第9話 呼び水
赤と黒が入り混じる、不気味な空間。
足が地に着いている感覚は乏しく、こうして普通に歩いていられるのが不思議だった。
奇人街からここへ入ってすぐ、泉が怯えていた一つ目の化け物に遭遇したが、竹平を見るなりもの凄く嫌そうな顔をして去っていった。
別段、あんなモノに好かれたくはないが、化け物をしてあそこまでの顔をさせる自分の方が、暗に化け物と言われた気がして腹が立つ。
そんな竹平を見透かしたように、手を繋いだまま、淀みのない足取りで前を行くかのえが笑った。
「シン、気にしちゃ駄目よ。
「だあっ、分かったっ! あの顔の意味は分かったから、その例えは止めろ!」
うっかりリアルに想像してしまった黒い物体A。
自分の感性の豊かさを恨めしく思う竹平へ、かのえはくすくす笑うだけ。
「……いや、それより、人間が大好物?」
「そう。幽鬼はちぐはぐで、不安定なのよ。だから自分たちを作った者に一番近い人間が欲しいの。人間の血肉で、ちゃんとした身体を作りたいんじゃないかしら?」
「…………意味分かんねぇ」
雰囲気はかのえ本人、しかし、ズレを感じる。
何とは言えないが。
「そうだ、シン。それ、返してくれないかしら?」
「……それ?」
顎で示された先を見やれば、ワーズから引き抜いた刃が、もう一方の手に握られていた。
こんな凶器を持たせるのは気が進まない。
けれど返せと所有権を示されたなら、渡さないわけにもいかない。
「ほらよ」
「ありがとう」
「げ」
瞬間、刃の付け根にある、獣の指らしき物体が目に入った。
「何?」
気にせず、刀のように脇へ差したかのえは、不思議そうに竹平へ首を傾げた。
ズレどころの騒ぎじゃない。
猟奇的なワンシーンを払うべく、話題を探す竹平。
「いやその…………色々、詳しいな……と思って」
逸らすためとはいえ、一番気になっていた部分を指摘すれば、かのえは事無げに頷いた。
「まあね。だって、かのえはもう人間じゃないし」
「…………は?」
立ち止まる竹平に合わせ、手を繋いだままのかのえが振り返る。
赤く黒い空間の中でも、くっきり分かる顔は、各々困惑と微笑みを浮べていた。
「あら? 知らなかった? てっきりあの子、知っているのかと思ったけれど……もしくは伝えてなかったのかしら?」
「あの子?」
「そ。確か……泉、だったかしら? うーん、その様子じゃ、やっぱり知らなかったのね。あの方に教わらなかったみたいだし」
「……あの方?」
「そ。でも、あの方はあの方だから、これと示せる名前がないの。御免なさいね」
謎かけのように告げられても、竹平は首を捻ることしかできない。
何せ、彼がこの奇妙な街で目覚めたのは昨日なのだ。
答えを手繰り寄せるにしても情報が足りない。
けれど提示された事柄を頼りに尋ねることはできる。
人間ではないかのえ。
つまりそれは……
「じゃあ、アイツ等の仲間なのか? あの、出来損ないのピエロみたいな姿の……」
化け物、とは続けて言えなかった。
例えそうであったとしても、そういう位置づけで、かのえを見たくはなかった。
こうして、声が届くのだから。
浮かぶのは褐色の髪の少女。
かのえを蔑ろにするなと叫ぶ声がある。
だから竹平は対峙する。
かのえと――かのえの姿をした何者かと。
自分を真っ直ぐ見つめる竹平に対し、彼女は苦笑しつつ歩を進める。
竹平の手は離さずに。
「酷い言われ様。でもまあ、事実かしら。うん、そう。仲間……かな、たぶん」
「…………」
聞きたいことはまだあるが、今度は竹平が彼女の話を聞く番だ。
竹平が望むのは、会話。
上京の際、石頭の父とやり合ったような、喧嘩別れするモノではない。
相手の意を聞き、かといって相手に呑まれることなく、自分の意を伝える。
日常では当たり前の、けれど、忙しくなればその分粗雑になっていく、本当は大切な事。
「
「……女……なのか、やっぱり」
身体の線は間違いなくそうだが、顔がシュール過ぎてあまり認めたくなかった。
これへ彼女は少し首を傾げた。
「んー……厳密に言うとね、姿形はああだけど、人魚に性別はないの。たまたま好きになる対象に男の人が多かったってだけで。だから私はかのえが好きなんだし」
「……”私は”? お前……やっぱり、かのえじゃないのか?」
竹平の問いかけに彼女はちらり、彼を一瞥した。
顔は微笑んでいるのに、黒曜石の瞳には何の感情も見当たらず、心が少しだけ怯んだ。
すると彼女は照れくさそうに笑う。
「ふふふ……シンは凄いのね。私がかのえじゃないって分かるんですもの。私はね、かのえと身体を共有する人魚なの」
「……共有?」
「そう。だからかのえの肉も人魚と同じだったでしょう? コレ、本当はあんまり使わない手なんだけどね、緊急処置ってヤツ?」
ぴたりと止まる彼女に合わせ、竹平も止まった。
振り返った笑みは眉を軽く寄せていた。
「人魚ってね、結構単純なの。統率力はあっても、一つの目的に向かっちゃうだけだから、先も読みやすいし。だからさ、陸の知識を持つ者と意識を共有すると、良くない面が出てくるんだ」
「……あまり使わない手って、そういう面から来てるのか?」
いまいち要領を得ない説明に問う。
竹平の表情を写し取ったような彼女は、言いにくそうに頬を掻いた。
「うん。例えば――」
彼女が何もない空間に手をかける。
まるで襖を開けるように横へスライドさせ、
「!」
現れた光景に竹平が仰け反っても、ピンと張った腕はそれ以上逃げられない。
デニム生地で包まれた手が握り締めるから。
にぃ……と彼女の笑みが深まった。
「欺くことを覚えちゃうの。ね? 良くないでしょう、こういうのって」
「「「「「シン」」」」」
開けられた空間一杯に揃う、生白い道化姿が、一斉に手を伸ばす。
「ひ」
手を払って逃げようとしても、逆に引き寄せられた。
道化の化け物が迎え入れる空間へ倒れる途中、彼女を見やれば、悪戯っぽく笑っていた。
「御免ね? かのえ、まだ気絶してるの。でも私、言ったよね、海に行くって。着いてきたのはシンなんだから、恨みっこなし、でしょう?」
次いで竹平を襲うのは、五感を刺激する不快。
この感覚を味わうのは二度目。
墜ちる身体を受け止める最悪のクッションは、竹平の想像に違わず、倒れ伏した先でゼリー状の地面を作り上げていた。
違うのは、倒れたのが砂浜であることと、生白い顔が周囲を取り囲んでいること。
そして、赤と黒の入り混じる空間からこちらへ歩み寄る少女の眼が、吸い込まれそうなほど黒いこと。
竹平と彼女を呑み込んだ、夜の海を思わせるほどに。
彼女は言う。
「大丈夫よ、シン」
彼女らが言う。
「「「「「海に着いたんですもの、全て、終わるわ」」」」」
しゃがれひび割れた声と重なる彼女の澄んだ声に、ズレは感じられなかった。
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