第15話 ダブルデート

(……どういう状況だろう、これ)

 泉が斜め上を見たなら、愉しそうな鼻歌混じり。

 下へ目を向けたなら、指を絡ませ握り締められた自分の左手がある。

 こちら側に向けられた人狼の甲には、ぬらぬら濡れる、痛々しい傷口がぽっかり穴を開けていて。

「あのぉ……」

「んー、なぁに?」

 うふふと笑う女は、泉の声に上機嫌で応えた。

 ちょっと怖い。

「あ、もしかして、まだ痛む? 右手。悪いわね、怪我してるなんて知らなかったからさ」

「いえ、それは大丈夫なんですけど……」

 心配そうなネコ撫で声も、これまた怖い。

 それでも問う泉。

「ど、どういう状況なんですか、これ?」

 結局口をついたのは思ったままの台詞。

 けれど女は軽くしなだれかかっては、甘える口振りで言った。

「どういう、って、ダブルデート、って奴じゃない?」

「……いや、形式はそれっぽいですけど」

 頬を掻いた泉は、後方に視線を向けた。

 そこにいたのは赤毛の人狼女に腕を絡めとられた竹平。

 時折、悩ましげな声を上げる様から、裏でコソコソ何かされているらしい。

 こちらの視線に気づき、助けを求める潤んだ目とかち合った。

 が、ささっと逃げに走った泉。

 若干赤らんだ頬は、隣の女に突かれる。

「あらま、お連れさんが羨ましいの? 同じコト、してあげましょうか?」

「え、遠慮しときます」

 思いっきり痛みも構わず右手と首を振ったなら、女の耳がちょっぴり伏せられた。

 残念、親睦を深めるイイ機会だったのに。

 暗に伝わって、そんな親睦いらないと泉は思う。

「私、そういう趣味ないんで」

 すっぱり断れば、

「あら奇遇。私も同性に興味ないの。私たち、気が合いそうね?」

「は、はあ……」

 ならばどうしてこの人は、身体を密着させてくるんだろう……?

 付いていけない展開。

 奇人街で目覚めてから、一番の困惑に襲われている気がする。

「でも、あっちの子は、男、なんでしょう? すっごくイイ感度だけどさ」

「は、はい……その、スエさん、て人のせいなんですけど……」

「ああ、あの胡散臭い人間。……なるほどねぇ」

 振り返った女の目に憐憫の情を垣間見、泉は少し驚いた。

(スエさん……有名だったんだ)

 こんな地下まで浸透していた名前。

 それも、良くない方向で。

 なんとなく、納得した。

「そ、それはそうと、私……たち、一体どこに向かっているんでしょうか?」

 泉の声が、上擦ったものになるのも無理はない。

 何せ、泉たちの進行を阻んだ彼女らが、行動を共にする理由はまだ聞かされていないのだ。シウォンが最初に泉を誘った際、同伴した女たちだとは聞かされたが、話が真実でも嘘でも、安心できる相手ではない。

(設定通り、売られる……とか?)

 過ぎる最悪の結末。最初は泉だけ連れて行くつもりだったのが、泉の言葉により竹平まで連れて来られては、彼に対する罪悪感がますます募るというもの。

(でも、あのままだと竹平さん、殺されていたから)

 思い起こしてもゾッとする、泉を連れ去る際、面倒だからと赤毛が弾みをつけて貫こうとした竹平の倒れた姿。

 しかし……。

 泉の仲間、それも男と知っては、命は助かっても赤毛に散々弄られ、服も泉の物だろうと女の手で剥かれ。泉がブロンド毛並みの人狼女の陰で着替え、水色の衣を渡すに至るまでの間、隠してやると尤もらしい理由で覆い被さられては、切ない喘ぎを幾度となく上げて。

 そうして現在も啼かされる甘い声は……もの凄く、居たたまれない。

 本当は女の恋人がいる、男の人だから、尚のこと。

 声が届く度、ビクつく泉。

 横目にこれを入れたエメラルドが、すっと細められた。

「どこって、地上に続くエレベーターさ」

「へ?」

 不思議に思い、立ち止まれば向かい合わせになる女。

「そうだ、すっかり忘れてたけどさ。順番も滅茶苦茶だけど……私、クイって言うの。んで、あっちでアンタの相方弄ってんのが、レン。名字はどっちもイフィーね」

「は、はあ、泉です。綾音泉。あの人は竹平さん。権田原竹平さんで……えっと、ご姉妹?」

 なるほどだから似ているのか、そう思った矢先。

「イズミにタケベエ、ね。っとと、姉妹じゃないわ、親子よ」

「は?」

 意味が理解できず、固まった泉。

 ここに来て、初めて笑い以外の感情を浮べたクイは、頭を掻いた。

「見えないって言いたいんでしょうけどね。私が母親で、あっちが娘なの。育てたのは別のヤツだけど」

「……はあ」

 思い起こす、奇人街の齢の重ね方。

 混乱する一方の頭が、はっと気づいてますます混乱に陥った。

「ぃえ……す、すると、シウォンさんは…………つまりぃ……」

 奇人街の倫理は元居た場所と違うのは分かっているが、この場合はすこぶる危険だ。

 自分の身に置き換えると、とても気持ち悪い。

 はっきり言って、司楼言うところの、ロリコン止まりの方がマシだった。

 ……ロリコン、の代名詞が自分へ被さるのは、未熟と言われているのに等しく、不愉快極まりないが。

 言葉を濁りに濁らせ、目をぐるぐる彷徨わせる。

 すると、鼻がぴっと弾かれた。

 鋭い爪でやられた割に傷はないが、つんとする痛みが襲う。

「何考えているかは、大方想像つくけどね。そりゃ、奇人街にゃ、そういう輩もいるが……フーリ様に限っては絶対ないから。あの方、衰退よか繁栄が好きだからね。どっかの馬鹿鳥みたいに、濃ゆい血統にゃ拘んないし」

「そ、そうですか……」

 とは言っても、やっぱりついていける話でも、ついていきたい話でもない。

 考えるのを止めようと思えば、至極フレンドリーに肩が叩かれた。

「もう、しっかりしてよね、イズミの奥方!」

「は、はぃっ痛!?」

 仰け反りぎょっとした目で見たなら、クイが手を合わせて言う。

「フーリ様幽玄楼に籠もりっぱなしで、アンタがいるってことは、妻にまで望まれたってことだろ? そこまでイっちゃったら、人間って理由だけで見くびれないよ。……いずれバレることだから薄情するとね、私たち、人使ってアンタ殺そうとしたんだよね」

「…………は?」

 奥方って誰の!? と相手がシウォンを狼首とする人狼なら、分かりきった答えを聞き返す間もなく、あっけらかんと言われて目を丸くする泉。

 理解するより早く、クイが両手を合わせた。

「だから御免。謝るし、エレベーターまで案内してやるからさ、フーリ様に繋いでよ。クイとレン、また相手してあげてって」

「…………ええと」

(それって早い話、浮気相手を夫に勧めるってこと?)

 首を傾げ、眉を顰めてから、自分へつっ込む。

(いや、妻になった覚えないですけど。諦めるって言われたし……逃げちゃったけど)

 しかしてこれを今、そのまま彼女へ告げたなら、生き残れる可能性は格段に低くなりそうだ。

 かといって、嘘でも頷きたくはない。

 泉の困惑を感じ取ったのか、クイが肩に手を置き軽く揺さ振りをかけてくる。

「頷いておくれよ。いいんだ、分かってるんだ、アンタ、どうせまた、フーリ様んとこ抜け出して、芥屋帰ろうとしているんだろう? だから好都合なんだよ、運命なんだよ!」

「ぅ、お、お、落ち着いて、くだ、さいっ、な、何が好都合なんですか?」

 宥めるよう、肩の手に手を合わせれば、クイががっくり項垂れた。

 裏通りとはいえ、人狼女が人間の小娘に縋る様は奇異に映る。

 ただでさえ、竹平に集まる視線が遠くあるというのに、こちらを注視する感覚が強まってきては戸惑うばかり。

「だって、逃げるアンタが無事だったの、私たちのお陰って知ったら、絶対、フーリ様はお目零しして下さるんだよぉ。アンタ殺そうとしたのバレてから、こうして捨てられてさ、今度視界入ったら落とすって言うしさ」

「お、落とす?」

「そう! 手足の腱切られて、玩具にされちゃうんだ! 自由に愉しみたいってのに!」

 ぼたぼたと涙を流すクイの顔が上がり、泉は若干引いた。同時に肩を解放され、ほっとする間もなく、今度は陶酔した面持ちで傷痕へ口づけるクイ。

「でもさ、やっぱり一番堪えるのは、あの方の傍を許されないことなんだ。この傷だって、こうやって残していても、いつかは優先して治した足みたいに癒えちまうもんだしさ」

「…………」

「フーリ様、いつも人の名前も顔も身体も全く覚えてくれないけど、恨みだけは憶えててさ。ちゃんとした手続き踏まないと忘れて下さらないんだ」

「…………」

「だから、今度お会いしたらっ」

「分かりました」

 涙ながらの訴えを受け、手の平を向けつつ即答する泉。

 途端、嬉しそうに小躍りするクイへ、疲弊しきった視線を送った。

(…………人狼って……変)

 最早彼らに感じるのは恐怖ではなく、一種の諦めだった。

 とんと理解できない朗報を娘へ伝えるべく、駆け寄る母の背を見つめ、ため息を零し、かけ。

「あ、そうだ」

 思いつけば、悦ぶ親子が似た顔つきでこちらを向く。

 寸分違わず揃った動きに仰け反りかけたものの、指差し示したのは、レンに腰を抱かれたままぐったりする竹平の姿。

 引きつりつつ、泉は精一杯の笑顔を浮べた。

「条件が一つだけ。……その人に悪戯するの、止めて欲しいんですけど」

「えー、スキンシップよ、コレ」

「同じことです」

 すぱっと言い切れば、お気に入りの玩具を手放せと言われた子どものような、残念そうな顔がレンに宿った。

「ちぇー、カモフラージュでもあったんだけどな……」

「カモフラージュ?」

「そ。野郎避け。そっち趣味ったら、声かけづらいでしょ。芋づる式で自信失くしそうじゃない?」

「…………俺に聞かれても」

 逃げようとしたところをレンに捕らえられた竹平は、観念した様子で肩を落とす。

 ただ捕らえられている分には無言しか示せず、だから興味がないのにダブルデートなのか、と泉は納得だけをする。

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