雪を溶く熱

宇部 松清

前編

 今夜も良く降るなぁ。


 そんなことを考えながら、二重窓を指でつぅ、となぞる。

 カーテンを湿らせるほどに結露したそのガラスに、粗末な線が引かれる。


 窓の外は夜の闇である。

 しかし、その風景の全てが濃紺の闇というわけではない。

 指で引いた歪な線の下には、こんもりとした白がある。雪だ。闇の中でも不思議と雪は白いとわかるのだ。雪は闇に負けない。決してそれら自身が輝くわけではない。けれども、静かに己を主張する。


 ――いや、違う。

 静かに、なんていうのは嘘だ。


 雪は、ただ静かに積もるだけではない。

 天からひらひらと舞うように落ちてくるものばかりではない。例えひらひら落ちたとて、乾いた季節の雨のように『恵み』などと有難がられることだってほとんどないのだ。

 風の強いこの地域では、雪は、時に視界の全てを奪うほどに激しい。いまはまだ、凪いでいるといっても良い。そう、これくらいなら。


 だって、真下に降っているから。


 風がある時の雪は、当たり前だが、真下には降ってこない。鋭い角度をつけて、防寒着の隙間を狙うようにして襲い掛かってくるのだ。


 だから今夜の雪はかなり大人しい。

 ただ、粒が大きい。

 結晶同士が緩く手を繋いで、仲良く落ちてくるその雪は、ここでは『ぼた雪』と呼ばれている。他の地域では、『牡丹ぼたん雪』とも呼ぶそうだ。水分量が多く、牡丹の花びらに似ているからだとか。けれども、ここいらでは、そんな洒落た言い回しでもなければ、美しい意味も持たない。ただ単に、ぼたぼたと落ちて来るからそう呼ばれている。


 明日の雪かきは厄介だ。


 この光景そのものは美しいと思うものの、そこに労働が加わるとなると話は違ってくる。明日のためにそろそろ寝ようか、とカーテンを閉めようとした時だった。


 ぼたぼたと降る雪の中を、右に左にと大きく身体を揺らしながらこちらへ向かって歩いて来る者が見えた。


 懐中電灯で足元を照らしながら、昼間には確かにあったはずの道を探しているようである。ただ、その道は絶えまなく降り続けるぼた雪によって消されてしまっているらしく、時に道を外れては足をとられている。


 誰だろう、こんな時間に。

 けれどまさか、ウチに来るわけではあるまい。


 そうは思うものの、この辺りにある家なんてここくらいしかない。商店の類はとっくに閉まっている時間だし、コンビニエンスストアなんてものもこの辺りにはないのである。


 だから、きっと、ここに来るのだ。


 その可能性に気付いていないわけではない。

 そして、来るとしたら、あれが誰なのか、という見当もついている。あのもこもことした厚い防寒着の下を想像する。もう久しく会っていない。だけど、容易に想像はつく。きっとたくましく成長しているのだろう、と。


 と、黒い塊のようなは、こちらをちらりと見て、手をあげた。それにつられてこちらも手をあげる。


 やはりここに来るのだ。


 そう思って、彼を迎え入れるため、玄関へと移動した。久しぶりに顔が見られると思って、少し浮き足立っている自分が嫌だ。

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