第19話 可愛さ憎さ
炎を忘れた熱風だけで人魚を追い払ったクァン。
無事を通り越した姿に”彼女”と共にほっとするかのえだが、散った人魚を追わず、こちらを射貫く青い瞳に覚悟を決める。
死を目前に控え、かのえが呟いた願い。それを人魚の言葉と切り捨てたということは、クァンはすでに、かのえがどういう状態か知っているのだろう。
となれば、この先に待ち受けているのは――
結論を待たず、ズカズカ近づく姿があったなら、今度こそ訪れるであろう死に、覚悟を決めて黒曜の瞳を閉じる。
しかし、
「だっ!?」
襲ってきたのは側頭部への衝撃のみ。痛覚はすでにない身だが、反射で頭を押さえたかのえは、クァンの長い足が薄衣のスカートに下がる様を見て混乱した。
(え? 蹴られた? なんで?)
てっきり問答無用で燃やされると思っていた。人魚に対するクァンの敵意は、それほどまでに強いと、”彼女”を通して知っている。
だというのに、蹴りで留めた鬼火の手は、次にかのえの足を地へ縫いつける爪を引っこ抜いた。
助ける動きに”彼女”共々ハテナを幾つも浮かべていたなら、無言で差し出される手。
掴めと言わんばかりのそれを恐る恐る掴む。
と、ぐいっと引っ張り上げられ、立たされた。
「無様」
「え……クァン、私、人魚だったんだけど――ぃだっ!」
今度はグーで殴られ、やっぱり痛くなくとも悲鳴が上がり、頭を抱えてしまう。
無言で穴だらけになった舞台衣装を払われては、ああなるほど、と気づき、
「あ、ごめんね? せっかく貰った服ったぁっ!?」
また殴られる。
どうせなら最後まで喋ってからにして欲しい、訳の分からぬ強襲に、必要もないのに目を潤ませて睨めば、それ以上に吊り上った晴天の瞳に射抜かれた。
人魚が唯一恐れるべき種に対する畏怖から、喉がひくりと鳴る。
一体自分が何をした――と浮かぶ記憶は、碌でもないものばかり。
やはり、燃やされるのが妥当であろう。
それなのに何故か見た目ほどダメージのない殴打が繰り返される。
人魚たちとの一戦で散らばったゼリー状の肉塊は、跡形もなく燃やしただろうに。
そうでなければ、クァンの後に続く人間の少女と人狼の男の顰められた顔から、徐々に皺が取れていくこともなかったはずだ。
人魚の身を得たかのえには分からないが、陸に上がった人魚の肉の臭気は、人魚以外にとってかなりキツいらしい。ゆえに、鬼火であるならば、こうして殴るよりも、臭いごと燃やした方が良い。
「……かのえ」
「はい……なんでしょうか……?」
モデルだけあって長身のかのえだが、クァンの方が目線一つ高い。
そんな身長と額にある小さい角も相まって、鬼婆という表現がピッタリの顔で見下ろされたなら、視線は知らず知らず逸れていくもの。
炎から為る方々の光を受け、薄まり散らばる人影に、(わーきれー)と心にもない感想を抱こうとするが、そのシルエットすら怒気を移したもののようで、逃げ場がない。
死ぬ気だった気持ちを削がれると、不思議なことに、残った命が惜しくなってくる。
「アンタ、今、どっちだ?」
静かに尋ねられ、かのえの眼がクァンに戻る。
「ど、どっちって?」
「だから、アンタはかのえなのか、人魚なのかって話だよ!」
「……強いて言うなら、どっちも? あたっ!」
またぽかりと殴られた。
どうして正直に答えて、殴られなくてはならないのか、理解に苦しむ。
この鬼火は何がしたいのか分からず、頭だけ擦っていれば、
「クァン、無駄な会話はそのくらいにしろよ。ねえ、シン殿はどこにやったの? あと、その爪で作られたような、山積みの死体の近くに瓦礫があったんだけど、泉嬢もいたよね?」
追いついてきた黒一色が自分のこめかみに銃口を向け、へらへら赤い口で笑う。
かのえは妙な男だと認識するのみだが、”彼女”の方は落ち着かない感覚を寄せた。
畏怖のような憧憬のような……。
困惑を浮べかけたかのえに気づき、”彼女”が泡の情報を与えてきた。
どうやらこの男こそが、竹平を最初に見失った元凶らしい。
陸にすら上がれない人魚を造り上げた、心ない男――
確かに心を寄せるどころか、心がないように見受けられる。
他三人はかのえの切断された右手首の、ゼリー状の肉と骨に目を剥いたが、男は構わずへらへら笑うばかり。
それでも難解過ぎるクァンの様子よりはマシと、簡単な方へ言葉を紡ぐ。
「いたわ。逃がしたの。いけなかったかし、らっ!?」
完全に男へ向いていたため、死角で頭を叩かれては回避もできない。
大半が人魚の感覚とはいえ、かのえの意識はある。
理由も分からず何度も軽々しく叩かれては、段々腹が立ってきた。
キッと睨めば空色の半眼に気圧され、若干及び腰になりつつ、
「クァン、何がしたいの?」
「その言葉、そっくりそのままアンタに返してやるよ! 人魚なんだろう? 何だって男逃がして、同じ趣味の同族と敵対してるんだ? お陰でこっちは肩透かし喰らった気分だ! どうしてくれる、この、人魚!」
捲くし立てられ、胸倉を掴まれたが、ようやく理解できて苦笑が浮かぶ。
気に喰わなかったら殺せば良いのに、人魚らしからぬ行動から、一時でも共に暮らしたかのえに対して、躊躇いが出てしまったのだろう。
「……本当、お人好しなのね――ぇうぐっ!」
今度は投げ飛ばされた。
やはり痛みはないのだが、反射で身体が呻く形を取ってしまう。
習性に等しい行動に難儀していると、鬼火の手が差し伸べられる。
「クソ、なんてやりにくい」
「あ、ありがとう」
立ち上がって礼を言えば、その手をばしっと叩いて離す。どれほど彼女が人魚を嫌い、かのえを心良く思っているかがよく分かる、相反する動きだ。
お陰でこちらもどう動いたものか、反応に困ってしまう。
それでも生かされている現状に、竹平と、かのえの思い込みを砕いた少女が過ぎったなら、皮と骨の間の肉を削がれて傾くバランスのまま、彼らを逃した方向を目指し、
「おい、何やって」
「お願い、行かせて。殺さないなら、助けなくちゃ」
「……んー、なら、そっちじゃないよ。こっち」
妙なことを言う妙な男が、別方向を指差した。
先程まで居なかった奴が何の話だと思いつつ、億劫そうに顔を向ければ――。
冗談のように巨大な塊が、近くの岩肌に添って落ちゆく光景があった。
「なっ」
「あの方角……昇降機のある辺りだ」
人狼が金の眼を細めた先で、箱型の物体がレールと思しき線を上に昇っていく。
「どうやら、上に向かっているらしいな。上は知らんがあれくらいの位置なら……よし、そこの”道”を使うか」
さっさと決め、意気揚々と、近くの扉へ向かう袴姿。
驚いたかのえは”繋がり”を断つ前に感じた気配から、忠告を発した。
「待って! 今、地上には幽鬼が! あれは人魚を嫌うから、水脈の近いこっちにも上にも来ないけど、”道”にはいるでしょう?」
危険だと報せ――なのに。
「おおっ、その手があったか!」
あからさまに顔を明るくした少女が、ぽんっと手を打った。
嬉々とした様子で扉に入ろうとするのを見て、気でも狂ったのかと止めかけ、
「止めたら斬られるよ」
「……えっ?」
「史歩嬢、あれで強さは狩人以上だからね。それもかなり好戦的な人間で、幽鬼大好物だし。それなのに、人魚出現でフラストレーション溜まる一方でしょう? 何せ人魚はニオイキツいからさ、幽鬼の死体に蹴躓いて肉片かかったら、もう食べられないじゃない。しかも人魚って、斬りごたえないからねぇ」
「…………あっ!?」
しみじみ語る男を注視している内に、止める者のいなかった歩みは扉の向こうへ消えてしまった。
咄嗟に伸ばした手は、ぐーぱーを繰り返す。
そこへ、べしんっと叩かれて視界がぶれた。少し屈んで擦りさすり、元凶である鬼火を睨んだなら、腕が頭上に置かれて体重が掛けられる。
「く、クァン、ちょっと、重っ」
前に傾ぐ身体を堪え、止めて貰うよう口にしても、かのえを無視した鬼火は黒一色の男をせせら笑うのみ。
「あらまあ、珍しいことだね、芥屋の。アンタが人間以外の、それもこんな生臭魚の身を案じてやるなんて」
「はっ、勘違いも甚だしいよ、クァン。ボクが人魚なんかの身を案じるだって? 人間の意識が残っているからに決まっているだろ? じゃなかったらこんなの、どうなろうが知ったこっちゃないね」
「…………」
何故だろう、男の言葉はそのまま、人間ではないクァンにも向かっている気がした。
同じように捉えたと思しき鬼火の身体が熱せられ始めたのを受け、人魚の肉を持つかのえは慌てて腕の下から逃げ出した。
凶悪な面構えでも安全そうな人狼の元まで走り寄り、振り返っては呻く。
「……前言撤回だわ。街が変なんじゃなくて、人が変なのよね」
ぽつり、小さく呟いた言葉は。
「まあ、奇人街っていうくらいだしな……あの二人が変なのは認めるよ」
人狼に拾われ、かのえを半眼にさせた。
(こんな連中とつるんでる時点で、貴方も充分、変だと思うんだけど)
人のことは幾らでも言える……と思いつつ。
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