第5話 苦手な奥の手

 人魚の攻撃は主に精神へ影響を及ぼすのだと、交戦しつつ史歩は改めて思い知った。

 殺しはできても、守ることは出来ない――

 突かれた指摘は真実であるがゆえに、動揺が太刀筋を鈍らせる。

 幾ら技が優れようとも、皮と骨を被った人魚の強度は、見た目通りの種族のものでしかない。力押しでいけば、容易く一人は屠れるはずなのに、定まらない心が邪魔をして、劣勢を強いられている。

 ならばと普段では戦いの最中、決して他へかけぬ声をかけたというのに、肝心の人狼は使えないときた。

 非常に、腹立たしい。

 右を舞うように払い、頭を潰しにかかり、背後から突く。

 ほぼ同時に行われるこれらをあしらっては、元々、大して長くもない気が歯を軋ませた。

「ああ、くそっ! なんでこんな雑魚相手に手間取らにゃならんのだ!?」

「「「あはははは。言ってくれるじゃない、駄目神子。あら、違うわね。貴方、守部に転職したんだっけ? でも守れなかったから、やっぱり駄目神子で充分」」」

「やかましいっ!」

 大きく振り払えば一時的には退くものの、すぐさま動作の隙を狙って纏わりつかれる。

 元居た場所の夏場に現れる、苛立たしいことこの上ない虫を思い浮べた。

 ひらりひらり、避ける様がよく似ていた。

 ああいう手合いはキレた方が退治に支障を来たすと知りつつ、切っ先すら掠らないのが大いに不満だった。

 皮の中身、人魚の本体を思えば、その傷は命取りになるだろう。

 それなのに、相対する彼女らの、綺麗に笑い続けられる無神経さが気に喰わない。

 頭の隅の冷静な部分は落ち着けと訴えるが、堪った熱は簡単には払えず。

 その上、

「「「あらぁ? 怖いお顔だこと。いいのかしらぁ、そんなに熱くなっちゃって? また、守れなくなるわよ?……妹さん、みたいに」」」

「!!」

 あまりの怒りに声が出ない。

 どこまでコイツ等は人の過去をほじくり返せば気が済むのか。

 しかも今のは、一番触れられたくない過去。

 見開かれた眼が映し出す、在る日の姿。

 先程まで共に在り、笑い合う少女の――。


 暗がりの中、青褪めた肢体、滴る血、剥き出しの肉、転がる骨。

 こちらを射る相貌は冷めた海。

 なれど、細い顎を伝う朱の元は薄く笑みを刻む。

 残った頭部へ薄い唇を寄せては、果実を食す風体で齧りつく。

 認めたくない現実に足は縫いつけられたように動かない。

 ゆっくり進む食事の果て、見せつけるようにソイツが、てらてら光る舌を出した。

 深紅の内に納まる、黒い、瞳。

 濁る前の、史歩によく似たそれへ、牙が埋められ――


 はらり、美しく艶やかな黒髪が、地に落ちて。


 同じように焦点の合わない視界の中、人魚たちが狙う少年へと倒れ込む、少女の髪が宙を舞い落つ。

 史歩の黒い瞳が揺れた。

「「「終わり、ね?」」」

 答えを求めない疑問符が遠くに聞こえた。

 瞬間、己ですら捉えきれない速さが身を動かす。

 トドメのつもりだったのだろう、三方から同時に為された攻撃。

 内二つを後方へ逃がし、残りの一つを爪ごと斬り裂く。

 悲鳴を聞いた気もするが、覚えていない。

 仰け反った喉へ、通り過ぎ様刃を下ろし、茶髪女の首と胴を離した行動も忘れる。

 駆け寄った勢いを殺さず、こちらへ背を向けては、身を寄せ合う二人を襲う、小柄な影へ肩を入れて突き刺した。

 掬うよう持ち上げ、無造作に刃を払う。

「がっ」

 小さな身体が刀からすっぽ抜け、二、三度跳ねた。

 しかし、史歩の眼に映る姿はソレではない。

 映るのはただ、赤い髪の少年に抱かれた、黒く長い艶やかな髪の少女だけ。

 否。

(違う……この娘は、アイツじゃない)

 重なる姿を振り払い、背後に二人を庇う形を取った。

「……怪我は?」

「な、ない」

 答えたのは少年の方。

 一瞥した少女は、彼の胸に抱かれて真っ赤な顔をしていた。

 助けたのは自分なのに、腑に落ちない気分を味わう史歩。

 だが、束の間の事。

「ならば、いい。いや、礼を言うべきか……少し、落ち着いた」

 視線を敵へ戻す。

 史歩が避けたため互いを刺し合う羽目になった二人と、頭部と胴体に分かたれ動かなくなった一人、跳ねた衝撃で肉が零れでもしたのか、体勢を立て直せずにいる幼女。

 高見から一気に落とされた光景を薄く笑えば、代わりに生白い姿が近づく。

「早く、行け」

 今度は見もせず後ろの二人へ告げる。

 頷く気配に続き、遠ざかる熱。

 近くの戸が開けられた音を聞く。

 彼らの行き先なぞ興味はないが、人魚の少女と人魚の血肉を散々浴びた少年だ。

 幽鬼のいる”道”を辿っても問題はない。

 あそこは不可侵の領域。

 長く居ては出口を見失うが、上手く使えば隠れるのに丁度良い。

 息を一つ吐く。

 刀を払い、鞘に納める。

「「「「「あら?」」」」」

 これを合図に、史歩を囲む生白い顔が同じ方向へ首を傾げた。

 起こる風に混じる臭気。

 柳眉を顰めては、人魚があちらこちらで笑い出す。

「「「「「良いのかしら? そんな無防備にして。あちらの男たちは動けないし、クァンもあの中、なんでしょう、貴女の記憶に寄れば」」」」」

「……覗き見とは、趣味が悪いな」

 肩を竦める史歩。

 人魚は気にせず、貼りついた笑みを深く歪める。

「「「「「もしかして、シンたちを逃がせたから、私たちがそちらを追うとでも思ったのかしら?」」」」」

 決して人魚と目を合わせず、史歩はあらぬ方を向いて、乱切りの黒髪を掻いた。

「「「「「甘いわ。また障害となるかもしれない貴女、置いていく訳ないでしょう? 皮と骨を持った”私たち”では分が悪かったけど……本当の〝私たち"相手、どのくらい持つかしらね、貴女の精神。邪魔した分、ズタズタに引き裂いてから、皆で食べてあげる、その心――」」」」」

 しゃがれた大合唱が恍惚を謳い、勢ぞろいした人魚が一斉に、史歩へ向かう。

 けれど史歩は面倒臭そうに胸の前で両手を合わせるだけ。

 億劫そうに目を閉じたまま、唇を小さく動かすのみ。

「苦手分野には苦手分野で対抗するモンさ。久々過ぎて上手く扱えるかさっぱりだが――」

 愚痴りながら、高まる精神。

 合わせ、大気が色を変える。

 青白く。

 史歩が元居た場所の気配が強まり、

蒼燕そうえん――主神の命、焔より生ずる遥かな翼、御身、我が祈り、聞き届け給え』

 薄く開いた眼に意思はなく、伸びる無数の手を迎え入れるように胸が開かれた。

 続く、祈りは……。

『か弱き神子を救い給え』

「「「「「嘘つけっ」」」」」

 人魚の絶叫もろとも、史歩の身体を蒼く燃やす。

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