第16話 切断
狭い通りを抜けて、広場と思しき場所に出る。
不穏を察してか、近くに人影はない。
ただ、少しばかり遠く、好奇を向けてくる視線があると知った。
――趣味悪……。
「そんなモンよ、かのえ。放っておきなさいな。邪魔になんないだけマシ」
――うーん、分かっているけど……。
”彼女”の言葉を受けて、意識を交代したかのえは内で唇を尖らせた。
子どもっぽい様子に苦笑した”彼女”は、走る足を踊るように回らせて止めると、後方、駆け寄る一団を迎えた。
他者の皮と骨を与えた人魚――”彼女”の同胞。
微笑む”彼女”とは対照的に、五人は同じ不快を浮かべて睨みつけてくる。
「「「「「何故、繋がりを断つの? かのえは人間だから知らないけど、”貴女”は、”私たち”と同じはずでしょう?」」」」」
――爪、与えたのは失敗だったんじゃない?
「本当に、ね。まさかこんな風に相対するなんて、思いも寄らなかったから」
五人への応えを装い、”彼女”は内のかのえへ返事をする。
両手に握るのは、千切れた指付きの、鋭利な爪が二本。
五人も同様の爪を持つ様を見ては、勝ち目は到底ない。
それでも引かないのは、ちょっとした時間稼ぎ。
人魚は意思を共有する。
これを彼女らは繋がりと呼び、かのえの輪郭を持った人魚は、突き放すように、不快を抱かせるように、その繋がりを絶っていた。
クァンに最後の一刃が降りる前に。
運が良ければ、彼女は生きているはずだ。
だからこそ、時間稼ぎが必要なのだ。
自分の正体を知ったクァンが燃やしにくる、あるいは、竹平たちと合流する、それまでの時間が。
もしも来なかったら……。クァンが死んでいたら……。
それは考えるべきことではない。
否、在り得ないだろう。
彼の鬼火の憎悪は、陳腐な乱舞で納まってくれるほど、可愛い代物ではないのだ。
「タイミング悪く店の娘がいなくなったって、あれ、関係ないのにさ」
――何の話?
「こっちの話。まあ、あれだけ怒ってるのは、一緒に消えたのが自分じゃなかったって理由でしょうけどね」
やれやれと肩を竦めれば、足元に爪が突き刺さった。
視線を戻すと、似た渋面が並ぶ。
「「「「「答えて。何故、”私たち”から離れたの?」」」」」
「うーん、難しいわね。一言でいうなら、認められたから、かしら?」
同意を求めるように爪を見やれば、にこりと微笑むかのえの顔が映る。
かのえの手を払い除けた竹平は、内に潜む人魚の存在を認めた。
かのえでありながら、かのえとは違う、彼女の理解者である”彼女”を。
嬉しさに驚こうとも、他の女の影に怯え、竹平を思い通りにするべく、更に彼の記憶を探る。
知れたのは、他の女の影など欠片もない事実。
あるのは、かのえを案じる声だけ。
覗き見してしまった本心に動揺し、ふと、かのえは我に返る。
取り戻した理性が導き出したのは、取り返しのつかない未来。
「近付き過ぎたのよ、私。全体であったはずなのに、個を見出されちゃったの。かのえを想い、かのえが――ひいては私が想う、彼に。嬉しかったけど、同時に、一緒にいられないこと、かのえが気付いたの。もう、全部遅いから、全部終わらせようって」
苦笑に歪む顔は、晴れ晴れとしたもの。
憑き物の落ちた明るい面持ちに、対峙する人魚たちの顔つきが一層険しくなる。
「「「「「つまり、貴女は同胞を裏切るのね」」」」」
「そうね。綺麗さっぱり、そりゃあもう、ばっさり――と」
肩を竦め、すぐさま低くした頭上に爪が飛んでくる。
流しても長い黒髪が数本落ち、自然と零れる笑みはかのえの口元を彩る。
足元の爪に手をかけ、投げれば飛び出す金髪の幼女の腹を穿ち、地に縫いつける。
次いで攻め来る死人の腕を一本払い欠く。と同時に襲う一本をもう一本で受けた。
繰り出される蹴りは、受けた反動で横に逸らすが、別に掠めた爪が足を深く裂いた。
血は出ない、痛みもない。
漂う臭気は人魚たる”彼女”を怯ませるに値せず。
皮が裂かれても、骨に至らねば良いだけの話。
不安定な体勢を立て直すため身を捻っては、蹴りの勢いを殺せなかった、死人の脇腹を深く抉る。間髪入れず、老いた両手の爪が襲い来るのを一本は骨ごと切断し、片方で人狼のその首を寸断。
にやり、笑む前方。
微笑み返せば腹を貫く一撃が入り、絶命した身体を押し倒すことで、引き抜く。
びちゃっ……
水の音を立て、ゼリー状の肉が裂いた腹から地に広がった。
腹の中身が減ったことにより、バランスを崩した反動を利用、背面を取った相手を振り向き払うが、持つ得物の数に一瞬対応が遅れてしまう。
払い落とした老女の爪が新しい持ち手を得、慌てて攻勢に入った右手首を切り落とす。
咄嗟に地を蹴れば、突き刺さる、三種の女の爪。
崩れたバランスのまま、尻から倒れ、足に突き刺さる衝撃。
地に縫い付けられ、目を見張ると、腹から爪を引き抜いた小さな姿が口をきいた。
「もう、最悪。まあ、でも? もう悪あがきは出来ないわよね。待ってて。今、貴女の四肢を切り落としてあげるから。必要なのは貴女の意識。自由の利く手足なんかいらないの」
謳うように笑う様は、幼女と思えぬほど美しいが、声が段々と掠れ、しわがれていく。
絶対的優位からの宣言を受け、座る格好のかのえはそれでも笑んだ。
「出来るなら、ね?」
人の姿でありながら、肉片を撒き散らし、苦痛を上げない口から漏れるのは、不快な雑音混じりの声音とは違う、かのえの美しい声。
すぅ……と残った四人の目が細められる。
「「「「出来るに決まってるじゃない? 成就して見せるわ。だって貴女が”私たち”を呼んだのよ? 彼を捕らえ、あの子を――殺すために」」」」
かのえの笑みが深まる。
「ええ。最初はそのつもりだったわ。私以外がシンの記憶に入り込むなんて、同化するっていっても嫌だったから。死んでしまえば、彼の中に居られるのは私だけ。でも知ってしまったの。シンの中のあの子は、郷愁に過ぎないって。あの子の中のシンにしても、ただの友人……以下、だったわ」
――ちょっとショックよね。自分の最愛の人が、そこら辺の掃いて捨てる男と同列なんてさ?
”彼女”の言葉にかのえは苦笑を返し、
「酷い言い方……掃いて捨てるまでいかなくても、彼女の中のシン、過小評価され過ぎてて……尚更、思い知ったわ」
”好みなんか人それぞれ、万人に通用する顔も性格もないでしょう!?”
それは昨日、かのえ自身が語った言葉。
本当は分かっていたはずなのに、もう引返せないと知って、背けてきた真実。
睨みつける人魚から、己の左手に視線をやる。
辛うじて巻きついていた包帯は、武器として使う爪に裂かれていた。
現れるのは、裂傷ではない掻き傷に剥がれた皮と、剥き出した生白い人魚の肌。
かのえを追い詰めた女の、最期の足掻き。
握り締めれば、前方の空気が動く。
見なくとも分かる、嗤う人魚たちの違う顔、同じ表情。
上を向いて目を閉じる。
浮かぶのは、赤い髪の美麗な少年の姿。
まだ伝えていない言葉はあったけれど、人魚の惑わす瞳すら跳ね除けた彼ならば、大丈夫だろう。
もう一人浮かんだ姿に、くすりと笑う。
「クァン、こんなこと言える義理じゃないけど、竹平君、助けてあげて」
耳朶を打つ、地を駆ける音。
そして――
「冗談じゃないね! アタシゃ人魚の頼みなんざ聞かないよ!!」
怒号と、通る熱波。
「「「「クァン・シウ……間の悪い奴!」」」」
忌々しいと叫ぶ声に目を開け、熱源を辿れば、白い鬼火が仁王立ちで凄惨に嗤っていた。
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