04 回復魔術

「冗談……だろ?」


 冗談だと思いたい様な光景……だけども目の前に広がる光景は決して冗談でもなんでも無い。

 俺は少女の前に屈みこみ、そして一つだけ安堵できる情報を得る。


「……息はある」


 ひとまずそれが確認できて、ほんの少しだけ気が楽になる。

 だけども状況そのものは決して安堵できる物では無い。


「そ、そうだ、救急車……ッ」


 俺はポケットに入っていたスマホを取り出し、救急車を呼ぶ為に119の番号を打ち込もうとする。

 そしてその途中で気付きたくもない事に気付いた。


「クソ、圏外かよ……ッ!」


 この建物自体が電波を遮断しているのか、電波が届かない様な海外に飛ばされたか……。

 そこまで考えた所で、自分でも瞬時におかしいんじゃないかと思えてくる様な可能性が脳裏をよぎる。


 そもそもの所、本当に俺が居た世界なのか?


 謎の建物。

 トロール。

 そしてドラゴン。


 本当にファンタジーな存在で、建物以外は現代日本を含めて世界中を探しても見つからない空想の産物に思える。

 そんな物が当たり前の様に現れたこの場所は、本当に俺が今まで生きてきた世界なのか?

 そして俺はその疑念を少しでも確信に近付ける、物凄く身近な要素に目を付ける。


 ……水色


 俺の前で血を流しているこの女の子の髪の色は水色だ。


 染めていると言ってしまえばそれまでだが、こういう色は少なくとも俺はコスプレ位でしか見たことが無い。

 おそらく日常的にそういう風に染めている人もいるだろうけど、その絶対数は少ないだろう。

 それ故に……そしてこの状況も合わさって、それが地毛に思えてくる。

 そしてそれが地毛なのだとすれば……そんなのはきっと地球上では起こり得ない。


 だったらなんだ、俺は一体何処に居るんだ?

 いや、そんな事よりも……この建物の外に。

 海外か。もしかすると地球上のどこかではないかもしれないこの世界に……この子の怪我を治せるレベルの医療機関は存在するのか?


 分からない。

 何も分からない。

 ここか日本なのか海外なのか。

 それとも地球ですら無いのか……外に出ればこの子を助けられるのか。

 何一つ理解できない。


 だが一つ、素人目で見ても分かる事。


「……時間がねえ」


 間違いなくこの子はこの建物を出るまで持たない。

 ほぼ確実にその前に息絶える。


「だったら……どうすればいい?」


 とにかく止血……でもどうやって?

 こんなもの学校の保険体育で習う様な応急処置じゃどうにもならない。

 そんなものでどうにかなる領域は当の昔に越えてしまって、完全に外科医か回復魔術師の治癒を必要とする領域に到達してしまっている。

 いや、ちょっと待て……回復魔術?


「そうだ……それだよ」


 今まで自分で回復魔術を使うなんて事は無かったからすぐには思い付かなかったけど……俺にだって回復魔術は使える。

 しかも回復魔術に関しては平均程の実力はあったと自負している。


「だけど……やれるか?」


 平均程度に使えるにも関わらずそうした選択肢に思い至らなかった理由……それはきっと、そもそもの所その平均点がすこぶる低く、使い物にならないレベルだからだ。


 魔術の全てがRPGの様に簡単な仕様だという考えは大間違いで、回復魔術も使えば対象のHPが一定値回復する様な甘い物では無い。


 回復魔術は徐々に対象を回復させていく魔術だ。

 この子の様な状態の怪我人に対して使用した場合は、血液の生成、破れた皮膚を繋ぎ合わせるなどの事をゆっくりと行う。


 そう……ゆっくりと。


 俺の素の力……平均そのものの回復魔術を用いて治療を行った場合、掛る時間は計り知れない。

 なにしろ転んだ擦り傷を治すのですら、人間の自然回復を度外視した計算で約三時間近く掛る様な代物なのだから。


 それこそこんな状況をなんとかできるのはごく僅かの一握りの人間。

 だから誰かを助けたい人間の多くは、回復魔術師ではなく医者を志すのだ。


 ……だがそれでもこのまま何もしない訳にはいかない。

 俺は右手を少女に翳し魔術を発動。右手の甲に緑色の魔法陣が展開され、少女の倒れている床にも同色の魔法陣が展開される。


「……頼む」


 これは賭けだ。


 発火術式。肉体強化。

 それらと同じ様に回復魔術も強化されてはいる。

 魔法陣からは大量の光りの粒子が浮かびあがり、それらはやや薄い黄緑色をしていて、回復魔術はその色が黄緑に近づく程効力が高い事を意味するから、それは分かる。


 だけど少なくとも以前テレビで見た最高位の回復魔術師には及んでいない。あの色彩を出せてはいない。


 俺の色……この薄い黄緑がこの子を治す為の及第点に達しているかどうかは分からない。


 だからこそ賭けだ。

 それしか選択肢が残されていない。


「うまく行ってくれ……ッ」


 成功する確率なんてまるで分からない。失敗すればこの子は死ぬし、多分俺だって立ち直れる自信が無い。

 とにかく……とにかくこの賭けに勝たなければならない。


「……頼むッ」


 俺は再びその言葉を口にし、集中の海に身を投げ出す。







「ハァ……ハァ……クソッ」


 一体どれだけの時間が経過したかは分からない。

 それは数十分か、もしかすると数時間か。

 そんな時間感覚を失う程の緊張感が俺を埋め尽くす。


 ……依然出血は止まらない。


 だが一分間に流れ出る血液の量は減って来ている様に思えた。

 依然大量出血という言葉がしっくりくるが、自然回復力と俺の魔術の効果で幾分かマシにはなっている。

 なっている筈だ。

 だって依然大量の血液が流れながらもまだ息がある。

 という事は血液の生成量が出血量に辛うじて追い付いているという事なのだろう。

 それはつまり、時間を掛けさえすれば目の前の女の子を助けられるという事になる。


 ……時間を掛けさえすれば。


「……マズイな」


 力は及第点に達している。

 今の俺の回復魔術は目の前の少女を助けられる程のポテンシャルを秘めてくれている様だ。

 だけども……足りない事が一つ。


「……歯ぁくいしばれよ、俺」


 場数の不足。

 それによる集中力の欠落。

 魔術を扱う際にはそれ相応の集中力が必要となる。

 故に長時間の魔術の行使は相当体力を削られる作業となる。


 それでも肉体強化などの日常的に使う様な魔術ならばまだ慣れがある分楽なのだが、回復魔術を……それに人の命が掛った作業など慣れている筈が無い。


「……あとどの位持つ」


 俺の集中力はもう限界に近かった。いつ回復魔術が途切れても可笑しくは無い。

 ……せめてこの子が目を覚ませば。


 そうなれば俺だってある程度安堵し、残りの治療を済ませられるかもしれない。

 それどころか目を覚ます事によって、この少女自身が何かしらの方法で自らに治療を行うかもしれない。


 そう……目を覚ましてくれれば。


 ただ此処が何処か分からなくても、都合のいい事はそう起こらないという現実は変わりはしない。

 俺の魔術が強化された事が都合のいい事だとすれば、都合の悪い事だって起きる。

 世界はきっと、そういう風にできている。


 だから……目を覚ました。


 その事から一つ分かる事があるとすれば、俺がしくじったんだと言う事。


 背後から鳴り響く咆哮。

 起き上るために四肢でも動かしたのだろうと推測できる轟音。

 少女から目を逸らさない今でも、何が起きたか分かる。

 目を覚ましたのだ。


 俺が倒したと思いこんでいた……白いドラゴンが。

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