第2話 Colorful street !!


「朝っぱらから散々な目に合ったなぁ、寝ぼけた頭で発砲したからばちが当たったんじゃないか?」

「ここぞとばかりにさえずるなカーベル! ぴーちくぱーちくするのは眼光鋭い某怪鳥だけで、じゅう、ぶん、だっ」

「洗浄液使うか?」

「投げて寄越せ!」


 青年の掌を離れたプラスチック製ペットボトルが宙を舞う。少年は赤くなった右目のこそばゆさに耐えつつ、まずは左眼窩がんかへ優先してその液体をぶち込んだ。

 頭ごとのけぞってぐるんぐるんと水を回し、地面に向けておじきを繰り返す。だばああと音を立てながら、滝のような洗浄液が土の上にぶちまけられる。


 最初こそ黄色く染まっていた洗浄液も、回数を重ねるごとに元の透明に近付いていく。結局、滂沱の涙を吐き出したあとのように疲れ切った少年の顔が上がったのはボトルの洗浄液が底をついた頃だった。


 最後に洗った右目がまだ気になるのか、それともドライアイなだけなのか。ゴロゴロと血走った眼球を回しながら少年は左目に義眼を放り込んだ。


 きゅぽん、と。なんとも気持ちいい音がする。


「はー、落ち着いた」

「で、どうするんだ? 仕留めるのに毎回それじゃあ洗浄液が保たねぇぞ?」

「なぜ君は私が何度も同じ過ちを繰り返す前提で推論を組み立てるんだ」

「既にあんたの眼窩がんかを濯ぐ洗浄液が残り一本だからだよ」


 少年はフリーズした後、右方向へ首を向ける。


「左様か」

「右見ても現実は変わんねーぞカラス頭」


 げほ、と咳き込みながら青年が言う。どうやら蝶を発見したその時に少し息を吸い込んでしまったらしい。


「次吸い込んだらきついかもしれねぇ」

「構わん。何かあればあの馬鹿娘にどうにかされろ」

「俺は若い身空で人間辞めたい訳じゃあねえんだが!?」

「ならば生き残れ。それだけだろう」


 少年は悪態をつきつつ銃を上着の下に戻し、流れるように残弾数を確認する。先程一本装填したので、あと四発は使えるはずだが。


「ふむ。弾切れの心配はなさそうだな」

「つい最近補充してたもんな……」

「ああ。縛りプレイをリアル化け物相手にするものではないと魂に刻んだゆえだ」


 青年は荷物をまとめると、来た時と同じように背負う。身体が弱っていようと荷物持ちは彼の仕事らしい。

 少年は襟を正し、体中の土埃をある程度払い落として腕を組む。


「ところで、あのデカい蛾は何だ? 今回の事件の原因でいいんだろう」

「冥府の眠りを宿す蝶――プシュケ。古い神話になぞらえてそう呼ばれている」


 しかし語られる女神のような慈悲は特にもたない。巷に溢れるRPGでお馴染みの状態異常が大得意な虫だと思えばいい――少年は言いながら、木々の隙間から見える町を流し見た。


 赤や黄色や黒や緑の。色とりどりに飾られた粉の町。――鱗粉に覆われた町。もう二度と、誰も目覚めない町。


「プシュケは個体によって鱗粉の色が大きく変化するのが特徴でな。一代に一色、世代間で引き継がれる固有の毒性がある。……過去の文献と先駆者の情報によれば原因の予想はつくものだ」

「コルヴォは異形殺しブレイカーになってから、長いんだっけか」

「そうだ。こう見えてお前の何倍も生きている」

「まじかよ……あぁでも、見た目が……よし、許そう」

「今、お前に許される要素が何処にあった、おい。顔を逸らすな若者」


 お互いに溜め息を付きながら、目的の場所まで急ぐ二人。


「問題は、少々カラフルすぎるということだな」


 少年の呟きに、後ろをついてくる青年が首を傾げた。


「色鮮やかなのが何か問題になるのか?」

なのが問題なのだカーベル」


 漆黒の髪が振り向いて足を止める。


「色の数だけ蝶が居ると言えば、面倒なのは理解できるだろう」





 少年と青年は、朝日が昇った町の外に辿り着いた。プシュケが飛び回り始めるのは夕方から。その前に全ての蝶を潰す計画である。町は鱗粉に覆われているので、青年は初日と同様、口元に護符付きのマスクを着用している。


 そう。彼らはつい二日前にこの町に辿り着いた新参者である。この町の住民ではないし、この町の人間にゆかりもない。

 町の中は凄惨なもので、鱗粉の毒にやられた市民たちがあちこちで屍と化している。神秘を知らず対策のしようがない一般人であれば、一夜もあれば毒が回って死んでしまうらしい。


 前夜まで敵が二、三匹だと思い込んでいた青年は、町に入るなり嫌そうに目を細めた。

 遠くからはその色鮮やかさが目立ちすぎて、細かく何色あるかが分からなかったが――内側に入ってしまえば明確である。深緑と黄緑が違う色と分類されるといえば、事の重大さが理解して頂けるだろう。


「プシュケは単体で子をなす単為生殖個体。故に、色ごとの蝶を殺していけば着実に数を減らすことができる。ただし一匹でも残れば次の日に持ち越しだ」

「あ、あの蝶って一日で何匹も増えるのか?」

「いいや。しかし絞り取られた亡骸が多いこの現状で、彼らは十分な食事にありついていると考えられる。栄養がある内に数を増やすことができるのは虫の特権だ。我々がこの町に来るまでの間にどれだけ産んだのかは想像がつかないな」

「な、成程なぁ」


 幼虫を想像してしまって、思わず身体を震わせる青年。虫は苦手な方らしい。少年は満足そうに笑って、懐から銃を取り出した。

 朝方使用したものとは別の、赤と白のコントラストが眩しいハンドガンである。


「さて。お前は足が速いしが良い。ここからは二手に別れてシューティングだ」

「えっ」

「初仕事だぞ、喜べカーベル」

「えっえっ、俺、荷物持ちだけで良かったんじゃ」

「そんな訳あるか。飯と宿代分ぐらいは働いて貰うぞ」

「鬼畜!!」

「何とでも言え」


 嫌がる青年の掌に、特殊な加工を施したロンググローブ(銃弾を入れる要領でスティックを差し込めるポケットがついている)と、銃とを手渡す。

 全てを受け取った青年は腕にそれらを抱いたまま立ち往生してしまった。

 少年はなんてことない、とでも言うように、自らも銃を構える。


「さて、プシュケを狩るポイントを教えよう。奴らは建物の影のように涼しい場所に潜むことを好む。無論飛び立つ前に撃ち殺すのが最善だが、それが失敗した場合は全力で大通りまで後退しろ。光と熱に敏感なあまり太陽が苦手なのだ――故に、日の下に連れ出すと動きが鈍る。そこを叩くと良い」

「俺、この銃使った事ないんだがぁ!?」

「使用方法は散々見せたから覚えているだろう」

「……!」


 青年は歯を食いしばるとまずは退路を探し、それから肩を落とした。どうやら観念したらしい。


「さっさと帰るためだと思えば仕方がないけどよ……」

「その意気だ。まあ、分かっているとは思うが粉は吸い込むなよ」

「死にたくねえからそうするよ」


 青年は納得いかないと叫ぶ自分を諫めつつ、言葉に答えて振り返る。

 少年がいない。


「…………うん?」


 周囲を確認すると、ちらちらと雪のような青い粉が落ちてきた。


 頭上、人の背丈もある巨大な腹をひくつかせ、複眼を輝かせた蝶が羽ばたく。青年は装填の済んでない銃を握りしめた。


「恨むからなぁああああカラス頭ぁああああああっ!!」


 さて、既にはるか後方に居る後輩を蝶の餌食にしたと認識できたところで、少年は町の中を走っていく。

 蝶が潜む場所にはよりきらびやかに輝く鱗粉が確認できるため、丘の上から目をつけていたポイントを一つ一つ潰す魂胆だ。


 果物屋の商品に被さっている蝶を、早速潰す。


 オレンジ色の鱗粉がざわざわと音を立てて崩れ、消えて行った。周囲の壁に飛び散っていた同色の鱗粉も徐々にその痕跡を消す。後に残るのは住民の亡骸のみだ。


 少年は昨日訪れた丘の上の教会を眺める。早朝殺した蝶は黄色だった――予想通り、あれだけ降り積もっていた鱗粉が消失しているのを確認する。


「存在の事実すらなかった事に、か」


 背後の壁に留まった蝶の胸部を撃ち抜いて、また一つ消えた色を確認する。

 すると、遠くの方で引き金を引いた音が聞こえた。どうやら青年も銃が使えるようになったようだ。新しい助手は手先が器用で助かる。


「さて、こちらも乱獲するとしよう」


 黒いグリップに黒いバレル。銃口は赤。

 少年は化け物を殺す弾丸を詰め込んだ。






「く、そ、ゲーだろこれぇええ! キリングフィールドに巻き込まれる経験は間に合ってるっつーのぉおおお!」


 青年は吐き捨てながら蝶の羽ばたきを最低限避け、引きつけつつ町を走っていた。

 因みに背負っていた荷物は町の中央広場にあった枯れた噴水に叩き付けてきた。気に入っていた鞄が一次的に鱗粉に塗れるのはご愛嬌、致し方のないささやかな犠牲である。


 とはいえ、相手が一匹ならまだしも逃げ回る内に蝶の数は色とりどりに増えていき、青年は町中を駆けずり回ることになっていた。この量では太陽の下で動きを鈍らせたところで、碌に狙いを定める事もできない。

 プシュケは姿こそ蝶だがサイズも質量も桁が違う。鱗粉にだけ注意すればしいという問題ではなく、質量で物理的に追い詰められれば成す術は無いのである。


「手袋に弾こめてくれたのは嬉しいんだが、できれば散弾方式の奴を作ってほしいもん、だぜっ!」


 青年はぼやきつつ、朝少年がそうしたように赤いスティックを装填し、スライドを動かす。銃はその操作を合図にして熱を持ち始めた。


「弾頭装填――融解完了――ショット!」


 ぱしゅん。ぱしゅん。ぱしゅん。

 ひょい。ひらりん。ぱたぱたぱた。


「……」


 


「やっぱそうだよなあ!! 俺、生まれてこの方銃なんか握ったことすらねえからなぁ!!」


 マスク越しに叫び、青年は銃を手にする右手に左手を添えて固定する。

 装填済みの残弾、二。


 そうだ。一週間前を思い出せ。

 あれを生き残った自分なら、ここで当てられない筈がないと信じて!!


「うらああああああぁっ!!」


 ぱしゅん! ぱしゅん!

 すかっ。すかっ。


「…………」


 蝶は群れを成し、液体の弾頭がやってこなくなったところで鱗粉を撒き散らす!


「最早避けてすらくれねぇのかよぉ!!」


 青年は踵をかえした! 蝶が後を追う! 青年は放置された露店をひっくり返した! 蝶が後を追う! 青年は放置されたゴミ箱をひっくり返した! 蝶が後を追う! 青年は疲れてきた! 疲れた! ずっこけた!


 まさに絶体絶命である。生きて帰ると啖呵をきったわりにはボロボロだ。つい先ほど躓いたこの固い地面(石畳である)に削った額が地味に痛い――と、青年は追撃に備えて身を固めたのだが、何も起こらないことに気づいて顔をあげる。


「あれ?」


 青年が恐る恐る振り向くと、蝶は彼を追撃することはせずにひっくり返された露店のジャム瓶や、生ごみにたかっていた。


 ご存じだろうか。蝶は羽化の後、花の蜜を吸って生きながらえる種類がよく知られているが、水っぽいものであれば何でも良いとする種類もいたりする。例えば川の水。水たまりの水。砂糖水。木の樹液。そしてし尿。糞に含まれる水分を求める個体もいたりする。


 プシュケは蝶の形をとった化け物だ。


 なので、毒で殺した餌(いわずもがな)相手でも、そのストロー形状の口でぶっ刺しチューチュー吸いがちなのだが(その凄惨なシーンは町に到着した当日に嫌というほど目撃することとなった)、まさかそれがジャムや果物や残飯にまで適用されるとは思ってもいなかった。


 青年は戸惑いつつも足を止め、肩に入った力を抜いた。

 ここまでくれば後はどうすればいいのかは必然、分かる。

 食事中はどのような生き物も背後ががら空きになるものである。


「……」


 青年は無言のまま次のスティックを装填する。ランプの色が赤から緑に変化し、内容物を打ち出すことができると知らせた。


 ぱしゅん。

 じゅわあああ。

 ぱしゅん。

 じゅわあああ。

 ぱしゅん。

 じゅわあああ。


「……(俺が走り回った時間を返してくれ)」


 ――ぱしゅん。じゅわあああ。


 画期的な打開法を見出したにも拘らず死んだ目をしている青年が集まった巨大蝶を一匹残らず撃ち殺すのに、大した時間はかからなかった。







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