第5話 植木鉢の秘密

 ワーズから竹平はクァンの店にいると聞き、史歩から芥屋へ送ったと聞けたなら、彼の無事には安堵したものの。


 なんでなんでなんでなんで!

 どうしてどうしてどうしてどうして!!

 何だって私はこんな人を頼ってしまうの!!?


 言葉にならない怒りが泉の頭をぐるぐる巡る。

 紙皿に焼肉が乗せられたなら、その正体を知っていようが、フォークで一突き、そのまま口へと運んでいった。絶えず口を動かし細かく粉砕しては、ごくんと飲み下す。

 泉が現在いるのは、クァンの店の舞台上。

 何故か焼肉パーティが展開されているそこに椅子はなく、取り仕切る史歩に促されてそのまま座れば、程なく焼肉が目の前に置かれた。肉の正体は幽鬼だと意地悪く史歩に言われたが、泉は躊躇せずコレを口に入れ――

「……綾音、味わって食べてるか?」

「はいっ、とっても美味しいですよ、史歩さん!!」

「そ、そうか……ほれ」

 涙混じりの睨みに、鋭い刃を思わせる瞳を気まずそうに逸らしつつ、おかわりの肉を皿へ乗っける史歩。

「ありがとうございます!」

 礼だけはしっかりと述べ、これを頬張ってはまた、へらへら笑って同じモノを食べるワーズを睨んだ。相も変わらず品のない音を立てる割に、斜め正面であっても口の中を見せない男は、中の物を呑んでから言う。

「わー、泉嬢、大喰らいだねぇ? これはたくさん育つね、横に」

「ぅぐっっ!!」

 容赦ない発言に喉が詰まった。

 どうやらこの男、先程から泉が睨みつけているというのに、その原因どころか睨んでいることさえ気づいていないらしい。

 胸を叩けば、左隣に座っていたクァンが手を伸べる。

「い、泉! ほら、吐きなさい。え、嫌? じゃあ、これお飲み」

 そうして渡されたのは、葡萄ジュースと思しき液体が入った、木製のジョッキ。

 一口飲み、少しだけ咽た。

 拍子に詰まりが取れて、自然とため息が出る。

 クァンと合流したのは、ワーズが泉へ抱き締めた理由を述べて後。

 ちなみにシウォンは、どういう経緯かクァンと連れ立って現われた司楼が連れていった。その際、ワーズが面倒臭そうに長方形の大きな箱を司楼へ渡していたが、当の店主へ怒りを滾らせていた泉には、その中身が何と思う余裕もない。

「良かった良かった。――にしても、喉が詰まった時は吐き出すのが一番イイんだ。憶えておいで」

 髪を撫でられ、新しく得た処置法に頷きつつ目を瞬かせる。すると、喉を詰まらせたランにジュースを差し出したのは、まずかったのかもしれない。

 いつかの昼食を思い出しつつ、残りのジュースを飲み下す。

「…………あの、これって、何のジュースだったんですか? 何だか妙に……お腹が熱くなって、それに……口の中がちょっと渋いんですけど?」

 嫌いな味ではないが、ジュースにしては甘くない。

 不思議そうに縁についた雫を舐める泉に対し、クァンは似たような顔をして言う。

「ジュース? そりゃ酒だよ。葡萄酒、ワインって奴さ」

「ワインって…………ええっ!?」

 驚きに目を丸くして、思わずジョッキを覗き込む泉。

 彼女の想像にあるワインは、洒落たグラスに注がれる代物であった。

 第一、元居た場所の、未成年は禁酒という法律を意図せず守り抜いてきた泉だ。

 料理に使うことはあっても、単体で飲んだ憶えのない味は、初めてのモノだった。

(……あれ? それじゃあ私、お酒で記憶を飛ばしたわけじゃないのかしら?)

 じわじわと熱くなる身体の感覚も戸惑いばかりで、覚えがなかった。

 二日酔いで記憶を飛ばしたランを見て仮定した、飲酒による記憶喪失は違うらしい。

 では――? とジョッキへ首を傾げた泉が、考えに耽りかけた矢先。

「ええっ…………って! 泉、アンタ、酒呑んだことないのかいっ!?」

「へ?」

 大袈裟なくらいクァンが叫んだ。

 続き、

「おいおい、どこのお嬢さんだよ、お前」

「はい?」

「泉嬢……本気?」

「はあ……」

 史歩どころかワーズまでもが、信じられないという眼つきで泉を見ている。

 今まで酒を呑んでいなかったことの、どこが悪いのか分からない泉は、頬を掻き掻き。

 大体、世の中にはランのような下戸だっているのに……それに。

 はっとして、史歩へ問う。

 ランが生まれる前からいると聞かされても、外見年齢は泉とさほど変わらない彼女へ。

「ええと、じゃあ、史歩さんの居た場所って、未成年は飲んでも良いんですか?」

「あ? ああ……いや、男の場合は大体元服前後だったかな? 女の場合は初経後一年経過してから迎える月経の後だ」

「げっ……」

 さらりと答えられ、なんとなく泉は赤くなった。そして、なんとなくワーズの様子を伺うと、この場に一人しかいない性別・男は眉根を寄せていた。

「んー? ボクの記憶に間違いがなければ……確か、泉嬢の居た場所も、同じくらいの年の子たちが――」

 と、ここで大きく唸りを上げたワーズの腹の音。

 言葉を噤み、腹を擦ったワーズは、銃口をこめかみに押し当てた。

「ま、いっか。今は嗜好品より食べ物だねぇ。泉嬢も結構いける口みたいだし、酒の話は後にしようか」

 ぐりぐり銃を捩じりつつ笑い、足の短いグリルから焼けた肉を取る。

 まだ湯気立つ熱々のソレを熱せられた鉄串ごと頬張れば、ワーズの口の中からじゅうっと嫌な音が響いた。

「わ、ワーズさん?」

 酒で途切れた怒りを再燃させることもなく、案じる声を掛けたなら、ずるりと鉄串を引き抜いた店主は「ん?」と首を傾げた。その、あまりにのほほんとした様子から、心配は杞憂であったと知るものの、呼ばれたワーズは要件を言うまで泉を見つめるつもりらしい。

 じーっと見つめられる気まずさに、泉は一瞬押し黙り、。

「お腹の音……いつもよりすごいですよね。ご飯、食べていなかったんですか?」

「ん。まあ、ね。起きてすぐ、泉嬢いないの分かったし。食べてる暇なんかなかったから」

「そう……でしたか」

 呟いた泉は、急に申し訳なくなり俯いた。

 あの食欲を抑えてまで、竹平と、そして自分を探してくれたのだと思えば、多少、デリカシーに欠ける言葉をかけられたとしても、許せる…………訳ではないが。

 握ったコートのくたびれ具合を思い返せば、仕方ない、くらいには感じられた。

 心情は吐息として唇を震わせる。

 怪我で使えない右手の代わりに左手を用い、床に置かれた紙皿の肉をフォークで突っつく。焼けた生白さにフォークを置いた。

「……ワーズさん」

「ん?」

 顔を上げたなら、頬張る白い面。口一杯に詰め込んだ顔には毒気を抜かれつつも、至って神妙な面持ちで尋ねる。

「猫が自分の一部を提供って……繋がりがあるって……もしかして――」

 徐々に下がる視線。

 自分で投げかけた真実から目を逸らすようでありながら、捉えた生白さはある物を泉に思い出させていた。

「もしかして? んー、もしかしなくても、だよ? 教えたでしょ、ボク。根づくまでの時間短縮に、アイツの一部使ったって」

「やっぱり……あの腕、だったんですね? しかも断面少し切ってって……それを猫にあげたから前足が白くなってて」

「おお。よく憶えてたね」

 さして感心した様子もないへらり顔の拍手を受け、泉はがっくり項垂れた。

 が、ひやりとした空気を感じたなら、恐る恐るそちらを見やる。

「し、史歩さん……」

 グリルの肉を引っくり返す袴姿の、妬ましいと無言で語りかける目玉と出くわした。

 身を引けば、何も知らないクァンが首を傾げる。

「腕? ってぇのは、あの植木鉢かい? そういや最近見てないが、どうなったんだい、アレ?」

「綾音が喰ったんだとよ」

 間髪入れず、獣の唸りを思わせる低さで史歩が答えた。

 もしもここに猫がいたなら、事態はもっと深刻になっていたかもしれない。

 泉はこっそりと、クァンの店へ入る前、何処かへ立ち去った猫に感謝しておく。

 話題を変えようとして、殊更明るく問う。

「そ、そういえば、ランさんはどうしたのかなー? っと……?」

「ああ、ランなら強制労働中だよ。今度は無事帰って来られるかどうか。何せ、肝心の狼首が”重傷”だし? その分、数と激しさは増すばかりでしょ?」

(…………聞かなきゃ良かった)

 へらりと言われて後悔する。

 まだ、史歩から睨まれていた方がマシだったかもしれない。

 そう思い、彼女を見たなら、そそくさと顔を逸らされた。

 ランへは軽口を叩いていた気もするが、この手の話は苦手らしい。

 ……泉とて得意ではないが。

 そこで視線は店の方針からこういう話が得意そうなクァンへと移る。

 しかし、これもぷいっと逸らされてしまった。豊満な胸を隠すデニムジャケットを握り締める様から、意外に純情なのだと泉は理解する。

 ――逸らした陰で、ランの名に怯える顔なぞ知る由もなく。

 奇妙な沈黙が落ちた。

 とりあえず、目についた肉をフォークで刺し、口に入れた。

 幽鬼という食材への抵抗は、散々喰わされても完全には消えないが、自分用の器に乗った食べ物を粗末にすることは赦されない。

 泉はそう、教えられていた。

 かといって、もう食べる気はなかったので、フォークを咥えたままで紙皿を畳む。

「泉嬢、危ないよ」

 すると黒いマニキュアの白い手が伸び、フォークが優しく引っこ抜かれた。まだ口に物が入っている状態では喋られず、すみませんと会釈するため顔を上げたなら、

「っ!」

 危ないと言ったその口に咥えられているのは、タイミングから言って間違いなく泉が使っていたフォーク。――ではなく、正真正銘、ワーズのフォークなのだが、物を咥えたまま喋っていた姿を知らない泉は、畳んだ紙皿の上に置かれたフォークも目に入れられず、

「わ――――んんっ!?」

 瞬間、真っ赤な顔で抗議の声を上げかける泉。

 だが、発する前に何かが口に突っ込まれたなら、反射で閉じた唇が挟むひんやりした体温に目を白黒させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る