第3話 取ってこい
呼ばれ重ねられる度、絡みつく甘さが増す声なぞ、泉は知らない。
――知らなかった、今までは。
「泉……ようやく、追いついた」
心なし弾み、安堵を含む、ささやくような低音。
幽鬼の出現する”道”を通り、白かったはずの衣を斑に染めた姿は、彼の辿って来た経緯を報せる。
「……シウォンさん」
知らず、視界が歪む。
猫が目的であろうとも、そうまでして泉を追いかける彼に、ある種の罪悪感が生まれつつある。
泉からシウォンへ、為せるコトなぞ何ひとつないから。
猫に頼むと口走ったけれど、そんなつもりは最初からなかった。
猫は自由を好むという。
それなのに、泉の頼みを聞いてくれ、不自由を強いられても嫌わないでいてくれる。
コンナ、私ヲ…………
だからこれ以上、猫に対して望んではいけない。
特に、自分の心と反する願いは、決して。
泉への好意を反故するような真似だけは――。
「…………そいつか」
考えに沈む最中、緑の眼が剣呑に輝いた。
数瞬、不穏な気配を察せなかった合間で、白い衣が地を蹴る。
「竹平さん!」
「どわっ!?」
気付いた時には遅く、青黒い手に首根っこを引っつかまれた竹平、流れる動作で開けられた扉から外へ。
思い切り良く、夜空にぶん投げられた。
ぎゃあああああああああああーーーー…………
「「「「「いたわっ!」」」」」
貧相な叫びが夜の奇人街に鳴り響けば、徘徊していた気味の悪い道化たちが、フリスビーを追いかける犬の如く、彼へと群がっていく。
「うっ……」
猛スピードで地を駆ける姿、壁を這いずる姿を目の当たりにして、泉はちょっぴり引いた。なまじ姿が幽鬼に似ているため、幽鬼がやらない行動を滑らかにされるのは、ニオイも相まって、すこぶる気持ちが悪い。
そんな泉の心情を如実に表すていで、勢い良く閉められる扉。
ニオイが軽減したのも束の間。
「泉……」
名を呼ばれ、腕を優しく引かれては、抱き締められた。
臭気を遠ざける馨しい香り、温かな腕、安心したような吐息。
ほだされ緩みかけた思考だが、血と花のニオイ、肩を刺した感触、竹平を浮べれば、見る見る内に泉の顔が青褪める。
「し、シウォンさん、放して! 竹平さん、助けないと! どうして投げたんですか!? し、死んでしまったら――」
言って、我に返る泉。
そうだ。
奇人街の住人や身近な人間の丈夫さで忘れていたが、払っただけで右腕を裂かれた泉同様、竹平も普通の人間なのだ。
いつかのシイのように宙へ投げられて、無事でいられるはずがない!
「はーなーしーてー!!」
焦る気持ちからジタバタもがく。
焦ったところで、投げられた時間を考えれば手遅れ……。
理解しても、なるべく現実から目を逸らして力一杯胸板を押す。
すると、なおも拘束を続ける人狼から、宥める言葉が掛けられた。
「落ち着け、泉。とりあえず、あの餓鬼は無事だ」
一応、もがくのは止め、疑いの眼差しを涙を溜めつつ向ける。
「ほ、本当? だって、あんな投げ方……頭、打ったりしたら」
「本当だ。
「うひゃっ」
目元がぺろり、舐められた。
混乱しつつ、覆い被され仰け反る、不自然な格好を解消するため身じろげば、気付いたシウォンが「すまん」と言って姿勢を戻す。
ただし、泉は腕に閉じ込めたまま。
ますます困惑し、鮮やかな緑を見ては、疑問が一つ、口をつく。
「…………メイリゥニ?」
それは確か、凪海で見た美しくも妖しい生き物の名であったはず。竹平を追いかけていった姿とは似ても似つかない。
聞き間違いかと思い尋ねたなら、柔らかな眼差しが肩を竦めた。
「んん? ワーズは説明していないのか? 陸では人魚の姿が変わると」
「……そういえば、さっき、マズイ、幽鬼に似てるって……つまり、あの姿が?……あれ? それじゃあ、あのメイリゥニたちって、竹平さんに、恋?」
導かれた結論に、泉の眉根が思いっきり寄った。
目覚めてからの災難続き、自分の比ではない。
絶句する泉をどう思ったのか、あやすように乱れた髪を撫でるシウォンが言う。
「ああ。だから無事なのさ。尤も、女が全て揃えば終わりだがな」
「女?」
「お前……狙われていることを知らないのか?」
「…………はい?」
寝耳に水、晴天の霹靂。
点になる目と交わし、シウォンの眉が上がった。
「ワーズが言っていただろう? あの餓鬼、お前を”ママ”と言って気に掛けたと。……好いた男がその時点で気に入っている女を全て、男共々海へ連れ帰り、記憶を漁っては共に死ぬ。それが人魚の恋愛成就、つまり」
「私が狙われる理由――って、ちょっと待ってください! メイリゥニが好きになるなら、竹平さん、目覚める前のはずですよね? その後凪海には行っていないし。大体、竹平さんが私と面識持ったの、昨日ですよ? それなのに」
「人魚がどうやって記憶を漁るか、分かるか?」
落ち着かせるようにシウォンの手が頬へ添えられ、その中で泉は小さく首を振る。
「目だ。意識のある目から侵入する。……お前にも覚えがあるはずだ、泉」
そう言って、泉の背を肘で留め、空いた両手でもって褐色の髪を弄るシウォン。
ス……と冷ややかな硬質を感じた泉は、三度目になるその正体を察して震えた。せめてもの抵抗にと、陰で彼を遠ざけようとしていた手の平の力も弱まる。
これを受け、クツクツ笑う声に合わせて拘束が強まっても、泉は為すがまま。
「そう、このかんざし……お前のためにあつらえた。まさか刺されるとは思っていなかったが、あの人魚、イイ判断していやがる。お陰で俺は……」
「っぁ」
更に締め付けられ、喉奥から苦痛が漏れた。
すぐに弱まるが、力の抜けた身体は完全にシウォンへ委ねる格好となる。
感じる、微かな震えと、結い上げた髪をなぞる指遣い。
「花芯は紅珠玉の中でも特級品。滅多に御目に掛かれねぇ代物だが」
「べに……しゅぎょく?」
「ああ。業火を孕んだ珠玉だ。人魚除けとも言われているが……やはりコイツはお前によく似合う。……刺した後悔なら捨てろ、泉」
びくっと慄く身体。
緊張が戻される前に、シウォンが額へ頬ずる。
「あれこそが人魚の能力。あの時傍にいた女は人魚だ。人間や下っ端共の鼻は誤魔化せても、俺の鼻は誤魔化せない」
その鼻を鳴らし、
「大方、気を失った餓鬼の近くにいたんだろう、まだ人間だったあの女が。恋人か何かと察知され、人魚と同化し能力を得た。本当はそこで、餓鬼が目覚めりゃ終わるはずだってぇのに、どういう経緯かは知らんが、目覚めた餓鬼はお前を気に掛けてしまい――その後で女の中の人魚がコレを知り、狙われる羽目になった、と」
ため息が泉の前髪を揺らす。
おもむろに取られる左手。
向かう先を察して抗っても許されず、指に触れたのは、乾いた血の跡。
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