第4話 無謀の勇気
「ゃ……っ」
所業を思い出せと言わんばかりにぐいぐい押し付けられ、泉の目に涙が浮かぶ。
止めてと懇願するつもりで、シウォンの胸を痛む右手で握り締める。
途端放される左手、代わりに右手が取られた。
「痛っ」
上がる呻きにシウォンは囁く。
「泉。後悔なぞするな。この手は誰にやられたモノか思い出せ。手当てされたとて、今も痛むだろう? 操られたせいと割り切るのが無理なら、せめて、仕返しと思えばイイ。悔やむ必要はないんだ」
包帯越しに受ける口付け。
労わるような頬ずりが続けば、泉の中に膨らむのは困惑。
だとして、刺して逃げた自分へ、こうまで優しいのは何故だろう。
諦めると言ったが、やはりまだ、猫を諦めきれないのではないか?
生じる、恐怖。
身じろいだなら、シウォンの瞳が哀しげに揺れた。
解放される右手。
だが、身体は未だ腕の中に囚われたまま。
「……さて。そろそろ、か。……行くぞ」
「ど、どこに?」
恐々尋ねれば、鼻面に皺が寄った。
「忘れたのか? お前が言ったんだぞ? 芥屋に、帰るんだろう?」
「それはそうですが……」
メリットは、何?
目で問うても答えは得られず。
代わりの応えが内から起こる。
「でも、竹平さんを助けないと」
「助ける? あの餓鬼を? お前が、か?」
腕をつっぱり棒のように張れば、嘲笑する音が届いてきた。
いつかの日、シイを助けると言っては、呆れた口調で泉の無力を指摘する声が重なる。
それでも。
「……メイリゥニからは無理でも。あの人は人間だから。同郷で……私が居てくれて良かったって、言ってくれたから。せめて――」
「傍に、とでも?……馬鹿か、お前は」
「なっ」
端的な罵倒を睨みつけたなら、それより激しい怒りと遭遇した。
ゾッとする鋭さに身体が強張る。
「理解が足りない。言ったはずだ。女が揃えばあの餓鬼は終わりだと。のこのこお前が出て行って、餓鬼に会うため人魚に捕まったらどうなる? 要は心中だぞ?」
「……でも」
「見す見す、殺されに行くものだ。悪いことは言わん。芥屋へ帰れ」
「…………」
最後は懇願のようだった。
項垂れたなら思い起こされる、記憶。
お願い――と。
シウォンが言う、人魚であった、竹平の彼女・かのえの言葉。
彼を守ってあげて。
追手が来ちゃうの。
――繋がりを切っちゃったから。
はっと気付き、シウォンを見た。
人魚は繋がりが強いと、彼は言ったのだ。
なのに、人魚である彼女がそれを切って、追ってくる者なぞ考えるまでもない。
目を見つめられ、行動を制限され、しかし、感じた優しさは恋人への想いに溢れ――。
「…………行くぞ」
交わす視線を了承と受け取った人狼が、泉の身体を運びやすいよう抱える。
合間に。
「猫っ!」
左の袖口をシウォンへ向ける。
転身、虎サイズの猫が、青黒い四肢を押さえつけた。
反動で引き剥がされる身体。
たたらを踏み、体勢を立て直し、
「泉! どういうつもりだ!?」
昨日、泉が猫を止めた時には慄くだけであったのに、現在、猫に圧し掛かれようとも怯まず叫ぶ声に気圧される。
「グウウウウ……」
そんなシウォンに加勢するかのごとく、当の彼を押さえつけているはずの猫が、責める視線を送ってきた。
心情的には味方の居ない状況――けれど。
「猫……御免、我が侭言って。でもありがとう、察してくれて。シウォンさんも……御免なさい、忠告して貰ったのに。だけど私……駄目なの。無理なんです」
きゅっと握り締める左手。
会って間もない自分へ、弱みを告白しながら、弱気を掬い上げる強さ。
彼の方こそ分かっているのだろうか、あの言葉がどれほど自分を助けたか。
縋るように握られた手が、どれほど心強いものであったのか。
同じく、彼女が握り締めた手首。
どちらもまだ、熱く――。
そのままノブを握っても、扉を開いても。
噎せかえる臭気が、空っぽの胃にないはずの吐き気を呼んでも。
夜風を受けて走っても。
「泉!」
名を、呼ばれたところで。
熱は、冷めやしないから。
「ガウ」
「っが!」
短い鳴き声。
振り返れば猫が、抵抗するシウォンを押さえつけていた。
細められた金の瞳が呆れたように泉を見つめる。
好きにしなさい。後悔だけはしないように。
――そう、伝わり、
「ありがとう」
申し訳なくて、小さく告げる。
かのえが泉を頼ったのは、猫との繋がりがあるためだと分かっている。
シウォンに言われた通り、無力だということも、以前、指摘され、思い知っていた。
それでも。
何も出来ないと分かっていても。
「嬉しいんだ……」
必要と、されたことが。
繋がりを切ったかのえがいる以上、泉が捕まったとて、まだ希望はあるはずだ。
もちろん、捕まるつもりもないが。
「でも、彼女が捕まってたら………………か、考えても仕方ないわ!」
いつだって選択に後悔は付き纏うモノ。
言い聞かせつつ、シウォンを抑えるのではなく、猫自身に頼んだ方が良かったかも知れないと思う。
(あー、でも、猫、凄い顔してたわね)
やっぱりこうなる運命だったんだと、泉は勝手に納得しておいた。
望んではいけないと思った矢先に猫を頼ったことからも、なるべく目を逸らして。
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