第10話 恋愛中毒

 尻餅をついた格好で竹平が茫然とする眼前。

 対峙するかのえと人魚の姿がある。

「「「「「それにしても、どういう風の吹き回しかしら? 繋がり勝手に切っておいて、また勝手に繋ぐなんて」」」」」

 いぶかしむ重奏へ、かのえは――かのえの中にいるという彼女は、嫣然と微笑む。

「あら、切ったのはかのえだもの。幾ら近づいたとはいえ、私は人魚よ? 恋を成就させる方法は一つしかないでしょう? なのに”私たち”を切ったままなんて、できるわけないわ。それに――」

 小首を傾げた彼女は、つと、竹平を手で示す。

「疑うの? 彼をこうして海へ連れてきた私を」

「「「「「かのえは?」」」」」

 人魚の問いかけへは、示していた手を自身の胸に宛てる。

「気絶中」

「「「「「調べても?」」」」」

「ふふ……ご勝手に。面白いわね。繋がりがあるのだから分かるはずなのに。”私たち”まで陸の知識に冒されちゃったのかしら?」

 細長い指が頬を彼女の這う。

 口づけるように、人魚の顔が近づいた。

「っ、止めろ!」

 咄嗟に叫んだ竹平は、肉塊混じりの砂を片手で固め、人魚に向かって投げつけた。

 軽い音を立てて爆ぜる、生白い身体。

 同族が無残な最期を遂げたというのに、あちこちから生じるのは、くすくす笑う声。

「「「「「面白いわ、シン……でも、ちょっと大人しくしててね?」」」」」

 人魚の言葉に合わせ、しゅるり、何かが竹平の足に巻きついた。

「!?」

 驚き見やれば、布状の物が凪海から伸びており、波打ち際が真っ白に染まっていることに気づく。よくよく目を凝らしたなら、白い中には無数の青い点が見える。

(? なんだ、これ……?)

 違和感から視線を遠くへ移せば、鏡のように黒い海面が丸い月を浮かべていた。

 揺らぎのない滑らかな鏡面も違和感があると言えばそうなのだが、手前の白い海よりはおかしくはないと再び視線を戻したなら、唐突に違和感の正体が鮮明となる。

 青い点は青い目、白い海水は白い肌として――

「ひ……」

 全身に冷水を浴びたような動揺が広がった。

 視点を変えれば別のモノを映し出す騙し絵のように、竹平の目が捉えたのは、波打ち際をびっしりと埋め尽くす、御伽噺のその姿。

 上半身は女の身体、下半身は魚の尾。

 これが彼女の言う、人魚本来の姿なのだろう。

 かといって、こうまでたくさん居ては、一つ一つの顔の良さなど見れたモノではない。

 全部が全部、同じ顔をしているならば、余計に。

 そんな竹平の慄きを愉しむように、海から次々布が絡みつく。

 この布、どうやら人魚の腕らしい。

 伸びてくる形に五本に裂けた先端を認めては、竹平の恐怖は増すばかり。

「う」

 叫ぼうとする口は、すぐさま塞がれてしまった。

「シン、大人しくしてて? ただ、この目を覗き込むだけなんだから」

 片目と鼻以外、全て腕で覆われてしまった竹平へ、彼女は安心させるように言う。

 これに抗うべくもがいたなら、更に布状の腕の拘束が増えていく。

 そうして今度こそ、人魚と彼女が見つめ合い、唇が触れるか触れないかの位置を見せつけてきたなら――段々腹が立ってきた。


 昔、これと同じ情景を目にしたことがあったから……。


* * *


 泉は最初、ソレが何なのか分からなかった。

 彼女の斜め頭上から真っ直ぐ伸びたソレは、扉の向こうから現れるなり、その先にあったツェンの顔を思いっきり突いていた。おかげで、というべきか、泉の手首を掴み上げていた手まで、ツェンの身体と一緒に後方へ倒れていく。

 これを察してか、するりと戻っていくソレ。

(……足?)

 理解に合わせ、泉の背後から凄まじい音が響いた。

 後ろを確かめる間もなく、解放された身体が力の入らない膝と重力に倣い、床に崩れかけたなら、ネコの子のように襟首が掴まれた。

 ひょいと軽々持ち上げられ、背中に当たったのは、扉とは違う温かな感触。

 回された腕は、未だツェンが出した餌のショックから立ち直れない泉を支える。

「間に合った……でイイのか、こりゃ」

 覚えのある声にのろのろ顔を上げる。

 その先では、青黒い毛並みの人狼が鼻面に皺を寄せていた。

「シウォンさん……どうして」

 引きつり掠れる小さな問いは、荒い息を整える最中でも、人狼の聴覚へ届くらしい。

 冷ややかな緑の双眸が、泉に落とされた。

「猫が、お前の下へ行けと解放したのさ。なるほど。確かにこんな場所に居たんじゃ、さしもの人間好きも間に合わんな。猫の判断は正しかった……使われるのは酷く癪だが」

 引き寄せられて、顔が胸に埋められる。

 「間に合って良かった」と安堵する声が、頭上から発せられた。

  けれど、泉は喜べない。

 ツェンから助けてくれたのが、シウォンだからではない。

 泉に味方してくれる猫が介入したなら、尚のこと、シウォンへは有難さがあった。

 それでも強張った身体が安堵に解れることはない。

 餌と示された焼けた腕、その持ち主を思っては――

「……泉?」

 身体が離され、顎に爪がかかる。

「頬が傷ついている……そこのヤツがやったのか?」

 頬が指の腹で撫ぜられても泉は視線を交わさず、ツェンと一緒に転がった、焼け焦げた腕を見つめた。

 彼ガ、アアナッタノハ、誰ノセイ?

 ツェンやシウォン、人魚に竹平自身。

 上げれば相手は無数にいるが、根本にあるのは――泉。

 自分が共にいたから、緋鳥と間違ったツェンに焼かれ、餌として腕を切り落とされてしまった……。

 マタ、私ノセイデ…………

 街灯の青白さが浸食しても、まだ赤く暗い室内に、重なる光景がある。

 邪魔だと打ち捨てられた――

「……ちっ、何のニオイかと思えば、同族のじゃねぇか。胸糞悪ぃ」

 沈む意識の中、為された舌打ちに目を見開き、シウォンの方を向く。

 泉の目線を追った眉が寄せられていた。

「同族……人狼?」

 アレは、あの腕の持ち主は、竹平では、ない――?

 ひとり言のように問えば、シウォンは頷き、次いで合点がいったと泉を見た。

「お前……もしかして、アレをあの小僧と勘違いしていたのか?」

 顎に手を添えたまま尋ねられ、泉は小さく頷いた。

 途端に変な顔をするシウォン。

 呆れているような、馬鹿にしているような、困惑しているような。

 複雑怪奇な表情から、漏れた一声はため息。

 添えられた手が頬へ移動し、頭へ置かれては、軽く撫でられた。

「それは……悪かったな。俺が奴を投げちまったせいで、妙な勘違いをさせたようだ」

「っいえ! シウォンさんは関係ありません! 本当に、全く、全っっ然っ、関係ないんです! 私がっ…………シウォン、さん?」

 自分が悪い――そう告げようとした泉だったが、シウォンが項垂れているのを知っては、言う機会を失ってしまった。

「……関係ない……ああ、そうだな。そうだとも……関係ないよな、俺には……」

 何か、非常に宜しくない部分を衝いてしまったようだ。

 気分を持ち上げるフォローを入れようにも、一体何をフォローすべきか分からない泉は、おろおろするばかり。

 と、強引に泉を抱き締めるシウォン。

 驚いた泉は混乱から目を回す。

 次いで浮遊感に襲われたなら、遅れて届く風は光を伴い、


「緋鳥ぃ」


 地の底から這い出る声と共に、熱風が奇人街の夜気を焦がす。

 ぎょっとして抱えられたまま振り返った先では、今まで泉がいたと思しき家屋が燃えていた。両隣から悲鳴を上げる住人が逃げ出れば、炎はこれを追い、呑み込む。

 まるで生き物の様に渦巻く中心に、炎を纏う鬼火の姿があった。

 シウォンの足跡をくっきり中央につけた顔がぬったり近寄ってくる。

 赤い瞳は、炎を背にしても、陰ることなく爛々と光り輝く。

 尋常ならざるツェンの様子を受け、シウォンが面倒臭そうに言った。

「……クァン並みだな。いや、この質の悪さ……コイツ、煙中毒か」

「煙中毒?」

 まだしつこく、泉を緋鳥と誤解したままの鬼火を怖れながら尋ねる。

 起こる震えに白い衣を握り締めれば、抱えられた身体がしっかり固定された。

「ああ。煙の話はしただろう? 種によって効果が違うと。鬼火の場合、発する炎を増すことができるんだが……煙中毒ってのは、その名の通り、煙を吸うことによって起きる弊害を指す。鬼火の炎は元々、普段の気分と昂った時の気分の差で火力が変わる。これを外部から無理矢理高めた場合、どうなるかってぇと」

 話の途中で迫る業火。

 釘付けになる泉とは違い、シウォンは見もせずステップを数度繰り返しては、続くうねりも綺麗に避けた。

 ツェンから子どものように甲高い、駄々を捏ねるような叫びが起こる。

「もうっ! どうして当たんないんだ! 当たらなきゃ駄目なのに! 緋鳥は私のだ。私のなのに、どうして後から来た奴が持っていくんだよ! 返してっ、私の緋鳥、可愛い小鳥、返せよぉっ!!」

「……見たまんまだな、ありゃ。中毒症状も種によって異なるが、鬼火の場合は精神が不安定になる。――にしても、奴は何故、お前を緋鳥と呼ぶんだ?」

「それは…………こっちが聞きたいくらいです」

 チラッと見たツェンの姿。

 彼が自分で付けた傷は、彼自身の炎によって修復されていた。

 ぐつぐつ沸騰し溶接する様は、直視に耐えられるモノではなく背筋が粟立つ。

 最中、うっかり合わせてしまった赤い目が、にたりと笑みに歪んだ。

「緋鳥ぃ……おいでぇ? ずっと、私と一緒だよぉ……!!」

「ひぃっ!?」

 抱き締めるようにツェンが手を広げれば、家をあらかた焼き終えた炎が、その動きを真似て、こちらへ緩やかに伸びてくる。

「しっかり掴まってろ!」

 シウォンの言葉を受け、言われなくても、と彼の首に腕を回す泉。

「お、落とさないでくださいねっ!?」

 勝手は承知だが、そう言わざるを得ない状況。

 そんな泉の気持ちなぞ知らぬシウォンはといえば、炎を受けてより一層鮮やかな光を放つ緑の双眸で嗤う。

 必死にしがみつく腰を己へ寄せて、

「当たり前だ。いや寧ろ、このままずっと……」

 最後は小さな声。

 しかし、それは泉の耳にしっかり届き、

「わ、私は絶対っ、嫌ぁっ!!」

 大絶叫の上で、シウォンの耳が哀しげに伏せられたことを、泉は知らない。

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