第4話 凪ぐ声
瞼を開けた先、いの一番で目にしたのは生白い道化の笑顔。
(どうして俺の目覚めは、いつもこんななんだ?)
しかも今回は、遅れて嗅覚を劈くニオイ付き。
願った憶えもない、至れり尽くせりな演出を堪能する暇もなく、今度は、化け物くせにやたらと豊満で形の良い胸から、尖った凶器が飛び出してきた。
合わせて飛び散るゼリー状の肉塊。
けれど構うべきは他にある。
「ワーズ!?」
いつの間に合流したのか、竹平を介抱していたと思しき、黒一色の不気味な男が、生白い身体を砕いたのと同じ物に胸を突かれたのだ。しかも、その衝撃の為すがまま、鈍い音を立てて頭を地面に打ちつけたワーズは、口元に笑みを刻んだまま動かない。
(し、死んだ!?)
正直、死んで欲しくはないが、死ぬ場面ではある。
悪夢のような怒涛の展開についていけず、竹平は咄嗟に、ワーズの胸に突き刺さった刃を抜いた。本来であれば、出血を多量に促す危険な行為だが、混乱する竹平に選択の余地はなく、黒い胸からも血は一滴も噴き出さず。かといって、へらへら起き上がるでもなし。
次いで物体が飛んできた方向を見やれば、眩む炎の中で邂逅した恋人がいた。
嘘か真か判別できず、とりあえず彼女へ抗議を叫ぶ。
「何してんだ、かのえ――――危ねぇ!」
「へ?」
こちらへ駆け寄ろうとしていたその頭に、後方から投げられた瓦が直撃した。
ぐらりと大きく傾ぐ身体を知り、勢いに任せてかのえの下へ走る。
体勢を立て直すかのえの姿を知っては、粉々に砕け散った瓦への動揺より、ほっとした安堵が竹平の口をついた。
しかし、かのえの方は緊迫した面持ちのまま、竹平が伸べた手を乱暴に掴むと、止まることなく、別方向へ駆けていく。
「ぃい!?」
振り回される視界が他方へ向けられ、伏したワーズの他に、見知らぬ袴姿と芥屋でランと呼ばれていた人狼の姿が目に入った。
状況ばかりが突きつけられる竹平に推測できることは少ないが、何事かランへ叫ぶ袴姿が敵ではないことは分かる。例えその響きが友好的ではないとしても、こちらを背に三人と対峙する姿には、化け物たちのような害意は感じ取れなかった。
それなのにかのえは、彼らからも遠ざかろうとしていると気づき、
「待てって! どういう状況なのか説明を――」
「してる暇はないの! いいから早くっ!?」
甲高い叫び。
悲鳴に近いソレに一瞬怯むが、従う義理はないと掴む手を払った。
よろけたかのえが振り返り、払われた手とは逆の手首を押さえる。
デニム生地が巻かれた其処。
竹平の頭に、道化面と同じゼリー状の肉が見えた記憶が呼び起こされる。
「……その手、どうしたんだ?」
「っ」
一歩後ずさるかのえ。
下唇を軽く噛んだ顔に焦燥を読み取るが、竹平に慮れる余裕はなかった。
炎に巻かれた記憶はある。
竹平を助けた鬼火と、彼女が気安く会話する場面も覚えている――しかし。
だからこそ嫌な想像が竹平にはあった。
かのえを蔑ろにするなと言われたが。
そう言った少女がおらず、彼女を殺すつもりだったというかのえと、炎を操る女が共にいる現実。結託し、竹平を生かして、泉を殺した――ただの、けれど真実味を帯びる想像が、彼を支配する。
何も言わないかのえを見つめ続ければ、視界の端で揺れるモノに気づいた。
家屋を挟んだ向こう側の通りに闇夜を冒す白熱の大火。
「っ……」
声を失ったなら、この隙を狙ったかのようにまた腕が引かれた。
「シン!」
かのえの叫びで我を思い出し、咄嗟に腕を振る。
「だから待てって――!?」
だが、腕を掴んだのはかのえではなく、道化面の化け物。
軽く払っただけで潰れた感触、見た目、音、ニオイ、全てに怖気を感じた。
へたり込む、直前。
「駄目! 立ってシン! 逃げなきゃいけないの、私たち!」
「私……たち?」
訳も分からずかのえを見つめる。
黒い瞳が複雑な色を湛えた。
「お願い。後でちゃんと話すから。今は私の言う通りにして?」
「言う通り……どこへ、逃げるっていうんだ?」
辺りを見渡す。
炎の壁に遮られ、通りの向こうへ移動することは叶わない。
かといって他の路には、先程から執拗に竹平へ手を伸ばす化け物がいる。
逃げ道など、どこにも……
「海よ」
爆ぜる音が間近にあっても、通る声が告げる。
かのえへ視線を戻した竹平は、ふんわり微笑むその顔に違和感を覚えた。
かのえであって、かのえでない。
不可思議な、直感だけの相違。
「海に……凪海に行けば、全てが終わるの。そこで全部、話すから」
「本当……か?」
だとしても、目の前にいる彼女の口から、語られる言葉があるのなら……。
「ええ」
からかうような肯定。
受ける竹平の応えは、
「っぶねぇ!」
「きゃっ!?」
丁度かのえの死角から襲い来る、やけに愛らしい少女の、似つかわしくない鋭い攻撃に邪魔された。咄嗟に身体は引き寄せたが、はらり、かのえの黒く長い髪が数本、宙を舞って地に落ちる。
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