第12話 炎の円舞
瓦に着地――した瞬間に熱せられ、炎の濁流に呑まれる前に、また跳躍。
先を読んだ炎の、更に先を読んで、地へ降り立つ。
続けて追う炎に気を取られれば、真下から土を溶かして現れる新たな火。
焼け死ぬ。
泉がそう思っても、シウォンは大した焦りもなく、それどころか愉しそうに炎すれすれを征く。
「もうっ! どうして当たらないんだ! 早く当たれよ!」
先程から同じ言葉を繰り返し叫び、泡を口の端に付けたツェンが腕を振る。
合わせて生じる灼熱の光。
これをシウォンは容易く避けた。
しがみつく泉を荷物と感じさせない動きは、まるで共に踊っているような錯覚を起させる。結い上げた白髪がほつれても、着物が肌蹴ても気にしないツェンだが、同じように感じているのだろう、赤い目が憎悪に滾っていた。
とはいえ、ツェンの弾む息から、終わりが近いと察せられた。
「やれやれ……餓鬼のお守りは好きじゃないんだが…………今回ばかりはもう少し、持って貰えんかねぇ。できるだけ長く、堪能したい」
クツクツ喉を鳴らすシウォンの言葉に対し、首へしがみついたままの泉が青褪めた。
「し、シウォンさん! 変なこと言わないでください! こんな炎の中、当たらなくても暑いんですから! 蒸し焼きになっちゃいます!!」
「……ああ。そういや、お前、人間だったな。やだねぇ、この程度で音を上げるなんざ。もう少し丈夫にならねぇかい、お嬢さん」
「無理っ!」
熱風に喘ぎながら叫ぶ泉。
目玉から溶けていきそうな熱さに、ぎゅっと目を瞑る。
合わせてシウォンの首を締め上げ、慌てて緩めた。
「す、すみません。苦しくないですか!?」
閉じたままの眼を空へ向け、炎が爆ぜる音を考えて、叫ぶように問う。
そうして返ってくる答えは、
「…………苦しいな、とても」
ねっとりと絡みつくような甘い低音。
ゾクリと悪寒に似た何かが背筋を通り、すかさず首に回した腕が締めようとするのを、どうにか押さえる泉。
「ううう、すみません。なるべく気をつけます」
「構わん……いや、大歓迎だ」
シウォンの方から抱き寄せられては、泉としても、安定を求めて彼の首を抱く腕に力を入れるしかない。
「し、死なないでくださいね!?」
特に、窒息では絶対。
注意事項のように告げたなら、シウォンが低く頷いた。
「ああ。当たり前だ。こんな炎で死ねるほど、柔な身体はしてねぇさ」
それはそれですごい話だが、言いたいことは違う。
けれど訂正をしている暇はない。
閉じた視界で感じる重力が一度沈み、軽くなる。
熱せられた大気が夜の寒さを思い出せば、自然と泉の目が開けられた。
「っ」
取り戻した光に泉の息が詰まった。
炎の届いていない夜空まで跳躍したシウォンもさることながら、そんな位置で臨んだ街の光景は、火の海。焼けた家屋から散り散りに逃げる人影は、悲鳴を上げた順から炎に喰われていく。ツェンから放たれた炎は、すでに彼の意思を離れ、飢えた獣の自我を得たように動いていた。
天災に近い光景と相対しては、自分のせいだと悲観することさえ叶わない。
そんな炎の渦の中にあって、下方、一角だけ不自然に炎のない場所がある。
中央には、泉だけを見つめ、両手を広げて嗤うツェン。
降り立つのを待つ綺麗な顔の口の端、だらりと垂れた涎は、すぐさま蒸発していく。
「ひぃどりぃ~……追いかけっこ、疲れるだろう? もう止めて、早く私のところへ戻って来い! ねぇ、緋鳥ぃ?」
「……人のこと言えた義理じゃねぇが…………すごいのに好かれたな、ええ? 緋鳥」
ここまでクると、シウォンも感心せざるを得ないらしい。
けれど泉へ向けた呼び名は完全にからかうもので、対象としては憤りしかない。
「ふざけないでください! 私虐めて、そんなに楽しいですか!?」
身体が宙にあり、方向を変える羽がない以上、落下する先のラブコールは怖すぎる。
涙を溜めてキッと睨めば、シウォンが急に戸惑いを浮べた。
「あー……悪ぃ。冗談だ、冗談。お前を虐めたところで、得たいモノは得られん」
「どうせっ……私には何の価値もありませんよっ!!」
苛立ちに任せて吐き捨てたなら、落下する耳朶へ声が響く。
「それこそ悪い冗談だ。人の想いにケチをつけるもんじゃねぇぜ、泉」
「え――――――っぐぅ……!」
戸惑ったのも束の間、忘れた分だけ重力が圧しかかる。
「相も変わらず、色気のねぇ呻きだな」
呆れた物言いに文句を言いたいが、詰まった息はそう簡単に戻ってくれない。
代わりとばかりにツェンが吠えた。
「そこのオヤジ! 緋鳥から離れろ!!」
手を大きく振り下ろす動きに合わせ、炎に包まれた周囲から、龍を髣髴とさせる業火が現れる。鎌首をもたげるそれは、シウォンの隙を窺うが如く、ゆらゆら揺れ、
「ほらほら。幾ら人狼だからって、私の炎に当たったらタダじゃ済まないよ。さあ、早く、緋鳥を解放しろ。それとも焼け死ぬかぁ?」
ずれた着物の袖口に手を隠し、くてんと首を傾げるツェン。
その顔に浮かぶのは、脂汗と愉悦。
シウォンへ話しかけながらも、泉を注視する目が細い三日月を描いた。
震える泉とは違い、シウォンは涼しい顔で鬼火へ問うた。
「おい、餓鬼。俺の前にコイツが焼け死んじまうぞ? それでもイイってぇのか?」
対するツェンは、傾げた首を逆へ向け、不思議そうな顔。
「緋鳥? 変なこと聞くよ、このオッサン。緋鳥が焼け死ぬんだって。自分が放せば済む話なのにね? だって、緋鳥死んじゃったら、コイツ、緋鳥に用なんかないでしょ? でも私は大丈夫。緋鳥が私の炎で死んじゃっても、ちゃんと世話するから。服だって毎日替えてあげる。ふふふ……」
「…………まともな回答を期待した俺が馬鹿だったか?」
「……あの、シウォンさん?」
肩透かしを喰らったようなシウォンに、暑さでへばりつつもふと尋ねた。
「オッサン呼ばわり、訂正しないんですか?」
確かそれを言ったシイは、問答無用で投げ飛ばされた気がしたが。
「…………そろそろ本気でカタつけねぇと、ヤバそうだな」
ちらりとこちらを見ても、答えずぼやくだけのシウォン。
スルーされたのは気になるが、泉に異論はない。
その肩へ頭を預けては、そっと息をついた。
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