第6話 ゼリークッション

 唐突に夜闇へ放り投げられた身体。

 辛うじて意識を留めおく速度の中で、竹平が戦くのは、この先で地に叩きつけられる己の末路――ではなかった。

 視界に入ってきた瞬間から、彼の眼を縫いつける、ソレ。

 否、ソレら。

 あるいは二足で走り、あるいは四つん這いで壁を這い、飛距離を伸ばす毎に、あらゆる陰から現われ増えていく、化け物の軍勢。

 池の鯉が投げられた餌を我先にと求めるように、白い手を一斉にこちらへ伸ばす様。

 それが、竹平を通り越した、月に向けられたモノであれば良い――

 という願いも虚しく、

「「「「「シン!」」」」」

 ひび割れ、しゃがれ、聞くに堪えない重奏で呼んだのは、紛れもない己の芸名。

 悲鳴が呑み込まれ、喉が引きつった。

(…………なんでコイツら、俺の名前知ってんだよ!?)

 あんな化け物に知り合いなぞいた記憶はない。

 いたとすればそれは――。

 浮べるのは恋人の、手首から剥き出していた傷口。

 彼女の皮膚とは違う生白い皮膚、ゼリー状の赤い肉。

 特に皮膚は、追う化け物と同じ色をしていた。

 しかし、手を払い、対峙した彼女は、間違いなく桐原かのえ本人。

「ワケ……分かんねぇ」

 下降し始めた口がぽつりと呟く。

 震える手を握れば、思い出すのは褐色の髪の少女のこと。

 自分は投げられてしまったが、彼女は無事だろうか。

 少女の名を呼んでいた、声からして男と思しき、人狼という種族。彼女と合流した際、彼女を抱えていた配色、混乱の最中でも確認出来たその在り方を思い起こせたなら。

(お互い、妙なモンに好かれちまったな)

 無事なら、その験をこっちにも回してくれ。

 泣きたい気分で、死ぬかもしれない状況下、そう願って衝撃に備え、硬く目を瞑る。

 ――矢先。


 ぐちゅぐちゃぐちょ――――!!!


 不快な音、不快なニオイ、不快な感触が怒涛の如く、続く。

 未だ宙にある頭が不自然に持ち上がっては、何かをクッションにしていると知った。

 この不快なモノは一体何だと、落下の圧で開きにくくなった目を無理矢理こじ開け、下を見やれば……。

 道化の姿が幾層にも連なり、竹平の身体が触れる度、ゼリー状に砕け散る様を目撃した。

「ひっ――ぅぐぇっ!!」

 青褪め悲鳴を上げたが最後、問答無用で口に入って来る飛沫。

(生臭ひゃっ、ギボっ、ううええぇぇっ……)

 思考すら満足に抱けない臭いと不味さが襲う。

「っが!」

 最終的に到達した地表で、竹平を襲う衝撃はずいぶんと軽くなっていたが、

「ぅえええぇ……」

 構っている余裕はない。

 生還の喜びすら薄い竹平が最初に行ったのは、四つん這いになって、口にしてしまった異物を吐き出すこと。

 幸い、飲み込みはしなかったものの、いつまでも口に残る臭気は、止めどない涎を溢れさせた。

 涙すら浮かぶソレに、瞬き数度でぼたぼた雫が垂れた。

 周囲が生臭いのは変わりないが、段々と追いついてくる思考。

 断末魔の悲鳴染みた呻きを上げ、最後の不快を力一杯吐く。

 同時に、地面を掻き――ぐちゃりとぬめる感触に、背筋がざわついた。

 身を起こし、涙と涎を汚れていない袖の内側で拭い取る。

「……どういう、ことだ?」

 自分を中心に、かのえの手首にあった肉と同じゼリー状の広がりを認めては、不快とは違う動揺が竹平の心を凍えさせた。

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