第3話 SECOND = Psyche


「ひぃ、ひぃ、……っはあ、ああああやっと見つけたぜ! コルヴォ!」

「おう。生きていたか」

「『おう、生きてたか』――じゃねーっつーの! 何度死にかけたと思ってくれてんだ!」


 最早息も絶え絶え、肩で深呼吸している青年が中央広場にて少年と落ち合ったのは日が西に傾く頃だった。

 少年は青年の疲労困憊具合に肩を竦め、やれやれとオーバーリアクションをとる。


「正直なところ、プシュケに追われて逃げ切る脚力と咄嗟の状況判断からの機転、そして速やかに追撃へ移った行動力には目を見張るものがあった。次からはおとりとして大いに利用させてもらうとする」

「おとり限定の採用ですかい!」

「あくまで戦力には数えんという話だ、カーベル」


 死霊滅殺銃グールガンを磨きながら答えた少年は、ゴーストタウンと化した名も知らない町を見る。


「……」

「まったく、あれだけの数で来られちゃあひとたまりもねぇよな。一夜にして町が一つなくなる現象が存在するなんて、一週間前の俺も思わなかった」


 首の後ろで指を組み、すっかり一仕事終えた体で話す青年。

 しかし、少年は町を観察しながら眉間に皺を寄せた。


「……妙だ」

「うん?」

「状況が終了したと観測すれば、遺体と町の隠匿の為に連絡が来るはずだ。あの娘は脳内お花畑で倫理的にとち狂っている部分は否めないが、テリトリー内で起きている異変の勃発と収束ぐらいは把握しているだろうしな」

「……あのお嬢さん、そんなに人間離れしてんのかよ」

「因みに悪口を言っても観測されるぞ」


 口を抑えて辺りを見回す青年に釘を刺し(どの口がいっているのだか)、少年はベンチから降りた。町を見ていて感じる違和感の正体が掴めない。そろそろ日も暮れる時間だというのに、これはもしかすると不味いことになったかもしれない。


 青年はというと落ち着かないようで、閑散とした町を一目見る。日が西に傾いていくからか、赤い夕陽に照らされた町の壁は白の煉瓦が濁った鼠色である。日当たりがあまり良くないのか、建物と建物の間に落ちる影の色が必要以上に濃いような気がするのはきのせいだろうか?


 そんな楽観的な考察と共に顔を上げ――二度見して――絶句する。


 空は赤でも紫でもない、黒一色だった。


 具体的に説明するとすれば、町の空には蝶が居た。どうやら町中に色とりどりの鱗粉が舞い散ることでプリズム乱反射でも引き起こし視覚情報を攪乱していたらしい。町の上には巨大な鳳蝶――プシュケが居た。


 人の営みを飲み込まんとする黒蝶の異形。降り積もる灰色は黒い鱗粉の擦れた姿に他ならない。町の所々にあった黒の痕跡を他の蝶の色彩に重ねる事で隠し、究極の隠れ蓑を町の上空に作り上げていたのだ。


 青年に続いてその事に気づいた少年は眉を顰め、顎に指をそえる。


「ふむ、詰んだな」

「あー、そうだよなぁ。流石にあの規模は予測してなかったというか――って、ここまで来て怖ぇこというなよなぁああああ!?」


 ちらちらと降り始めた黒い雪(たぶん死ぬ系の鱗粉)を前に、人生に悔いなしと腕を組む少年の首根っこを掴んで前後左右に振り回す。青年は青年で、ゴーグルの内側を真っ白にして何も見えちゃいなかった。


「仕方あるまい、異形殺しブレイカーは諦めが肝心なんだ」

「諦めてたまるかよお! っつーか俺! 先週死にかけたばっかりなの! まだ生きたりねぇんだしかもこれが初仕事ぉおおお!」

「それは困ったな若者よ」

「若者言うなカラス頭ぁ!」


 漫才をする間にも、着々と降り積もっていく黒い粉。其れに混ざって上空から降って来る物がある。子どもが身体を丸めた程度の白い球が、空から落ちてくるのだ。


 ずどん! と音を響かせるにも拘らず、石畳は陥没すらしない。神秘とは悉く物理法則を無視する物なので、きっとあの球体に重みがないというわけではないのだろう。


「成程、あれが母体マザーか。降って来たのは卵だろうな」

「た、たたた卵!?」

「安心しろ、生まれてくるのは生体のプシュケ――あれは幼体としての姿は持たない筈だからな」

「芋虫が出てくる可能性を危惧してるんじゃねぇんだよ俺は!」

「そうはいってもなぁ、既に退路は断たれている。数分後にここに訪れる夜はプシュケの領域だ、万一にも我々に勝ち目はない」

「っ、十万に一ぐらいは勝ち目有るかも知れねぇじゃねえか!」


 青年は必至に頭を掻き毟った。というのも、目の前の少年は死に関して無頓着な所があるので、一週間前に自身を助けて貰った時も「ははは、死んだなこれは」とこちらの意見をガン無視する形で容赦もなく諦めようとしていた事を思い出したからである。恐らく、少年自身が既に普通の人間の在り方と大きく乖離しまっているからだろう。


 残念ながら青年はまだ人間を辞めたい訳では無い。雇い主の倫理観ぶち壊れ系ロリータお嬢様の毒牙にかかって人らしさを失くしてしまう可能性がゼロではない以上、彼は凡人らしく泥臭く生き残る道を模索し始めた。


 まず、手元に残ったスティックの残弾を確認する。一本。装填時の弾数は五。

 少年の手元にはもういくらか残弾がありそうだが、装填の時間を考えて一度に用意できる弾数は十。たった十発の水鉄砲で殺すには、この蝶は巨大すぎる。


(虫の生命力は異常だ、物によっては頭を飛ばしても暫く生きているようなしぶとい奴もいるぐらいだし、朝の鱗粉事件を思い出せば分かるように胴体が溶け消えても直ぐに羽までなくなる訳じゃあない)


 まるで黄色い煙幕を張るスギ花粉の如く、絶対不可避の弾幕が張られていてはのっぴきならないのに加えてジリ貧である。口元の黒いマスクが心許無いぐらいには、空気中に鱗粉が舞っているこの状況で、一体どうしたらあの蝶を叩き落とせるというのだろうか!


(考えろ考えろ考えろ! こんなところで人間辞めるわけにゃあいけねーんだよ俺は!)


 あまり良くない頭の中から使えそうな知識を引き出しては後ろに放り投げる。死霊滅殺銃グールガンで一度に連射できる最大数は十。あの蝶はそもそもどうやって空中を舞っている? 足元に積もる鱗粉の体積値は三ミリ。時間がない。時間が――。


「そういえばお前、あの大荷物を何処にやったんだ。ただでさえあれだけの量の化学物質は手に入れるのにも持ち運ぶにも金と労力がいるというのに――」

「――――っそれだあああああああああああああああ!!!!!」

「!?」


 あまりの声量に顔を顰めた少年を膝から担ぎ上げると、青年は頭上の巨大な蝶が先程から少しも移動していないことを確認する。


「何か妙案でもあるのか? 勿論私としても宿敵コカトリスを親子丼にするまでは死ななくとも死にたくないというのが本音なのだがな――」

「あんたが大っ嫌いな方法が一つな! 当初の予定とは用途が違うが生き残るためだ使わせて貰うぜあの――大量のプラスチック爆弾!!」

「は?」


 中央広場にある噴水に叩き付けられた大荷物。それは青年が先程蝶に襲われた時に叩き付けたものだが、そもそも彼らがどうしてそのような物騒な物を持ち歩いていたのか。それは、彼らの仕事内容と関係がある。


 異形殺しブレイカーとして此方側の世界に迷い出た神秘を狩り、できるならば被害を最小限に抑えるのが彼らの仕事だが、実際に神秘の発生を予測したり事前に予知するといったことはほぼ不可能。

 故に彼らの仕事は毎回後手後手であり、最小限の被害で浸食を食い止める事しかできない。勿論その過程で被害者が出る事だってある。


 今回のプシュケの件だって、雇い主が湧き出たのを感知して一夜で町が一つ滅びたのだ。その場合、異形がそこから移動して他の町に迷惑をかけるのもそうだが、そもそも神秘を認知する人間が多くなっても困る。


 だから、破壊する。生き残りが居ない町は、異形と共に葬り去る。何も無かった事に、何も無かったようにする――それが彼らが異形を殺した後にする後片付けなのである。


 人が人智を越える力を持つ過去の神秘を目にしたならば、必ずそれを悪用しようとする者が現れる。


 だから粉みじんにして痕跡を消し去るのだ。例えどれだけの恨みを買おうとも。持ち歩いていた荷物はそのための物で、先日教会に置いてきたものも同じ爆弾である。


 今回の設計者はカラベル――ゴーグルを目にかけたこの青年本人だ。


 だから。


「おい、待て馬鹿、この状況で爆発なんてさせたら――!」

「わーってるからやるんだよぉおおおお!!」


 起爆スイッチの予備ぐらい、言われずとも用意していた。


 ぽちっとな。







 ――その日。

 衛星から取られた映像から、西方の大陸のある地方で大きな予告の無い火花が上がったとの情報が伝えられ、一時期UFOの墜落とか隕石が落ちたとか様々な憶測が飛び交ったが、世論はあっという間に別のネタに飛びついて結局のところはうやむやになった。

 火花が上がったとされる地域には小さな町があったとされるが、そのような記録や痕跡は跡形も無く、今は草原が広がるのみだという。







「――っだぁああああああ!! 生きてる!!! 生きて帰ったぞ俺ああああああああああ!!」

「火薬が無駄になった……!! そもそも町を更地にしろと言った覚えはないんだが……!?」

「いーだろいーだろ、生き残ったんだぜ俺達は。まさかタイミング良く本当に着火してくれるとは思わなかったけどなー。何だっけ、粉塵爆発? 空気と粉が良い具合に混ざってると起きる危ない奴!」


 窮地を脱したと認識した青年は、抱きかかえていた少年を解放する。少し吹き飛ばされはしたものの中央広場へ戻る道は開けたものだった。


「っつーか上手くいったついでに肋骨の一、二本折れたんじゃねーかと思うんだけど(主に少年をかばった名誉の負傷である)、あのお嬢さんって魔法のような治療とかできる人?」

「そういう眉唾物の能力は皆無だな。あの馬鹿にできるのは死んだ人間の延命だけだ」

「限りない命を分け与える?」

「道連れの契約だがな」

「ははは、やっぱ俺、まだ人間のがいいや」


 燃えカスになった町の外れ、捻った足を引きずりながら墜落した蝶の元へ向かう。飛び散った町の瓦礫が原因で羽を失い、腹が千切れた巨大蝶は首をぐりぐり動かして今にも丸めた細長い口を此方に伸ばし突き刺してきそうな勢いだったが、そこは本業の出番だ。


 少年は青年に支えてもらいながら、瀕死の異形に死霊滅殺銃グールガンの銃口を向ける。


 弾頭装填――


「此処はお前たち神秘の同胞なきあの世の外側、生まれ出でた時はさぞ寂しいと感じた事だろう。子を成し群れを成しそして生き抜こうとした、その生命力は称賛に値するが――残念ながら此方には此方のルールがある」


 融解完了――


「冥府の眠りは箱に詰め、ここに封じることにしよう。精々彼方で美味い酒でも飲んで眠ると良い。さすれば次は愛の化身となれるだろうな」


 滅殺キル


 赤の弾丸が蝶の息の根を止める。

 銀の傷口が広がってその形を奪っていく。


 鱗粉も、町も、人々も、その営みも。


「――まあ、虫は何処まで行っても虫なのだろうが」

「冷てーなぁ。感傷とか無いのかよコルヴォ」

「これだけの被害が出て、これだけの人間が死んでいるのだカーベル。あるのは追悼の意思だけだ」


 言い切る少年に洗浄液を手渡しながら青年は苦笑いした。


 話していると、溶け消えた蝶の複眼から物が落ちた。

 煤けて汚れた金色のコインだ。


 二人は珍妙な戦利品に眉を顰め、観察する。


 コインは金色で、煤を払うと鮮やかな黄色が顔を見せた。記念メダルなのか見たことも無いデザインで、外側には「OdrWorld」の文字。


「……『激情の世界』か――前回に引き続き、変な戦利品だな」

「拾うのか?」

「一応。これでも俺にとっては唯一の手掛かりでもあるんだ」


 青年は痛みが引かない胸部を抑えながらコインを握りしめた。

 



 そもそもの事の始まりは、一週間前まで遡る――。




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