第13話 報い

 今の竹平の姿がスエのせい、というのは紙片の筆跡から見当がつくものの、その切っ掛けは腰の紐だったはず。

 不思議に思って竹平を見れば、しまったと言わんばかりに鼻面を押さえる。

 言う気のないことまで言ってしまったらしい。

 慌てて立ち上がった彼は、両手を腰に当てて誤魔化すように頷いた。

「ま、まあ、だから、妙な気、起さないでくれよな。じゃねぇと、俺、こんなとこでどうしたら良いかさっぱり分かんねぇし」

「はい……」

 吐露されて、竹平の気持ちは理解でき、泉の中のもやもだいぶ解消されたが。

「…………………………下着?」

「う」

 立ち上がって繰り返せば、泉の両手首へ見かけ倒しの拘束を施す竹平が呻いた。

「……あの、竹平さん。スエさんの発明品って、下着だったんですか?」

「…………」

 答える代わりに顔を背ける竹平。

 そっと引っ張ったはずの紐に、過敏な反応があったことを思い出す。

(……スエさん…………)

 頭の隅っこで、今朝方聞いた高笑いがこだました。

 けれど、はたと気づいた泉。

 目線を彷徨わせたなら、獣面を戻した竹平が不可解そうに首を傾げる。

「どうした?」

 言葉でも不審な行動を問われ、一瞬、息を詰める。

 観念し、もじもじしては、上目遣いで竹平を見た。

「あの、ですね」

「お、おう」

 何かしら身構える竹平。

 意を決し、泉は言う。

「聞いた話、ですけど……下着を贈るのって、その……見せて貰いたいからって意味があるそうで」

「は――はあっ!? お、お前、何言って……だ、第一俺は男――」

「で、でもその姿、女性じゃないですか。感覚だって変だし」

「いやだって、あ、ありえねぇだろ? 女ったって、こんな毛むくじゃらだし、あのおっさん、どう見たって縁遠そう――」

「でも…………………………あの人、ですよ?」

「…………」

「…………」

 しん……と静まる二人。

 金網を囲う近い罵声すら遠くに聞こえて来る。

 やがて竹平がぽつり、言った。

「…………けど、身を寄せられるとこって、あそこしかねぇよな……」

 えげつない想像上の未来から遠ざかろうとするように、つと視線が向けられたのは、金網の一団。

「……そう、ですね」

 泉もつられ、そちらを見――こげ茶の目が、驚きに開かれ揺れた。

 金網の上に設置されたスピーカーからアナウンスが流れる。

”さてさて今宵の目玉。走者はなんと、あの三凶のお一人、神代史歩の刃を受けて生き残った強運の持ち主! ほらほら見てくださいよ! 両腕綺麗さっぱり切断された、包帯姿! 名誉の勲章! そぉら、張った張った!”

 ざわめく群集。

 だが、泉の耳は、知った名を紡がれても捉えきれず。

 金網越しで見つめる先には、泉を害そうとした男の、スポットライトの中で怯えた姿。

 気を失う直前、血に染む袴姿が思い起こされ――

 続く、アナウンス。

”さぁて、どちらさんも、よぉござんすね?……ふふふふふ、どうやら皆さん、気の早い方ばかりですな。しかぁし、後悔しても、もう遅い! 追手はなんと、コイツだぁ!!”

 男とは別にスポットライトを浴びて、現れたのは……。

「おい、もう行くぞ」

 ぐっと手首の紐が引かれる。

 よろけながら見上げた先では強張る人狼姿の顔。

 金網の中で何が行われ、どういう賭け事が展開されていたのか、察した様子。

 それでも泉は一度だけ、金網向こうを振り返った。

 男と、人型ではない異形の巨躯。

 聞こえる、愚痴。


「ちっ、コイツは無理だな。掛け金全部パアだぜ」

「へ、ざまあねぇな、おい。まあ俺も、三凶に切られた奴、これで二回目だからな。一回目みたいなヘマは出来ないさ」

「潰されて死んだんだろ、ソイツ」

「お、知ってたのかい。ああ、そうだよ。お陰ですっからかんさ。しっかし、知ってて賭けるかね、普通」

「前回の追手程度なら、逃げ切れると思ったまでさ。それがあれじゃあねぇ。確実に餌だろ。見ろよ、あの涎。喰う気満々だろ?」

「やだねぇ。幾ら追いかけっこが好きだ、って言ったってさ」

「何だ、その話は?」

「あ、知らない? あの腕切られた時さ、近くに店主いて、直前に言ったんだよ、追いかけっこが好きだ、ってさ。まあ、奴の台詞はいつだって皮肉たっぷりだが……今回ばかりは金掛かってる分、冗談キツイぜ」

「なるほどな……だからとっ捕まった挙句、ココへ売られたって訳かい。そりゃ、ご愁傷様だ」


 下卑た笑い声が続き――銃声。

 開始を告げたと思しきそれは、角を曲がる竹平につられたなら遠ざかる。

 ぐらぐらと揺れる視界に比例しない足は、泉よりコンパスの長い竹平の早足に合わせ、軽く駆け出した。

 程なく息が弾み、

「っ!」

 突然、胃に訪れる、空腹とは異なる不快。

「お、おい?」

 つんのめるように膝から崩れ落ちては、竹平が振り返った。

 支える手が伸ばされて――


「邪魔だ、女」


 剣呑な声と共に竹平の身体が壁へ打ちつけられた。

「ぐっ!」

「!?」

 いきなりの凶行。

 気分の悪さを忘れ、立ち上がった泉は、竹平の方へ駆けようとするが、

「ちょい待ち」

「っ!!」

 右腕を握り締められた。

 痛みから浮かぶ涙。

 振り払おうと身を捩るが、すぐさま交わされる視線の近さに動きが止まった。

 薄暗い通りにくすむブロンドの毛並みと、エメラルドの双眸を持つ人狼女。

 にぃ……と鋭い歯が歪む。

「はぁい、お嬢ちゃん。こんなところで遇うなんて、運命感じちゃうわ、私」

「あら、私も感じてるわよ」

 起き上がろうとする竹平を足一本で縫いつける、赤い毛並みと薄茶の瞳の、もう一人の女も同じ顔で笑う。

「本当……こんな素敵な偶然、あるものね」

「これで報われるわ、私たち」

うふふふふ……

 しなやかに笑い、うっとりとした面持ちで、女の手が泉へ伸ばされ――


 逃がさないよう腕を握る手と、頬を撫ぜるその手に、熟れた果実を連想させる傷痕があるのを泉は知った。

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