第4話 Yellow brick road !


 一週間前。


 その日は、暑かった。除草剤の出番がない程の猛暑に人々は次々に外へ出た。電気も碌に通っていない、都市から遠く離れた郊外の村である。


 煉瓦積みの家でも耐えられない酷暑にうかされた住民たちは次々と家を出て、部屋を出て、外を眺めて、息をして。


 どうなったかというと。

 実に簡潔に言うと、村はとても自然豊かになったのである。







「……なんじゃこりゃあ」


 呟いたのは、久方ぶりに地下から外へ出た長髪の青年。


 都市部で開かれる予定だったロボットコンテストに応募する作品を制作中だったとある青年だ。普段は町工場で小銭を稼いでいるのだが、大会前ということで気を利かせた現場のおっちゃんが彼を休ませていた。


 地下室へ籠ってゼンマイ仕掛けの玩具を組み立てていた彼は、作業に没頭するあまり日付間隔が曖昧になっている。

 暦の上で幾ら日付が経っていようが、彼の体感的には数日ぶりの地上だった。


 手持無沙汰なのか、握りしめたスパナをくるりと回し、肩に乗せる。


「んーと、時計は止まってるし、ラジオは……おおう、死んでる」


 時計もラジオも、普段修理して来た機械的な品々は諸共、奇妙な緑色をした蔦系植物に浸食されて見る影もない。


 まるで、廃墟になった住宅に植物が侵攻したような、そんな風景だった。窓から外を除けば蔦蔦蔦。黄色い煉瓦の外壁は青年の知らぬ間に圧巻のグリーンカーテンと化しており、屋根から屋根に張り巡らされた蔦と茂った葉の色で、暗い密林の様相をしている。


 勿論青年が過ごして来たこの村は密林でもなければ環境保全活動に全力で取り組んできた訳でもない。牧歌的で変哲もない石切り場だったはずである。


「……おばさんやおっさんが見当たらないのはともかく、普段走り回ってるガキどもまで居ないのはおかしいな」


 青年は作業用ゴーグルを目に被せると、蔦でふさがれた道にナイフを奮って穴を開ける。魚釣りに重宝していた細身の刃物が大活躍だ。


 青年は全てが植物に覆われている状況に恐怖しながらも、どこか興奮していた。未確認生物、死霊怨霊の類、実験施設から逃げ出した未知の生物。想像は膨らむもので、湧き出る好奇心は無限である。


 玄関口の蔦を取り払うより窓から出た方が速いと見た青年は、腰まで届く長い髪をまとめて部屋に散らばった腐葉土を踏みつける。


 窓枠にとりついてスパナの頭を奮う。


 四度か五度、ひび割れる音がして、鋭利な割れ口をあらわにしたガラス片は外に散らばって行った。

 青年は作業用に履いていた安全靴をそのまま、外の植込みに着地する。


 建物の外壁と同じ黄色い砂岩煉瓦が敷き詰められた村は見る影も無く、青々と茂る蔦植物と空から伸びた根っこ(?)の独壇場となっていた。


 青年は村をぐるりと一周するものの、人はおろか犬猫の気配もない。

 一帯の様子を見ると、ここ数日の間にこの自然環境が作られたとはとても思えないが、一番の不安は村の外周が空から伸びた根に塞がれていて脱出できなかったことである。


(取り敢えず村中走って来たけど、人っ子一人いやしないな。それに、こんなに黒土でフカフカだったけ、この村)


 安全靴の裏に貼りついた黒い土。あちこちで発酵しているそれは恐らく腐葉土と呼ばれるもので、しかし海岸沿いの砂岩の山を切り崩して作られたこの小さな村に青々とした緑が茂るための栄養たっぷりの土は無かったはずなのだ。


 曇りも無い空の光は、鬱蒼とした葉っぱの重なりで木漏れ日程度しかとどかない。薄暗い視界が青年の体力を奪っていく。


「……ん?」


 そうして思考しつつ表通りを歩いていると、おかしな奴が居た。


 この状況に怯える事も慌てるそぶりも無く、飲料水の入ったペットボトルを持ったまま階段に座っている。

 黒い髪を短く切り揃えた少年。背丈は青年より頭二つは下だろう。左半分此方に見えているその白い顔の整い方は妙に人間離れしている。


 少年はスラックスに革靴。黒いタートルネックの長袖に、趣味の悪い薄手のジャケットを身に付けていた。


 ともあれ、村で見た記憶の無い初対面の人間である。青年は声を掛ける事にした。


「おーい。俺の言葉分かるか、坊主ー。」


 髪が生えているのに坊主は不味かったかと思い直したが、しかし他の呼び方も思いつかない。強いて言えばカラスのようなその黒髪が印象的だった。


 青年の呼びかけに、少年の顔がこちらを向く。

 青年はそこでようやく、少年の左目が陶器製であることに気づいた。そうでない右目の瞳は肉食獣のように細く、悪鬼の如くおどろおどろしい。


滅殺キル


 ――それに何だか物騒な単語が聞こえたぞ?


 瞬間。


 ぱしゅん! と、耳元を掠めた見えない弾道は、何やら赤色と銀色が入り混じっていた。次いで放たれた流動体を仰け反って回避する。


 ゴーグルに掠って少し側が溶けた。

 尻餅をつき、慌てて距離を取ろうとするも大した距離が稼げない。


 座っていたベンチから降りた少年は、迷うことなく一直線にこちらへ歩いて来る。射程範囲に入らなくなったのか、狙いづらくなったからなのか、真意は不明だが黒い銃を構えてやって来る!


(いやいやいやいやいや! 俺、子どもに殺されて死ぬのぉ!?)


 どうせ殺すならヘッドショットして欲しかったというのが青年の本音であったが――ああそうかきっと酷い夢を見ているに違いない、村が植物に覆われるなんてそんな現実離れした事が起こる訳も無し、きっとみんないい夢を見て寝ているに違いない。


「俺だっていい夢が見たかったんだぜこの野郎!」


 などと意味不明な言葉の羅列を口から垂れ流しながら、走馬灯のように駆け巡るこれまでの短い人生の美しい事!


 少年は青年の殆ど目と鼻の先まで距離を詰めた。開いた膝の間に革靴の先を入れ、それから銃を横に振る。


 びしゃっ、と。生乾きのボンドの如く粘性のある金属光沢が青年の腹部に落ちた。


「うぎゃあ!?」


 突然の事に跳ね上がる青年。化学繊維の白シャツを難なく溶かしたそれは、予想以上の高熱を伴なう液体だった。燃え上がりこそしなかったものの、穴の開いた白い布の下には生きた肉がある。


 自身の身体から焼ける肉の匂いと音が聞こえ、慌てて払い落とす青年に、少年は怪訝そうに眉根を寄せた。


「なっ、なんなんだよ! 熱湯!? うあっちぃ!」

「熱い? ……もしやお前、人間か?」

「はぁ!? 何処からどーみても人間だろうが! っつーかすっげー熱いんだけどそのウォーターガンの性能どーなってんだ!? ぜってー改造もんだろそれ!」

「一度に多くの質問を投げてくれるな」


 少年の姿に似合わぬ口調で彼は言い、構えていた拳銃を懐に戻す。

 追撃と敵対の意思がないことを示すためか、両手をホールドアップした。青年は安心しつつバクつく心臓を押さえつける。


「そもそもお前誰だよ!? いきなり撃ってきやがって、びびっただろーが!!」

「これは失礼した。加えて訂正させて貰うが、先程熱湯呼ばわりしたそれは溶けた銀だ」

「ぎ、銀? ……銀弾?」


 銀弾といえば、化け物退治のおとぎ話でよく聞かれるあれだろうか。

 あと思いつくのは、魔よけのお守り。


 目を白黒させる青年の言わんとすることが分かるのか、少年は首を横に振って手を差し出す。義眼と猫目の瞳が同時にこちらを向いた。


「私は異形殺しブレイカー。ここの化け物を殺す為に来た。お前はこの村の人間か?」







「――ああ、そうだよ」青年は間を置くことなく答える。「但し、この惨状に気づいたのはついさっきだ。地下室に籠もって作業をしてたもんだから、何時からこうなったのかは分かったもんじゃあない」

「ほう、その若さでニートか」

「ニートちゃうわ。お休み貰ってんだよ、工場のおっさんが『休んで良いぜー』っていうもんだから甘えさせてもらったんだ」

「仕事ができんのか?」

「だから違うと何度訂正したらいいんだ俺は?」


 赤い髪をもしゃもしゃと掻き乱す青年。長く伸ばしている後ろ髪が柳の如く揺れる。


「あんた名前は何て言うんだ」

「名乗る義理があると思うのか」


 周囲の様子を観察しているのか、青年を脅威とすら思っていないのか。少年の黒い頭がふらふらと左右に振れる。不規則なリズムを刻むそれはメトロノームとしては失格だった。


「名乗りたくねーなら構わねーけどよ、坊主って呼ぶぞ」

「……」


 そう言うと、少年は振り向いた。

 眉根が繋がりそうな程顰められ、口の端が限界まで引っ張られている。顎の下には脳味噌のような皺が生まれた。


 嫌悪の対象は「坊主」呼びされたからか、それとも名乗ることに対してなのか。暫くにらみつけた後、少年は溜め息をつく。


「カラス」

「カラス?」

「あだ名のようなものだ。そう呼べ」

「へー。水浴び好きそうな名前だな――ってうぉおお無言で銃を向けんな! 怖えだろ!」

「私はシャワーよりバスタブ派だ!!」

「んなこと一言も聞いてねぇよ!?」


 明らかな偽名と、突きつけられた改造銃に頬を引きつらせる少年。


 なんだ、妙に年増な話し方をするものだから相当な年長なのかと思えば、発想は子供のごっこ遊びのそれではないか。


 その一方で、青年のツッコミに満足したのか少年は口元を抑えて得意げだ。意味が解らない。笑いのツボもそうだが、青年はこの時点で少年に何かを期待することを諦めた。ある意味で英断である。


「ふっ、これは異形殺しブレイカージョークというものでな」

「あぁ、俺はカラベル。修理工で働く十八歳だ」

「……人の話は最後まで聞くものだと教わらなかったのか?」

「寒いジョークに一々反応してたら俺の体力がもたねーよ。で、この村がこうなったのは何時からか分かんねーけど、えっと、今日は何日だ?」


 青年カラベルはゴーグルについた埃を払い落としながら、左腕に巻き付いた時計を目にする。


 表示された日付は、十五日。


「……最悪でも三日前まではこうじゃなかった。俺が休みをもらって地下に籠もったのは十二日なんだ」

「ほう、しかし三日も地下に籠もって何をしていたんだ」

「ガラクタかき集めて動くもの作ってるんだよ、趣味で。都市部でイベントがあってなぁ。……こうなっちゃあ、出る予定も白紙ってもんだが」


 カラベルは言って、すっかり変わり果ててしまった村を眺める。


 あまり高いとは言えない瓦屋根は蔦にびっしり覆われ、黄色だった煉瓦道は黒土に根をはる緑の花園と化している。


 村民の憩いの場だった小さな商店の前には陶器のコップが二つ。道に倒れた空の酒瓶も、蔦に飲み込まれるような形で鎮座していた。


 黒髪の少年はその商店の前に立つと、壁に咲いた花に目をつけた。奇妙に花弁を歪ませた八重咲きのそれに顔を近づけ観察している。隣には瓜のような形をした丸い実が生えていた。


「とはいえ、今回は植物狩りだ。銀弾は特に要らないと踏んでいたのだが……ふむ、計算違いだったかもしれんな」

「計算違い」

「実をいうとこの村に来る前、私は二匹ほど異形の相手をしていてだな。先程君に無駄打ちした分を合わせて七発ほどしか残っていないのだよ」

「……それ、あんたがいうところの化け物に勝てる残弾数なのか?」

「厳しい」

「補充してから来いよ!」

「しかしそれだとこの村に辿り着くのにあと四日は遅れていたと考えられる」


 カラスと名乗る少年は、花を毟り取って木漏れ日の下に置く。それは光に当たると先の方からたちまち燃え上がった。

 メラメラと緑色の炎が陽炎を生む。ものの数秒で、手のひらほどあった八重の花弁は灰と化す。


「さて、これらをどうにかするには上の蔦を燃やすか、溶かすかしかないようだ。日光に弱いようで助かった」

「……ちょっと待てよ」


 カラベルは作業用のグローブをそのままに、顎元に指を添える。


「さっきから気になっていたんだけどさ。俺の他にこの村の人に会わなかったのか? 話を聞いてると、まるでついさっきここに着いたみたいな言い方じゃあ?」

「その通りだが。どうかしたのか」

「いや、質問に答えてくれよ。俺の他には誰にも合わなかったのか?」

「……」


 少年は沈黙をもって答え、今度は瓜の実のような部分を切り取った。ソフトボール程の大きさのそれは、毒々しく赤黒い。

 日の当たる場所にその実を置くと、カラスはその場にしゃがみ込む。青年には背を向けるような体制だ。


「カラス?」

「この村に、生存者は君一人だ。カラベル」

「――」


 覚悟はしていたが、重い現実。

 言葉を失うカラベルに、淡々とカラスは事実を述べる。


「昨日、一日中生存者を探して回ったが文字通り全滅だ。……まさか、亡骸一つも残してくれないとは思わなかったがな」

「な、亡骸がないんだったら、ほら、となり町に行ったとか」

「隣町などない。近くにあった港町を言うのであれば、二日前そこは死霊が跋扈する廃墟になったばかりだ」

「は?」

「ここに来る前に仕事をしたと言っただろう。少し離れたところにある林業盛んな村もそうだ。人狼が村民を食い荒らし、今は跡形も無い」

「……あんた、異形殺しブレイカーって名乗ってなかったか? 誰も助けられてないじゃねーかよ!?」


 詰め寄ろうとした青年に、待ったをかける少年。花と同じく緑色の炎を上げて燃えているそれを観察するのに手いっぱいとでも言いたげだった。


 カラベルの怒りはもっともだが、今はそれどころではないのだと――小さな背中が語っている。


「君が奇跡なのだよカラベル。普通、神秘に毒された土地の住民は一日ももたずに死んでしまう。環境の急激な変化に適応できかねるからだ。神秘が引き起こす毒は、時には月明りで獣になる病と化して人を蝕み、時には全てを肉塊に帰す食欲の悪魔となる」


 義眼の瞳が青年の方を向いた。 


「例えば私は、この空気の濃さを知っている――だが君はそれを知らない。なのに生き残った。適応した。それだけでも通常はありえない奇跡のようなことだ。他の無辜の人々が同じようだとは思ってくれるなよ」

「……っんだよ、それ……」


 青年は頭を掻き毟ると、その場に座り込んでしまった。少年は振り向くことなく静かに、目の前の果実を観察する。

 依然、緑の火である。


「……」


 カラベルは放心しながら、音を立てて燃えるそれを少年越しに眺めていた。めらめらと浮かぶ陽炎が、背景の蔦の輪郭を曖昧にする。心なしか、焼ける音も大きくなって来たような気がした。


「……なあ、カラス。それ、大丈夫なのか」

「というと?」

「音が変わった気がするんだ。バチバチ弾けるみたいな、干からびたコーンのポン菓子が弾ける寸前みたいな、そんな音に聞こえ」


 ――ばちん!!!!


「っひい!?」


 快音にのけ反る青年。咄嗟に顔を防御したが、次いで音が鳴ることは無かった。恐る恐る視界を確保すると、燃えていた果実がボロボロに砕け散っていた。


 観察に徹していた少年は顔を掌で覆い、その場にうずくまっている。

 青年は一瞬状況の判断に時間をかけようとしたが、最終的には衝動に任せて駆け寄る事を選んだ。


「……っ!? おい、大丈夫か! 今何が起きた!?」

「あ、ああ。済まない、取り敢えずは死ななかった様だ」


 少年は言うなり上着を外すとバサバサとその場に埃を散らす。すると袖の隙間や襟の辺りから黒曜石のように鋭利な結晶の白黒ストライプが、地面にバラバラ音を立てて落ちるのである。


「なっ、なななな」

「鎖入りを着ていて助かった。普段着なら蜂の巣だったな」

「は、蜂の巣!?」

「蜂の巣だ。その証拠にほれ、掌一枚貫通している」


 ひらりと返された右手の中央には、今しがた開いた穴が一つ。細い歪な何かが無理矢理通り抜けたような傷痕が、赤い血にまみれていた。

 その様子を見て、ざっと血の気が引く。


「って、おい。どうして平然としてんだあんた!?」

「特に珍しくはないからな。ただ、一人で対応するには少々面倒な相手だったと分かっただけ収穫だ」


 少年は言って、顔を俯ける。

 無事だった左手に、右腕で庇った義眼が零れ落ちて砕けた。


「さて。年若き青年よ、先に聞いておくが――この地に骨を埋める気はあるか?」

「……!」


 カラベルは唇をかみしめた。もう村を村たらしめる村人は何処にも居ない。この村から生還したとしても青年は一人で生きていくしか道は無い。


 黄色い煉瓦の道をなぞるだけの人生は、ここで終着。


 とすれば、この場で導き出せる回答は一つだけだった。


「ふむ、対した度胸。清々しい啖呵だな」


 少年は青年の言葉に口角を上げ、それから振り向く。


 割れた陶器の義眼を懐におさめると、少年はペットボトルを取り出す。大きな文字で「眼窩用洗浄液」と書かれていた。


 カラスが下ろしていた瞼を上げると、がらんどうの左目に、カラベルは底のある闇を見ることとなる。


「では。その勇気でもって、まずは私を助けてみたまえ」


 眼窩の底には、黒曜石の一片が突き刺さっていた。





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