第14話 代償
周囲が炎に包まれる地へ、身体が下ろされる。
暑さから立っていられず座り込めば、シウォンが気安く頭をぽんっと叩いた。
「すぐ終わる。少し待っていろ」
こくり、頷いた。
シウォンの去る気配があっても追うことなく、左手を地に着いては、朦朧とする意識を冷ますように荒い呼吸を繰り返す。
だらだら流れる汗が気持ち悪い。
滴る顎先を痛む右腕で拭うと、拍子に映る、ツェンの姿。
「やぁっと放れたぁ~。緋鳥ぃ……今、行くからねぇ?」
うっとり微笑んだ手が伸べられ、炎が合わせて立ち上がり、
「どこを見てやがる、餓鬼」
低い唸りを上げるシウォンが、目に見えぬ速さでツェンの隣に立ったかと思えば、即頭部を鋭く殴りつけた。
「きゃうんっ」
途端、炎が向きを変え、吹き飛ばされたツェンを包み込む。
「ちっ……浅かったか」
無闇に炎の中まで追わず、降りかかろうとする火の粉を避けるシウォン。
炎に弄られる家の一角が崩れ、ぬったりとした動きでツェンが起き上がった。
「ぁううううう……酷い……痛いよぉ。どうして? 私は緋鳥と一緒にいたいだけなのに。なんで、邪魔するんだよ。緋鳥もさ、酷いよ。最初はとても優しくて、私のこともツェンって、慕ってくれたのに。好きだって言った途端、遠ざけて。私……何か、気に触ることしたのかなぁ?」
「…………」
ぼんやりした表情の、虚ろな問いかけ。
シウォンは「くだらねぇ」と吐き捨てるが、泉の胸は何故か逸った。
炎の暑さを忘れるほど、締めつけられる心。
ツェンの言葉に同調し揺れる瞳。
極々自然に涙が浮かんでは、零れる前に嗚咽が上がった。
「っ……」
それは小さな、微かな音。
だがしかし、炎の中にいるツェンは、シウォンより早くこれを察知し、泉を見ては泣きそうな顔で笑う。
もしかしたら本当に泣いていたのかもしれない。
荒れ狂う炎の中では、蒸発してしまう涙を流して。
勘違い、したまま。
「泣いてくれるの、緋鳥……私のために。大好きだよ、緋鳥ぃ……君は優しかったから。……でも」
赤い瞳から表情が抜け落ちた。
くてんと傾いだ美貌は、人形めいた冷たさで告げる。
人狼でさえ手を出せない灼熱の火に巻かれながら。
「私を拒絶する君は嫌だ。私を罵倒する君は嫌だ。私から物を奪う君は嫌い。……私から、君を奪う、君は大嫌い。……別に想い合えなくたって良かったんだよ。断られても、今まで通り、私を認めて、私を呼んでくれるなら、それで構わなかったのにっ」
天を押し上げるように両の手の平が上がる。
頭の位置を戻し、ツェンはふにゃりと相好を崩した。
「緋鳥ぃ……大好きぃ。でも…………大嫌い」
ツェンの宣言に合わせて、辺りの炎が距離を狭めた。
「くっ」
併せ、方々から飛び出す炎が狙うのはシウォン。
泉へは、ツェンの炎が待ち構える。
けれど逃げもせず、目すら背けず、泉は歪んだ視界でその姿を眺めるだけ。
「泉!」
炎を避けつつ、こちらへ走り寄るシウォンだが、辿り着く前にツェンの腕が振り下ろされた。
「私の名前を呼んで! 拒絶……しないで?」
「っ」
動こうと思えば動けたのかもしれない。
しかし泉は迫り来る火炎を見つめることしかできず――
ぐっと、引かれる身体。
涙の乾いた視界に映る姿は、青黒い人狼。
己を中心とし、遠心力で泉を軽く放る――逆の手。
「がぁっ」
「シウォンさんっ――く!」
投げ出された身体は地を摺るが、構って入られず身を起こす。
眼前、ツェンと泉の間に立つ、シウォンの左腕に瞠目する。
白い衣が焼失した肘から下にかけて、黒い煙と共に焼け焦げたニオイが発せられていた。
泉を狙う炎に自らの腕を喰わせ、焼け爛れた黒は、青黒い毛並みの艶やかさとは程遠い。
今度こそ、確実に、自分のせいで傷ついてしまった者を目の当たりにした泉。
動揺から首を緩く振れば、かしゃんっと小さな音を立てて、かんざしが落ちた。
目で追う深紅の花芯の中、逆さまの世界、シウォンの陰から炎を纏う鬼火がやってくる。
痛みに荒く息つくシウォンからは、先程までの余裕は感じられない。
ツェンのせせら笑う声が響く。
「ふふ…………あはははははは。変なの。アレだけ煽っていたくせに、一回当たった程度でソレ? ああ、でも、だからか。火の粉も避けてたし。見くびってた訳じゃないんだ。鬼火の炎がどれだけ危険か、知ってたのか。なんだ。さすがは人狼。回復の程度もどれくらい鈍るか、知ってるんだろう? あはははは。すごいすごい。すごい……怖い、な」
顔を上げれば、震える身体を抱き締めるツェンの姿があった。
俯く白い髪の中、陰る顔。
上目遣いの赤い瞳だけが、シウォンを射貫く。
「怖い……とても怖い。君は恐ろしい。放っておいたら、私が死んじゃう。私にはもう、私しかいないのに…………ああ、そうか」
熱い吐息がツェンの喉を鳴らす。
白く長い髪をかき上げながら顔を上げたツェンは、美しく柔らかな微笑みを、シウォンへ向けた。
「そうだ。君が死んじゃえ。そうしたら、私は何も怖くない……何も何も何も何も――」
ツェンの笑みが深まるにつれ、灼熱の炎が彼の内から生じる。
纏わりつく炎を愛でるようにツェンが手を伸ばし、
「バイバイ」
「シウォンさん!」
叫べば、目の前が白い光に包まれた。
眩さに怯み、閉じた瞳が映すのは、赤い――闇。
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