には静寂が訪れる。
しばらく待ってみて、しかし扉が開く気配がないのでカラベルが扉を開く。外開きの木製扉は抵抗なく開かれた。
「……?」
「……」
女性が立っていた。丁度、カラベルと同世代ではないだろうか。
掌に納まる小さなメモ帳。ボールペンは黒一色で、一言二言メモが取られている。頑なに口を開こうとしないその女性は、青く長い髪をそのままにして、メモ帳を見せた。
『わたしはあなたがさがしているものです』
丁寧な筆記体で綴られたその文に、カラベルは目を瞬かせる。
青い髪がさらに青いように錯覚する。青白い肌に熱は無く、黄緑の瞳が飴玉のように見える。薄い唇に丸い瞳。服装には何ら違和感がないのに、存在が現実とずれているような神秘性を感じられた。
硬直したカラベルの横にコルヴォが立つと、敵意がないことを確認して銃口を下ろす。
「貴女は、人ではないな。異形の類が我々に何の用だ」
コルヴォの冷たい声に、ふわりと笑みを見せる女性。
よく観察してみれば、女性はその全身を雨に降られた様に湿っている。髪先から滴った雫が床に垂れ、モルタルに染みを作った。
女性は髪を後ろに流し、メモ帳にペンを走らせる。耐水性の用紙なのか、水滴を弾く白の上を走るのはドイツ語。
言葉を発することなく、女性は筆談したそれを二人に見せる。
『ころしてもらうためにここにきました。ですが、しぬまえにこころのこりがひとつだけあります。あなたにそれをかなえていただけますか?』
水草色の瞳を細め、女性は文末にこう書いた。
『わたしは、にんぎょです』
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