第8話 物ぐさ支配者

チン…………

 間の抜けた軽い音が到着を報せる。

 それと同時に格子の扉が開き、

「だぁっ! や、やっと出られたーって、ぃだっ!」

 一番最初に出てきたランが、黒い足を背中に乗っけて倒れた。

 びたんっと響く痛そうな音を気にしないワーズは、ふらふらした中にも優雅さを纏わせて、数度、薄青の着物を踏みつけた。

「あんれぇ?」

 そうして地に降り立っては、こめかみへぐりぐり銃口をつきつけ傾ぐ。

「シウォンに……猫?」

「ガウ」

「んなっ!」

「ぶっ」

 次いで出てきた史歩は、ランの横っ面をしっかり踏みつけ、愛しい猫の下へと駆け寄った。

「な、な、なんて……羨ましいことしてやがる、シウォン!」

「黙れ……」

 苦々しい声が押し倒されたシウォンから聞こえては、すらり、白刃を抜いた史歩。

「偉そうに……まあいい。猫に押さえられている今、引導を渡してやる……」

 殺気立った目で首を捉え、切っ先を落とし――。


キイイィィィィン…………


「!」

 耳をつんざくような高い音に遮られた。

「ま、猫! どうし――っく」

 問いかけも許さず、刃の進行を咥えて止めた猫は、史歩ごとそれを壁へ叩きつけた。

 瞬時に体勢を整え、壁に足をついた史歩は、一つ宙で返り着地する。

「うわぁ……凄い。曲芸師みたい」

 ぱちぱちと、人魚の少女が拍手しても気に留めず、抜き身を横に払った。

「猫っ! そいつは綾音を攫ったんだぞ? なのに何故――」

「待って、史歩嬢。暴走し過ぎ」

「ああっ!?」

 不安定な声に止められ、凄む唸りを上げたが、相手はどんな住人相手だろうとも態度を変えない芥屋の店主。

 効果なぞ欠片もなく、

「あのね。猫がこうしてシウォン抑えたまま、ってことは、泉嬢とシン殿、一緒にいたってことでしょ? それなのに、手掛かり殺してどうするの? 殺るんなら全部終わってからにしてよ。優先すべきは彼ら、でしょう?」

「…………ちっ」

 投げやりに空気を斬った史歩は、抜き身を鞘へ納める。

 忌々しいとシウォンを睨みつけながら一つ下がれば、人狼を踏まず、跨ぐことすらせず降りて来たクァンが近寄った。

「ちょいとシウォン。尋ねたいことがあるんだけどさ」

「…………」

 傍にしゃがんだ系列経営者の問いかけに対し、その上に属する男は視線を思いっきり逸らした。プライドがこの中で一番高いと思われるシウォンのこと、全員から分け隔てなく見下される現状が気に入らないのだろう。

 だが、事態は急を要する。

「ちょいと!」

「っ!」

 普段であれば絶対しないでこぴんを、シウォンの眉間に見舞うクァン。

「てめぇ……」

 鋭く鮮やかな緑の双眸、剥き出した牙に、鬼火は怯みつつも告げる。

「拗ねてる場合じゃないだろ。こっちは泉を助けたいんだから」

「…………ああ、そうだったな」

 途端、観念したように目を閉じるシウォン。

 瞼の内で何を見ているのかは知れないが、今まで殺気立っていた雰囲気が抜け落ちていくのが、誰の目から見ても分かった。

「単刀直入に聞くよ」

「ああ」

「アンタ――泉のこと、好きなの?」

「ああ。……あ?」

 突然、珍妙な質問が為された。

 合わせて珍しく惚ける無防備な表情がシウォンに宿り、

「っの、小娘! いきなり何を!」

 気づいては猫に押さえつけられたまま、じたばたもがき出した。

「グルゥ」

「くっ!」

 これを良しとしない猫が、四肢に力を込めれば、シウォンの身体が一度跳ねて沈黙。

 少しだけ慌てたクァンは、動けない身を知ってにんまり笑い、猫の迷惑そうな視線を受けては口角を引きつらせつつ、

「あらま、小娘ですって。アタシゃアンタより二つも齢上だよ? 自分がなかなか齢を重ねられないからって、僻むんじゃないよ、この、お・子・ちゃ・ま?」

 つん、と怖いもの知らずの指が鼻先を突けば、遅れて噛みつく歯が襲う。

 素早く避けたクァンは、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、

「ぐぇっ」

 喉を絞められた音を発しては、後ろに倒された。

 そんな彼女の襟首を容赦なく引っ張った元凶は、シウォンの頭の上でしゃがみ込み、へらへら笑って言う。

「やあ、ざまぁないね、シウォン」

「ワーズ……」

 苦々しく歪む人狼の顔を首を傾げて眺め、充分堪能したていで混沌の瞳が細められた。

「いつぶりだったか……そうそう、人狼の諍いに猫が介入した翌日だったね。幾ら猫が怖くて眠れないからって、ボクに八つ当たりしても無駄なのにさ? お陰で、一着駄目になったし。コートは脱いでたから、泉嬢にはバレなかったけど。また抱きつかれたら絶対バレてたよね、コート下、何も着てないって。ボク、持っている服少ないんだから止めてよねー」

 ケタケタ笑い、

「んで? 泉嬢とシン殿、どうしたのかな? 猫がこの臭気の中、健気にもお前を抑えてるってことは、彼女が頼んだと察せるけど……普通ならさ、泉嬢の前では殺すまでいかなくても、行動不能まで追い詰める事は出来ると思うんだ。その後二人を連れて、芥屋なりどっかなり、隠れればいいんだし。それをしないってことは……シン殿、連れてかれちゃったのかな? んで、泉嬢が追いかけて。人魚、駄目だからねぇ、猫。幾らお気に入りでも、追いかけられない。まあ、お前を拘束したまんまってことは、泉嬢が無事ってことだけど…………で?」

 こめかみに当てていた銃口を、シウォンの口へ捻り込む。

 反射で腕を噛みつかれても顔色一つ変えないワーズは、押し返す舌の感触を愉しむように嗤う。

「言え、シウォン・フーリ。ボクのあの子がどの方角にいるのか。猫に聞いても良いが……ボクはお前にチャンスをやるよ? 彼女の意思を無視して掻っ攫い、傷つけた罪……易々と赦されるモノではない――けど、相手がお前だから、ボクはこんなにも優しくて寛大なんだ」

(…………嫌な、空気だ)

 底冷えする、中身の伴わない気配を感じ、史歩の身体が一つ後退する。

 幾人にも踏まれたランや引っくり返ったクァンは、倒れっぱなしのため分からないが。

 ちらり、流れる冷や汗と共に目線をやれば、人魚を宿した少女の顔が青褪めていた。

 この中で平気そうな顔をしているのは、愛しき影の獣と銃を突っ込まれたままの人狼だけ。

 付き合いの長さというヤツだろうか。

 出遭ってから今まで、感じたことのない気配を発する男を見る。

 当人とはいえ、こうまで違う空気を振り撒きながら、姿だけは変わらぬ様に、もう一つ、足が遠退いた。

 涎まみれの銃がシウォンの口から離される。

 ただし、銃口は喉へ向けられたまま。

「はあ…………悪い子だねぇ、シウォン。早く言っておくれよ。ワーズ・メイク・ワーズは君の我が侭に、ちょっぴり嫌気が差しているんだ」

 酷く優しい、悪意の籠もった、歪な声。

 引き金に掛かる指が力を増す。

 ため息が、シウォンの口から零れた。

「…………そこの扉から南東……距離は大体、500かそこらだ」

「ん。りょーかい。……そだ。クァン?」

 呼ばれた鬼火の身体が大きく跳ねた。

 次いで億劫そうな動きで身を起こし、動揺を隠せぬ瞳で、立ち上がった店主を睨みつけ、

「燃やせ」

 差し出されたのは涎にまみれた黒い腕。

 返事の代わりに炎が生じ、史歩へ背を向けた男の陰影が妖しく踊る。

 これを愉しむように、燃える右手を横へ翳し、うっとりと眺める白い美貌。

 ぞっと粟立つ思いから喉を鳴らせば、水気を払うように腕を薙ぎ、炎を消失させた。

 数度、窓と扉から漏れる光に翳し、腕の状態を確かめる。

「よし。綺麗になった。そんじゃ、行こうかな?」

 瞬間、張りつめていた空気がふやけたモノに変わり、ほっと息をつく――間もなく。

「「「おえっ……」」」

 猫とワーズとシウォン、それと少女を抜いた口から、吐き気を訴える声が漏れた。

 これを一人、へらへら笑うのは、空気を変えて”そのこと”を忘れさせていた張本人。

「んー? 駄目だよ、人魚のニオイまともに嗅いだらさ」

「…………野郎っ」

 店主に感じた怯えを払拭するかのように、へらり顔を鞘でぶっ叩いた史歩。

 それに対し喚くのは、もちろん――


 一人だけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る