第17話 嗜好と本能
とんっと押された背中。
並ぶのは、人狼姿の竹平。
驚いて振り返った泉は、煌びやかな街並みに踏み入らない、暗がりの笑みを見る。
「エレベーターはすぐそこさ。隣には”道”もあるんだけどね。どうやら幽鬼が徘徊しているらしい。奴ら、”道”と相性イイからね。開いてもこっちにゃ来ないが、行ったら最期さ。ま、お陰で誰も寄り付かないから安全だね」
クイの言葉で思い出すのは、陽にやられたランを背負い、”道”を利用した際のシイの言。前に幽鬼から逃げ回っていた時、共に行動していたシイが”道”を使わなかったのを疑問に思い尋ねたなら、帰ってきた答えが当にそれ。
加えて思い起こされる、日中は安全だという話。
――幽鬼の出現する時刻は、大体夕方から朝方にかけてなんです。暗がりでも目が利く代わりに、陽差しがキツいと眩しくて歩くのもままならないんだろう、ってスエのおいちゃんが言っていました。
シイがスエを信用している節はさておき、ということは――と出された結論に、クイが保障をつけた。
「上まで行ったら、そこの部屋で朝まで待機しとくんだ。幽鬼は陽を嫌うからね」
「クイさん……」
「ん? なんだい?」
あくまでフレンドリーな態度で接せられ、泉はごくり、喉を鳴らした。
人を使って泉を殺そうとした――先程のクイの台詞。
奇人街で殺されそうになった経験は何度かあったものの、泉自身を狙ったという心当たりは一人だけ。
その男の末路を、彼女らは知っているのだろうか。
金網の向こうの彼らを、彼女たちは……。
けれど泉の喉を通ったのは別の問い。
「どうして……こちら側に出て来られないんですか?」
「そりゃね。だってフーリ様、アンタ探してるだろ? 暗くて狭いところなら、幾らでも逃げられるけどさ。明るい中で見つかったら、計画パアだし」
聞く限り、陰惨な未来を想像させる、パアの部分を愉しそうに語るクイ。
同意するように頷きつつ、竹平へ色目を使うレン。
(私は……何を得たかったのだろう)
閉ざした問いの答えを思っても、この親子はきっと、事無げに「そう」と言うだけ。
これが、この街の常識。
何度でも思い知って、泉から吐き出されたのは――ただのため息。
「じゃ、行きましょうか、竹平さん」
「あ、ああ」
赤毛の人狼にビクつく彼は、弱気を泉の差し出した手に乗せた。
「んじゃ、よろしくね、イズミの奥方」
「…………はあ」
(……奥方って)
曖昧な返事をしては、暗がりの彼女たちへ手を振った。
前を向いたならクイの言う通り、人通りの少ない路の先に、エレベーターがある。
「け、結構距離あるな」
泉より上背があるくせに、挙動不審に辺りを伺う竹平は、縋るようにもう一方の手も泉へ重ねてきた。
「怖い、ですか、やっぱり」
尋ねれば、
「おうよ……悪かったな、臆病者で」
口を尖らせた悪態が為された。
子どもっぽい様子が可笑しくて泉は少しだけ笑った。
竹平に見えない位置で、口の端だけを小さく上げて、皮肉げに。
(やだな……思ったより、順応力あったみたい)
クイたちの在り方すら、そういうモノなんだと納得してしまうくらいには。
芥屋という居場所を仮初としないならば、諸手を挙げて喜ぶべきなのかもしれない――けれど。
失いたく、ない。
そう、思った。
元居た場所で培ってきた感覚は、そのまま泉を形成する思い出に繋がるけど。
思い出したくもない日々を思い出すけれど……。
頼られた手が熱い。
竹平のように不安がる人がいて、順応しきれない自分に安堵を憶えるならば。
たとえ芥屋に居続けようとも、この感覚は失いたくないと思った。
許されるの、ならば。
誰に?
それはもちろん――
「これはこれは。綾音様ではございませぬか?」
あともう少しでエレベーターというところで、前方から届く、少年とも少女ともつかぬ声。
しかし泉は声の主を知っており、従って顔を上げては名を呼び――
「緋鳥さ……ん?」
目が点になった。
不自然な疑問符に、不思議そうに傾ぐ、ミリタリー柄の目深帽。
「いかがなされましたか、綾音様」
「いや……どちらかと言うと、私の台詞なんですけど、それ」
頬を掻いた指で緋鳥を示す。
示しながら、視線は彼女の身体を上下左右、行ったり来たり。
取り戻したのか、同じ物があったのか、鬼火の男へ投げつけたのと同じ形状のジャケットを羽織った、いつもの格好は、別にいい。
問題は、露出した部分。
鋭い牙を覗かせる口元、首、手首、鎖骨から脇下のライン、細い太腿、膝……
もしかすると、服の下にもまだあるのかもしれないが。
「な、縄目?」
くっきりと肌に赤く色づく模様は、いかがわしい様相を呈しており、
(えええええ……と?)
困り果てて泉が目を向けたのは、隣の竹平。
彼は彼で目を真ん丸くし、初めて見る少女の、あられもない傷痕に動揺していた。
(ス、スルーすべき?)
けれど緋鳥から笑い声が聞こえてはそういう訳にもいかない。
「うくくくくく……よくぞ、よくぞ気づいてくださいましたっ、綾音様! これぞ、これこそ、この縄目こそが、つれない閣下とのひと時を真と為す証!」
「…………つまり、その縄目は……キフさんの仕業?」
(確か女性には無害だったんじゃ、あの人……)
そちらの趣味を見た憶えはないが、緋鳥の雰囲気から察するに、手馴れていると感じた。
元より、セクハラ染みた言動がワーズ並みにある中年、緋鳥の言葉を嘘と論ずる根拠もなし。
「お陰で今日まで多少の不自由は強いられましたが」
(……へえ)
「閣下より賜った貴重な縄を保管するため、切らずに解くのは存外、難しく」
(…………へえ)
「しかしながら解いて後、訪れた芥屋では、とに珍しき現象を拝見しました」
「現象?」
聞き流そうとしていた泉、芥屋の名が出ては首を傾げる。
「然り。不可思議にも、店主様の寝姿にお会いしたのです。あの御方の無防備なお姿なぞ、出逢ってより一度も、知覚した憶えはなきゆえ」
不思議だと泉は思う。
それではまるで、ワーズが常日頃、周りを警戒しているようではないか。
へらへらふらふらしている店主の姿を浮かべても、隙だけしか見当たらない。
否定しようにも、緋鳥が切ないため息を吐いては閉口する。
「あともう少し……あと少しで御身の胤を頂戴すること叶いましたのに…………剣客気取りの人間が邪魔をしくさりおって」
「…………」
忌々しいと吐き出された相手は、神代史歩であろう。
だが、泉の頭を占めるのは前述の「あと少し」のくだり。
「緋鳥さん……本気なんですね、ワーズさんのこと」
「はあ!?」
静かに言えば、驚きは黙ってやり取りを聞いていた隣から。
(分かるけど……その驚きは、すっごく、分かるけど)
竹平から在り得ないだろうと批難する視線を受ければ、何故か泉が落ち込んでくる。
気を取り直し――その直前。
「ふむ? 何を寝惚けたことを仰っておいでですか、綾音様? 私めが店主様を求むるは、彼の御方が我が内に無き種をお持ちのため。私個人という話でしたら、店主様もナーレン閣下も、好みの対象外もいいところ」
「へ…………?」
混乱する泉。
感じ取った緋鳥は姿勢を崩し、首を傾げては爪で頬を掻く。
「私めが彼の方々を求むるは、合成獣の本分と申しましょうか。己が内に無き種を胎に納めたい、もしくは、その胎に納まりたい、と。そこに好みなど在りはしませぬ……そして――」
「!」
「うぉっ!?」
深まる緋鳥の笑みを合図に、泉の左手が自分の後ろへ竹平を引っ張った。
間髪入れず、立て続けに地へ穿たれる鉛の刃。
竹平を、狙ったと思しき。
緋鳥からの――投擲。
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