中編

「久しぶり」


 本当に久しぶりなのだ。

 約3年ぶりである。

 

 かすれた声で、中に入らないかと聞いたが、彼は首を横に振った。「すぐに行かないといけないから」と。


「やっと掴み取った」


 彼――秋人あきひとはそう言って、白い歯を見せた。浅黒い肌とのコントラストで目がくらみそうになる。夏は夏で太陽の日に焼かれ、冬は冬とて雪で焼ける。彼はそうして、3年の間、己を鍛えてきたのである。


「いままでの努力が報われる時がきたんだ」


 そう話す彼の顔は晴れやかだ。

 分厚い手袋を脱いだその大きな手を固く握り、それをこちらに向けてくる。その固い拳に、恐る恐るこちらの小さなそれをコツンとぶつけると、彼は「覚えててくれたか」と照れたように笑った。秋人と疎遠になるまで――彼がその才能を見出され、その施設に行ってしまうまで――よくこうしていたのだ。学校のテストで良い点数が取れた時、2人で共謀したちょっとしたいたずらが成功した時などに。


「出発はいつ?」


 彼のまぶしい笑顔を直視出来ない。視界がぐらりと揺れたような気がして、下駄箱に手を付いた。


「明日の朝。それで、その……」


 そこで秋人は声を詰まらせた。


 ああ。あのだ、と思った。


 3年前、秋人があの施設に行くことになったその朝のこと、彼はやはり拳をこちらに向け――あの時の拳はまだ小さかったけれど――言ったのである。


『ここを出る時が来たら、その時はお前も一緒に行こう』と。


「そんなの駄目だよ。足手まといになるだけだから」


 そう返した。自分の存在が彼の枷となってしまうと思ったからだ。

 しかし彼は、首を振って言うのだ。


「足手まといなんかじゃない。お前だってここでくすぶってて良いわけがない。必ず迎えに行く」と。


 そこまで言われれば悪い気はしないもので、それでも「秋人の気が変わらなかったらね」なんて返した。決して期待してはならない。そう思いながら。


 そして秋人は予想通りに言った。


「一緒に来ないか」


 やっぱりか、と思った。

 まっすぐな秋人らしい。ちゃんと約束を覚えてくれていたのだ。そのこと自体はとても嬉しい。


 が、それを受けることは出来ない。


「ごめん。それは出来ない」


 秋人の方では変わらなくとも、こちらの方で変わることもある。

 彼はこの言葉にかなり驚いた顔をした。そして一言、「どうして」と吐き出した。


「一緒には行けないけど、後から必ず行くから」


 精一杯の作り笑いでそう返す。

 すると彼は、『後から行く』という言葉で幾分か納得したようだった。つまりは、「明日の出発には間に合わないが、後日合流する」とでも解釈したのだろう。それで良いのだ。というか、いきなり明日出発すると言われてついて行ける方がおかしいと思う。


「それじゃ、向こうで会おう。電話番号はあれから変わってないから、連絡くれよ」


 そんな言葉を残して彼は去った。


 ごめん。


 やはりよたよたと右に左にと揺れながら小さくなっていくその背中に、そんな言葉をかけた。聞こえているはずはないけれど。

 

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