第12話 存在意義
進めば進むほど、暗がりの妖しいネオンがぽつりぽつり灯る、裏通り。
微かな物音にビクつき、そちらを見やれば濁った目があった。
陰にあるその目は、輪郭がおぼろげで、種族が人狼かどうかさえ分からない。
と思えば、視線を戻した先に、酒瓶を煽る小男。
ずんぐりむっくりとした体格、ぼろぼろのコート、破れた手袋は、粗野なイメージを与えるが、反し、淀んだ目に宿るのは怯え。
昼の奇人街のような空気の悪さはなくとも、流れる雰囲気はすこぶる悪かった。
両手が縛られているため、身震いしかできない泉は、この中を悠々と歩く竹平を伺った。
揶揄する口笛や下品な声掛け、あからさまな誘い等々……。
不快しか感じられない通りを歩いているにも関わらず、余裕のある風体。
昨日目覚め、手負いの小動物然に騒いでいた彼とは大違いだ。
心強い反面、奇妙なもやが泉の気持ちを沈ませる。
仮初とはいえ、居場所と決めた芥屋。
取り巻くその環境――上の奇人街、この虎狼公社。
本来なら泉はある程度、これに慣れねばならない。
けれど現実は、帰ろうと必死な竹平の方が上手く立ち回っている。
脳裏を横切る、店主から優先された彼。
もしかしたら、と思う。
映すのは、両手を縛り上げた紐。
何かあれば解けるよう、細工をしてあるソレ。
少し、捩じった。
はらり離れ、遠ざかる紐、気づかぬ背。
(……私いない方が、権田原さん、早く芥屋に戻れるんじゃ?)
一歩、後ずさる。
例えばこのまま芥屋に帰ったとして。
生き残る可能性が高いのは、帰ろうと必死な彼。
泉には今、そこまでして元居た場所へ帰りたいという思いはない。
もちろん、帰る選択肢があるなら、帰るつもりではあるが……。
記憶が戻らず、帰る術も分からない自分は、どう足掻いたところで、いつかは――。
長く在って、呑気に生き続けられるほど、奇人街は易い場所ではないと知っている。
別行動を取って生きていられる自信はないが。
自分のせいで誰かがどうこうなってしまうのは御免だ。
コンナ居ル価値モナイ自分ノセイデ……
道すがら得た情報は、赤い衣の歩みを正確にしていた。
淀みなく遠く、その裾が角を曲がろうとするのを見届け、踵を返し、走り出し、
「おいっ!」
「っ痛!?」
突然、野太い声、節くれ立った手に掴まれた。
腕を捩じられ、軽く呻く。
痛む薄目で見たのは、先ほどの小男。
行動を別にして、早くも迎えた終わりに、先んじて味わうのは恐怖よりも惨めさ。
酷く無様で悔しい。
――けれど。
「そこのアンタ! 忘れモンだぜ!」
「…………は?」
酒で潰れた野太さに打たれ、何事かと振り返った竹平の眼が、みるみる見開かれていく。
手にしていた紐を持ち上げ、その先がないのをわざわざ確かめて。
赤い裾を翻し、ずかずか近寄っては、小男から泉の腕を掴み上げた。
その腕は右腕で、シウォンに裂かれた激痛が走り、咄嗟に身を捩るも、人狼にはない、人間の強さで押さえ込まれた。
「……ありがとさん」
「いや。……アンタ、フーリ様の関係者っぽいしな。今度、贔屓にしてくれりゃイイさ」
示し合わせたかのように薄く笑う二人。
手を翳し合っては、ずかずか大股に歩いて行く竹平。
引き摺られる泉は痛みを堪えるのに精一杯。
角を幾つも曲がり、辿り着いたのは、騒がしい一団が金網の囲いに群がる場所近く。
乱暴に壁へ寄せられ、竹平の息が怒鳴るように吸い込まれ、
「……おい、大丈夫か?」
発せられた言葉は、心配。
燻る怒気はまだあっても、放された腕を庇うよう蹲った泉を見ては、困惑を示す竹平。
「痛かったか……って、お前、怪我してたのかよ! 先に言え、そういうことは!」
「ご、権田原さん……声……お、大きい、です」
「阿呆、平気だ。あいつらうるせぇし」
顎でくいっと示されたのは、手に紙片を持った一団。
どうやら何かの賭け事が行われているらしい。
「早く走れ!」と野次を飛ばしている様から、競馬のようなものが金網の向こうで展開されているのだろう。
殺気立つ彼らの様子に呑まれたなら、不機嫌な声が頭に向けられた。
「で?」
勝手に竦む身体。
恐る恐る見上げたなら、人狼の目が剣呑に揺らめいていた。
美人、というのはどんな種族でも、浮べた表情は三割増になるのかもしれない。
人狼云々置いても、彼の顔は怖かった。
「いきなり、何だっていうんだ? 俺一人、見殺しにするつもりだったのかよ」
ささやきではない、低く小さな声。
ため息混じりのそれは頼りなく、今にもしぼみそうで、申し訳なさだけが募った。
それでも、口をつく言葉はある。
「……私、いない方が良くありません?」
「はあ?」
思いっきり呆れられ、ぐっと詰まったものの、目を逸らさずに言った。
「だって……権田原さんだったら、一人の方が何かと上手く行きそうじゃないですか。私なんて、ただ着いていくのが精一杯……それならいっぶっ!?」
いきなり顔を鷲掴みにされる。
「ふざけたこと抜かすんじゃないよ、人間の分際で!」
喧騒の中、叫んだ竹平、背後に通る影が野次る。
「おいおい別嬪さん。ソイツ、売りモンだろう? もうちっとお手柔らかにしてやらなきゃ、呆気なく死んじまうぜ? なんせ人間だしよ?」
「分かってるさ! ただ、コイツの口が気に入らないんだ!」
「そ、そうかい、そりゃあ……お大事に」
野次った影が、竹平の睨みを受けてそそくさと立ち去る。
こちらへ帰ってきた顔は憤怒そのもので、泉も一緒に逃げたくなった。
だが竹平は勝手な動きを許さず、手はそのままに顔を近づけた。
「……お前、それ、マジで言ってんの?」
歯軋りを堪えるようなしかめっ面。
何も言えない泉は目を逸らそうとするが、顔が揺さぶられてしまう。
また視線を交わせば、大仰なため息が竹平から漏れ、顔が解放された。
「頼むよ、ホント。マジでキツイ。ありえねぇって」
「……権田原さん?」
頭をがしがし掻いた竹平は、歯を剥く。
「シンだ……もしくは竹平。こっちは名前で呼んでるってのに、俺が可哀相だろう?」
「はあ……すみません、竹平さん」
よく分からないが、落ち込んでいる風体なので謝ってみた。
すると「やっぱりそっちなのかよ」と更に落ち込まれ、泉は戸惑うばかり。
じろり、睨まれては姿勢を正す。
「あのな、お前、もの凄い勘違いしてるだろ」
「へ?」
「たとえば……私の方が先にいたのに、竹平さん慣れてるわー、とかさ」
「う…………で、でも私、そんな喋り方しません」
直球ど真ん中で図星を衝かれるが、声高な夢見る乙女風の口調が気に入らず、手を上げて抗議する泉。
竹平は知るかとばかりに再度ため息をつき――手を差し出す。
立ち上がるよう促されたのだと思った泉は、左手を重ね、
「!…………竹平さん、もしかして」
弾かれたように顔を上げたなら、赤い衣の肩が竦められた。
「そう。すっげぇ、怖いんだ、俺。正直言うと、最初から、さ」
あーカッコ悪ぃと笑いつつ、泉と顔を合わせられる位置までしゃがむ。
「でもさ、あんた、いたでしょ? 俺と同郷だって言うしさ。俺より年下っぽいのに、妙な連中とつるんで平気な顔してるし」
重ねたままの手を握る爪。
鋭さは人狼のモノだが、伝わる震えは竹平の心情を如実に示す。
「お前、自分がどれだけ俺を安心させてるか、分かってないだろ? ちょっとは考えろよ。こんな変な連中に囲まれてさ、元の場所じゃ、遠いと思ってたモンが身近にあってさ。……と思ったら被害者だぜ? かのえはかのえで、なんか妙だったし」
最後は哀しそうな声音で沈み、
「つまりさ、まともに話せてるの、あんただけなんだよ。……あのおっさんだって、親切面して、こんな機能付きの下着寄越すんだぜ?」
「……下着?」
おっさん、と聞いて、一瞬浮かんでしまった白い衣へは密かな謝罪をしつつ、機能付きと聞いては別の白衣が浮かんで首を傾げる。
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