第7話 唄う理由
虎狼公社の自由な規格とは違う、瓦屋根の家が積み重なった街並みを走り、呼吸が苦しくなる手前で、泉の目は目的の人物を捉えた。
シウォンの言う通り、投げられた竹平は生きているようだ。
距離は離れているが、痛がる様子は見受けられないため、無事と考えて良いだろう。
――が。
彼を中心に広がる、ゼリー状の物体は、一体……?
これがクッションとなって、竹平が助かったという憶測は、たぶん、間違っていないはず。現在もじわじわ範囲を広げる様から、かなりの量がここに積み上げられていたと分かるが。
浮かんだのは、黒一色のへらりとした言葉。
「身はゼリーっぽくて、変に生臭い……まさか、これ、メイリゥニの?」
目の前の光景は店主の言を正確になぞる。
これを元に泉の頭の中で再現される、道化染みた化け物が折り重なった塔。そこへ落下し、砕いていく少年の姿。
ただ一つ、難があるとするならば。
「……変に生臭いどころの騒ぎじゃない。殺人的に生臭いんですけど、ワーズさん」
(なんて良心的な言い方をするんですか)
ここにはない白い面へ、思っても仕方のない文句を抱えつつ。
「竹平さん!」
近づきながら呼べば、こちらをのろのろと向く、辛うじて衣に水色が残る少年。
「……泉…………無事、だったか」
ニオイのせいか、はたまた他の要因からか、青白くなっている顔に浮かぶ安堵。
「あの、人狼は?」
「……ええと、振り切りました」
思わぬ問いかけに、ちょっぴり罪悪感を覚えながら答える。
すると、
「そうか……大変だな、お互い」
どこか遠い目をした返答が為された。
妙な物言いに泉は困惑するが、内容をなぞったなら、あの化け物の一団が竹平を狙っていることに気づいたのだと察した。
掛ける言葉もない。
と、駆けていた泉の足が止まった。
気づいた竹平がゆっくり、首を傾げる。
「どうした?」
「…………い、いえ、なんでも」
赤いゼリー状の大地へ足を踏み入れるのを一瞬躊躇した泉だが、やけにぼんやりした竹平の様子と天秤に掛ければ、歩みが再開される。
気を抜けば滑りそうな地面。
(ううううう…………ぐ、ぐちゃって……)
踏みつける感触と音に内心で泣き呻く。
竹平の傍まで辿りついては、息を整えがてら深呼吸――しかけ、慌てて息を詰めた。
普通、臭いモノを嗅ぐと、人の嗅覚は麻痺を起こし、段々気にならなくなるという。だが、漂う生臭さに、鼻は一向に麻痺した様子も、慣れる気配も感じさせてはくれない。
両手で口を塞ぎ、その中で息を整えた泉、そんなゼリー状まみれの竹平へ手を差し伸べた。
「た、竹平さん、今の内に逃げましょう?」
「…………」
しかし竹平は、伸ばされた手を見つめるだけで、取ろうとしない。
一刻も早くこの場から立ち去りたい泉としては、不可解でしかない反応だった。
ニオイもそうだが、竹平が落ちたこの場所は見晴らしが良いため、いつ狙われるとも限らない。それでなくとも、繋がりという不可思議な能力を持つ存在、情報が伝わっていると思しきここからは、すぐにでも去らねばならないというのに。
――なのに、肝心の彼は座り込んだまま。
「竹――」
「なあ、泉…………かのえ、だったのかな、あれは……」
人魚のことなぞ知らないはずの竹平の問い。
受けた泉は驚きに眉を顰める。
「この、赤いゼリーみたいなヤツ……かのえの手首にもあってさ」
「…………」
そんなことを言われても、泉は肯定や否定を為せるほど、彼女を知らない。
分かるのは、人魚としての繋がりを断ってまで、竹平を助けたいと思った感情。
だから。
「話せば……いいじゃないですか」
「……泉?」
「話をすればいいのよ……受けて、応えてくれる人なら……会って、話して、全部聞いて」
「……聞いて、くれるかな?」
ぼんやりした問い。
瞬間、泉の内側を激情が巡り――。
深く、息が吐き出された。
小さく歯を軋ませて、また湧き上がろうとする激情を堪える。
いいじゃない。
叶えて貰えなくても、視線を交わす相手が――認めてくれる人がいるなら。
存在を、否定されないのなら。
声を……受け止めて貰えるなら。
「知りません。だから、会いましょう? かのえさんに。話して、聞いて……もし駄目だったらその時は――」
ほんのり、温かくなる胸。
自然と頬が緩む。
理由は、分からないけれど。
口をつく案は、泉がよくしていた事。
「唄でも、唄いましょう? 気晴らしに、大声で、人の迷惑なんて気にしないで」
「…………俺、音痴だぜ?」
「いいじゃないですか、別に。自分はここにいるんだって、証明しましょうよ。それに音痴ならなおの事、うるさいって、会話の切っ掛けが出来るかも知れないでしょ?」
「……最悪の切っ掛けだな。大体、この街で歌ったら、あのおっさんみたいに殺されかけるぜ、きっと」
「あ…………そ、それは考えていませんでした……どうしましょう」
せっかく、良い提案だと思っていたのに、難題を吹っ掛けられた気になって動揺する泉。良い場所はないものかと模索し、あれこれ考えていれば、竹平が笑い始めたことに気づく。
「くっ……し、真剣に考えることかよ?」
「うわ、失礼な人ですね。こっちは気分盛り上げようと、色々一杯一杯なんですよ!?」
「じ、自分で言うことじゃねぇだろ、それ」
一通り、笑う。
剥れる泉を余所に、竹平は自力で立ち上がった。
「うへぇー、ひでぇニオイ。しかも服にまで。やってらんねぇ」
とりあえず、大きな塊だけ払い除けた竹平、軽々しく、泉の頭を叩くように撫でた。
「ありがとさん……ま、頑張ってみるわ、俺」
「竹平さん…………………………酷い」
「へ?」
じとり、睨みつけた泉は、何も分かっていない竹平の手を払い除ける。
「何てことしてくれたんですか! お陰で髪に!」
「あ…………悪ぃ」
指で示せば、本当に気づいていなかった様子の竹平が頬掻く。
がっくり項垂れた泉は、竹平経由で前髪から垂れてきたゼリー状の物体を、頭を振って飛ばした。
「クセ毛で、洗うの大変なのに…………こんな仕打ち……」
「だーもー、マジ悪かったって! な? そうだ、なんだったら俺帰るし、名前やるよ、シンって。それで唄えば、お前、大ブレイク間違いなしだぜ? こんな街だが、お前の唄が上手いのは俺が保障してやるからさ」
「保障?…………音痴なのに?」
「…………………………てめぇ」
低く唸る竹平に、応じる泉の目はなおも恨みがましく――。
「「「「「見つけたわっ!!」」」」」
「「げっ!?」」
そんな重奏が響いては、揃って呻いてそちらを見、道化の軍勢を捉えては、
「「ひいいいいっ!?」」
二人仲良く悲鳴を上げ、足並み揃えて駆け出した。
「竹平さんの間抜け! こんなところで呆けるから!」
「仕方ねぇだろう、ショックがデカ過ぎたんだから!」
ぎゃーぎゃー言い合いつつ、待ってと追う声が聞こえたなら、揃って振り返り、
「「誰が待つか!」」
ほぼ同時に、叫ぶ。
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