第1話 Wake up call !!


 あああああ! 神は死んだ!


 おお神よ神よ信者たる私達を守り給え、守り給え、いえ、いいえいいえいいえいいえ! 守って頂きたい守ってもらわねば困る!

 でなければ今日まで何のために祈りをささげてきたというのだろう! 今まで何のために神を信じてきたというのだろう!


 あああ! 足が動かぬ! 腕が上がらぬ! 指が曲がらぬ! 曲がった肘が伸びぬ! 膝が伸びぬ! 足が固まる!


 何という事だ何という事だ、末恐ろしくもこの世に私を救える者などはなからおらなんだ!


 たすけてくれ! だれか! だれでもいいからすくってくれ! おまえでもかまわない! わたしがうけいれよう!


 あはははははは! ははははは、はは。は……。


 お。


 おお、おお、おおおおお!


 おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!


 おお、おおおおお、おお、おお、お。お。


 お…………………………………………………………。








「――さて、目指すべき教会はここだというが、ここの取締はどのような野菜顔だと思う」

「さぁ。神様に仕えるっていうのならもうちょい肉つけて欲しいとは思うけどな?」

「それはなんだ、贄にでもなれという皮肉か」

「いいやあ、神様が喜ぶのは生き物の血肉、人間の血肉、植物の血肉そのものだろうと思っただけさ。まあ、オレの故郷には徴収金が高い上に指導者がやばい教会があったから私怨が限りなくゼロとは言いづらいけどな」


 自ら神を信仰している癖に何を話しているのやら、小柄な少年を引き連れた長身の青年が黄緑の丘を登っていく。


 少年はカラスのような髪の色。艶は無く、短く切りまとめられている以外には特に整えている風もない。

 青年は赤茶色い長い髪をしている。後ろ髪だけ伸ばしたそれは、毛先がばさばさと開いてしまっていた。


 少年は革靴を。

 青年は変哲もない紐靴を。


 整ったスラックスとタートルネックにセンスが良いとは言えないジャケットとの組み合わせを試みる少年と。

 作業用の武骨なズボンに白い半袖のシャツに加え、ゴーグルを目にかけた青年は共に歩いている。


「目的地だぞカーベル」

「もう着いたのか。っつーか、荒廃してんなぁ!」


 アクリル越しに見える教会の様相は酷いものだった。

 元は灰色の石を削って積み上げたものに、鮮やかな色をしたステンドグラスを嵌め込み、屋根は青灰の瓦があしらわれ、その美しさと言ったら町の名物、国の名物、これを目当てにする観光客を呼び込むぐらいのものだったはずである。


 それが、空から降って来た大量の花粉に埋もれた様に。細かい細かい黄色い粉が草の上にも土の上にも石の上にも一面に積もってしまっていて、とてもじゃあないが埃払い程度の装備では掃除しきれない程だ。


 足で踏み込むと、粉を吹く茸の胞子のように細かい粒子が舞い上がった。


「分かっているとは思うがこれらの粉をあまり吸い込むなよ」

「ういっす」


 口元を抑え、極力息を吸い込まないように心掛ける青年。少年は対照的に、舞い上がった粉を指の腹ですり合わせて「ふむ」とうなった。


「……すでに手遅れかもしれないが。ひとまず協会に入るとしよう」







 案の定。

 屍。干からびた教会の人間が彼らを出迎えた。表情からして相当苦しんだようである。


 少年は眉を顰め、宙に二重の円を切る。青年は目を背けようとする自分を律しながら、震える指で同じように祈りを捧げる。


「さて、祈りは済んだ。元凶がここに居ないと分かっただけでも朗報だろう」

「そう、っすね」

「済まないな青年。昨日、一昨日に引き続いてきついものを見てもらうことになった」

「いや、勝手についてきたのは俺だからな。気にするな」

「そうか、分かった。お前は見た目以上に非情なのだな」

「ちげえよ!?」

「心がまったく温かくないのだな」

「名前の話をするんじゃねぇ! ぶっとばすぞカラス頭!」


 少年の名はコルヴォ。髪の色に似た羽をもつカラスと同じ名前だった。

 青年の名はカラベル。髪の色に似た可愛らしいお花と同じ名前だった。

 二人は屍を放置し荷物の一部を置いたまま、教会を後にする。


 丘の上にある教会は黄色の粉で覆われているが――その眼下に広がる光景は圧巻の物だった。


 一つの町が、粉に覆われている。赤や黄色や黒や緑の、色とりどりの粉で覆われている。


 これが人工的なもので、かつ人体に害のないものであればどれほど良かったことだろう。青年は息を呑んだ。


 漆黒の髪を揺らし、少年は立ち尽くした青年の脇腹を小突く。


「まずは町を避けて降りるぞ。流石に放って置くわけにもいくまい」

「ああ。近くに木のうろでもあれば嬉しいんだがな……」


 少年と青年は黄色の絨毯を踏み荒らし、足跡を残して道を戻る。


 道中スマートフォンを取り出した少年は番号を打ち込む。粉をできる限り吸い込まないように無言のまま、きつい勾配の丘陵を下っていく。


 三コール、四コールしたところで相手側が受話器を取ったようだ。


『はぁーい綺麗好きなカラス君! 無い方のは今日も元気かなぁ?』

「ちっとも元気でない上にゴロゴロだ。点眼液がいくらあっても足りんわこんなん――それで、報告だが」

『はぁい』

「生存者はいない」

『あー。また一足遅かった感じだねぇ。仕方がないなぁ、後で火葬してあげて? 後片付けはどうにかするから』

「……了解した」

『うんうん。じゃあ、まだそっち危ないよねぇ。気をつけてね、アタシは君達がくたばっても骨しか拾えないからさぁー』

「まて、まだ切るな! ……っち、情報を渡さずに一方的に切りやがった馬鹿娘め」


 ブラックアウトした液晶画面を睨みつけながら、渋々ジャケットの内に流し入れる少年。


 しかめっ面のその左目は、右目に比べると大きな黒い瞳で――時折、人工的な反射を見せる。


「コルヴォ」

「なんだ」

「あそこに丁度いいサイズのうろがあるみたいだ。あれだけ広ければ二人でも寝っ転がれるんじゃないか?」

「私に土の上で寝ろと?」

「スペースの話だスペースの! どーせ敷物ひくんだろうが! 俺だって分かってんだよそれぐらいは!」

「おお、頼りになるなぁ。流石暖かい心をもった青年だ」

「だから人様の名前を弄るんじゃねぇ」

「失礼」


 咳払いと共に、笑いを堪えるようにする少年。青年は歯ぎしりと共にゴーグルを曇らせた。


 日が暮れた頃に辿り着いた大樹のうろは想像以上にぽっかりと穴を空けていて、中は腐り落ちた木片とそれを養分に発生した色とりどりの粘菌との宝庫だった。腐葉土の上は暖かいが、今居る地域は別段寒い訳でも暑い訳でもないので、結局二人は洞の外で野宿することとなった。


 ――さて。


 夜が明けて、日が昇ってから目覚めた青年は伸びをする。顔を洗う水は無いので所持品から取り出した布で拭いた。


 隣で死んだように眠っている少年は、まだ目覚めない様である。こうして黙り込むと悪くない顔をしているのに、口を開くと毒舌と悪態の雨が降るのでガールフレンドはいないということだった。


 青年は髪をまとめていた紐を解きながら、自らの褐色の肌を眺めた。手指を折り曲げ握っては開くを繰り返す。


 青年が少年と出会ったのはつい先日のことである。一週間前、青年は住み着いていた村を巣立たざるをえない状況に巻き込まれてしまい、最終的には巣立った。カッコウの雛には勝てなかったのである。


 朝霧が立ち込める森の中。粘菌が健やかに這っていることを考えれば、夕方の視界では確認できなかったあれこれが見えてくる。苔が地面から伸び、キノコが首を伸ばし、虫が這い、土を掘り起こす鼠が走る。


 青年はその自然の営みを目にしつつ、そう言えばあのうろの中にも面白い何かがいるのではないかと思い至った。幸い少年はまだ起床する気配がない。


 寝ぼけ眼で寝床に使わなかったうろの天井を覗き込んだ。


「うっぎゃあああ!」

「!?」


 天地がひっくり返った様な、大きな叫び声で目が覚めた少年は、空っぽの眼窩がんかを擦りながら問う。


「一体何があった」

「う、うううう、コルヴォ! 銃だ! 銃が必要だ!」

「騒々しいな」


 一応、ジャケットの内側から小型のハンドガン――のようなものを取り出す少年。

 黒と赤のコントラストが子綺麗な、しかし銃弾が飛び出すとは思えない形状をしている。

 いうなれば、それは子どもが水場で手にするウォーターガンと言った所か。

 しかし装填されるのは水でも銃弾でもなく。鉛筆のように細長くて赤い、固形のスティックである。それを所定の位置に差し込む。


 じゃっこん。


 オートマチックの拳銃でも扱うように、スライドを動かす少年。


「は、速くしてくれよぉ」

「これでも寝起きは悪い方でな。それに、性急の相手でもないだろう」

「うう……ってうぎゃあ! 義眼嵌めてから色々やってくれよ! 心臓に悪い!」

「お前が急かすのが悪いんだ……よっこいせ」


 少年は乱れた黒髪を整える様子も無く、拳銃もどきを片手に木のうろを覗き込む。


 少し離れた位置にいた青年の方まで、少年の息が詰まる音が聞こえた。


「……」

「……」

「ほらなぁ、びっくりするだろ……!?」

「まあ、そうだな。お前ほどではないが。あれだ、探す手間が省けた」


 少年は言って、夜の間に黄色に染まったのだろう、真っ黄色な粉に覆われたうろの天井に銃口を向ける。


死霊滅殺銃グールガン、弾頭装填、融解完了――ショット」


 赤色に銀が混ざった流動性の高い弾頭は、天井に張りついた子どもの背丈ほどある巨大な蝶類の胸部を打ち抜いた。


 声帯の無い化け物が、溶け行く胸部に悲鳴をあげる。


「まずは一匹」


 ――少年は、人智を越える化け物を殺す者。


 人を脅かすそれらの駆除と、その痕跡の回収と破壊。存在の証拠隠滅。

 これらが全て、彼が担う役目である。


 ただし。


 今この瞬間、射手の顔面には体躯を失くした巨大蝶の黄色い羽が降りかかった。


 一秒遅れて、羽の先端まで溶け消える化け物。


 残された粉まみれの頭で、うろから這い出た少年はしばらくして、腐葉土の上に膝を落とした。


「――うばあああああっ! 顔が痺れるううううううう!!」


 顔面という薄い皮膚に付着した大量の鱗粉が少年を襲う!

 小柄な体躯をごろごろごろごろ転がして、土の地面に鱗粉を擦り付けながらうろの開いた切り株周囲をぐるんぐるんと周回する!


 青年は側で頭を抱えた。最悪のウェイクアップコールだと冷やかして。

 少年は思った。そんなことより眼窩がんかがすこぶる痒いと。


 これは何処かの国の話。

 かつて滅びたはずの神秘が現代に迷い出るようになった地方の話だ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る