第13話 凪ぐ告白

 意識が回復して後、大体のことは自分の中の彼女から聞いたと、かのえは困ったように笑った。

「酷いよね」

「…………」

 返す言葉は竹平にない。

 かのえは察した様子で苦笑を深め、散らばる人魚の残骸を避けながら白い砂浜に座る。

 目で追っていた竹平も、促されるよう隣へ移動し、胡坐をかいた。

 見つめるのはかのえ同様、黒い海面と暗い空に浮かぶ、二つの白い月。

 白い砂浜を染める赤いゼリー状の広がりと生臭いニオイさえなければ、幻想的でさえある光景は、だからこそ、今が現実だと知らしめる。

 ふ……、とかのえから吐息が零された。

「なんて…………本当に酷いのは、私かな? 竹平君巻き込んで、こんなところに来て。人間辞めちゃって」

「かのえ……」

「ふふ……なぁに?」

 隣に座る少女が、覗き込むようにこちらを見ても、竹平の顔は境もおぼろげな黒い水平線を向いたまま。

「お前……帰らないのか?」

 ストレートに尋ねた。

 かのえの身体が、もう人ではないと聞かされて、ずっと引っかかっていたことを。

 対する彼女は目を真ん丸くし、姿勢を正しては再び竹平と同じ方を向いた。

「……まさか、そう来るとは思わなかったな」

「帰らない、のか?」

 重ねて問う。

 視界の端で、かのえが鼻を掻いた。

「うんとさ…………竹平君、怒ってないの? ううん。嫌じゃない? 私さ、あなたのこと、その、殺そうとしたんだよ?」

「…………」

「あ、それとも帰る方法を心配して? う~ん、そっかぁ。帰るには、私と一緒じゃなきゃ駄目だっていうし」

「それ……あの女から聞いたのか?」

 竹平が示したのは、かのえの中にいる人魚。

 しかし、かのえが肯定したのは別の名前。

「うん。クァンから聞いたの。人魚の天敵の鬼火なんだけどね、人間って思ってる内は、色々教えてくれて…………そうそう、そういえばクァン、言ってたな。条件揃わなくても、帰る方法は他にもあるから大丈夫だって」

 良かったね、とこちらをまた見る目を、今度は見つめて言った。

「……帰る気、ないんだな」

「……うん。帰れないよ。もう……人じゃないし」

「そう、か」

 頷き、もう一度前を見つめ、視界に入る白い道化を認めた。

 こちらをじっと伺うだけの人魚たちは、不気味なオブジェのように佇む。

 ニオイはキツくとも、存在感はほとんどない。

 会話の内容を聞いて、何か反応する素振りもなかった。

 この海辺には、竹平とかのえしかいない錯覚に陥る。

「じゃあ、俺も――」

 残ろうか。

 口にしかけた言葉は、かのえの「駄目だよ」という声に押し潰された。

 静かな染み入るような響きに。

 竹平の顔が苦渋を示す。

「何でだよ」

「……竹平君、戻れるもの。私は……人のままでも、戻れないから」

「どうして」

「うん。……私ね、人を殺してしまったの」

 目にする凪いだ海のように、抑揚のない声音。

 かといって、感情が抜け落ちたわけでもなく、日常会話をしているような、そんな落ち着きがあった。

「…………」

 思い出すのは、かのえが泉を殺そうとしたと聞かされたこと。しかし現在、人魚たちは泉を迎えるべく動いている。結末はさして変わらないだろうが、過去形で語るにはまだ早い。

「泉の……ことか?」

 とはいえ、竹平にはその名前以外浮かばず尋ねれば、かのえは首を振った。

 次いで、両手首に巻かれた、デニム生地の布をゆっくりと取る。

 現れたのは、雑な縫合跡のある右手首と、掻き傷のように皮膚が剥がれた手首。鼻を衝く生臭いニオイが、傷痕の奥にある、生白い肌とゼリー状の赤い肉からもたらされ、かのえの身を人ではないと強く印象づける。

「この傷、ね。竹平君から電話あった時にはもう、あったんだ……エナって知ってるでしょ? 春日エナ」

「……確か、お前と同じ事務所のヤツだよな?…………違ったか?」

 記憶を漁って手繰り寄せた名前。

 告げても返事がないため、段々自信が無くなれば、かのえが哀しげに笑う。

「そっか…………竹平君の中であの子の扱いって、本当に、そんなモノだったんだ」

 しばらく黙り込むかのえに、竹平も沈黙を保つ。

「あのね」

 少し躊躇う素振りで、かのえは言った。

「私……あの子のこと、殺したのよ。首を絞めて。これはその時できた引っ掻き傷」

「…………は」

 冗談として捉えるには、淡々とし過ぎた語り口。

 それでも竹平はかのえの続く言葉を待つ。

 ちらり、視線を交わしたかのえが、眉を寄せて笑った。

「驚いた、でしょう? 動機は嫉妬……ううん、違うわ。たぶん、彼女があまりに素直だったから。……一緒に来たマネージャー、居たでしょ? あの人のことも、殴ったの。死んじゃったかは知らないけど、竹平君と一緒に死のうって思ってたし。邪魔……だったから」

「かのえ……」

 怖くない、と言ったら嘘になる。

 怖かった、自分と心中しようとした――否、してしまった、かのえのことが。

 だが、同時に酷く哀しかった。

 彼女の決断が。

 合わせて苛立つ、彼女がそんな選択をしたとは知らぬ、己の不甲斐なさに。

 奥歯を噛み締め、陳腐な謝罪しか浮かばない頭を呪いながらも、下げようとした。

 ――矢先。

「あ、でも、竹平君が謝るのはナシね?」

 殊更明るく、かのえは言う。

「違うから……違うの。殺したのは本当だけど……私が帰れないのは、違う人を殺したからなの。彼女だけなら……私はたぶん、帰っていたと思うの。たぶん……竹平君に謝ることもしなかったわ」

「かのえ……?」

 歯切れの悪さへ視線を交わせば、気まずい素振りで外される。

 黒い瞳が揺れる横顔をじっと見つめたなら、かのえの瞼が閉じられた。

 震える睫毛。

 何かを想う仕草。

 引き結んだ下唇を軽く噛み、かのえが立ち上がった。

 数歩進んでも、竹平は座ったままコレを眺める。

 振り向くかのえ。

 そこにある表情は、空虚。

「御免、竹平君……ずっと、言わなきゃって思ってたの。言わなくちゃって」

 静かな言葉。

 けれど隠されているのは、怯えを孕んだ震え。

 嫌な予感がしても、竹平はかのえを見つめることしかできず。

「あのね、私…………違うの」

 言い淀み――的中する予感。

「竹平君、好きだって……私、勘違いしてたんだ」

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