第11話 狂学者と実験動物
「そんな物渡すなんて、変態ですね、スエのおいちゃん」
真っ直ぐ澄んだ瞳で、疑いのない眼差しで、スエを見つめながら言うシイ。
対する変態白衣は、怯むことなく鼻を鳴らした。
「ふん。何とでも言うが良いネ。ワシは一向に構わんヨ」
「大昔の発明品発見したからって、見知らぬお人を実験に使うなんて……人間辞めていたんですねぇ」
しみじみ、シイが言った。
構わないといった手前、あからさまな反論は出来ない様子のスエ。
それとも言われっぱなしが悔しいだけか。
自分より齢を重ね、時も長く生きているはずだが、悔しそうな顔で三白眼を吊り上らせる様は幼稚だとシイは思う。
大人げない様子を端へ追いやり、スエの手の中の端末、中央部分の赤い明滅を見た。
スエから聞いた話では、この赤い点は芥屋のソファで寝ていた、赤い髪の偉そうな人間を表しているという。
では何故、赤い点――発信機が彼に付けられたのかといえば、話は朝に遡る。
空腹を感じ、芥屋の壁を破壊する道具を探していたスエ。
見つかったはいいが、大昔の発明品まで一緒に出てきたそうな。
これは、資金援助と引き換えに、とあるスポンサー紛いから依頼された品なのだが、肝心のスポンサーは出来上がる前に殺されてしまった。
お陰でこの発明品は、試運転もままならず、未完のまま放置されていた。
元々他人に頼まれて何かを作る甲斐性なぞないため、今日まで綺麗さっぱり忘れていたが、見つけたからには仕上げたくなるもの。
出来上がった興奮から高笑いに至れば、毎度の事ながら住人に襲われかけた。
その際、店主の代わりに盾として使ったのが、赤い髪の少年。
彼越しに気の立った住人と舌戦を繰り広げていたスエは、同時に少年の胴囲を計算していた。
導き出されたのは、コイツは使える、という結論。
「でも、サンプリングのために情交観察させるなんて、変な人もいたんですね」
「ワシにとってはどうでも良いことネ。要は女体の神秘とやらに近づけときゃ済む話ヨ」
「……スエのおいちゃん、萎れてます」
「……主、子どもとは思えん発言が多すぎヨ。……今更だがネ」
つくとも為しにため息をついたスエは、面倒臭そうな色をつぶらな黒目に漂わせた。
今は亡きスポンサー紛い、その頼みは男である自らの身体を女に変えて欲しいというものであった。
「身体の形を女にするだけなら、楽だったんだがネ。そ奴、あらゆる快楽を味わいたいとぬかしてネ……何でも、自分より女の方が毎回愉しそうだから、と」
「で、感覚を女の人に近づけたんですか?」
幼い愛くるしい顔立ちで、えげつない話を理解し質問するシイ。
スエは呆れ返ったように首を振った。
「そうなんだがネ……失敗が一つ、あったヨ。ワシとしては、平時の女の感覚データを取りたかったんだが…………」
遠い目をして、再びため息一つ。
珍しいスエの後悔は、データ収集が思った通りに行かなかったことを告げる。
「相手の女、依頼人のお気に入りだったみたいでネ……出来上がった状態で薬漬けにされていたらしい。感覚が鋭敏過ぎて、碌でもない結果しか得られなかったヨ」
心底残念そうに項垂れるスエ。
「しかも、途中から精神崩壊を来たしてネ。依頼人も死んだし。全く……骨折り損も良いとこヨ」
やれやれと首や肩を叩く姿に、シイはむむむと眉を寄せて唸った。
赤い点を指差し、
「と、いうことは、このお兄ちゃん、そういう感覚を持っちゃったってことですか?」
「うむ。一応、データ調節はしたからネ、そこら辺の女と差して変わらんと思うのだが」
転じ、ウキウキした光がスエの目に宿る。
「安いモノだが……どうせなら、生きて帰って来ることを祈っとるヨ、ワシ。ここまで来たら、是非ともデータを本物に近づけてみたいからネ」
ひひひひひ……といやらしい笑い声が小汚い喉を震わせた。
コレを白い目で見つめるシイは、一つ、気になる指摘をしてみた。
「……でも、回収するんですか? 一回、着用した物ですよ? あのお兄ちゃん、綺麗な見た目でしたけど……それとも洗って大丈夫な品なんですか?」
「いんや、駄目だネ。言っただろう、データが取れれば良いんヨ」
「つまり、使い捨てなんですね、この――パンツ」
シイが指差した赤い点の主は、そんな物を着用してしまったとは夢にも思わないだろう。
スエ曰く、正直に喋っては断られるに決まっている、かといって、知らないのでは困るため、自動、或いは手動で変化して後、手紙が出るよう細工してあるそうな。
これに挑発され、スエのところへ殴り込みに来させるのが目的らしい。
胡散臭いことこの上ないスエから、替えの下着と偽られ、素直に信じた彼を思うと、なんだかやるせない気持ちになる。
しかも聞くところによると、人狼に攫われてしまったそうで。
ますます不憫だった。
合掌しかけるシイ。
と、そこへ、控え目なノック音が店側からやって来た。
擦りガラス越しの白い姿。
ギクリとしたシイだが、届いた臭気には眉を顰めつつ、幽鬼ではないと安堵した。
「なんですか?」
それでも剣呑な響きで相手へ問う。
「…………ここに、いる? あの子」
答える声はしゃがれ、掠れ、ひび割れた女のモノ。
過ったのは赤い髪の少年。
確か海から来たと思い出しつつも、重ねて問う。
「誰のこと、ですか?」
「褐色の髪の……」
「!……いませんよ」
浮かんだのは、シイがスエの次に好ましく思う人間の少女。
一気に青ざめる顔、震える喉を堪えて否定を口にすれば、磨りガラス越しの白い頭が直角に傾ぐ。
「本当?」
「しつこいですね。尋ねるくらいなら、入ってきて探せばいいじゃないですか」
次第につっけんどんな口調になるが、不安になった手がスエの白衣を握り締めた。
小汚い男は冷めた目でコレを見つめ、ふわふわの頭をひと撫でしてやる。
徐々に高まる不安から、シイの目に涙が浮かんできた。
すると相手は擦りガラス越しであるにも関わらず、戸惑った気配を漂わせる。
「……いない、のね。……いいわ、信じる。彼女の想いは無駄に出来ないもの」
言って、遠退く白い身体。
認め、椅子の上に立ったシイは、倒れるようにスエへ抱きついた。
「どうして……い、泉のお姉ちゃん、どこにいるんですか、スエのおいちゃんっ! な、なんでアイツらが……人魚が探すのですか?」
「シイ…………あー、そういや主、あの娘御、気に入っていたネ……」
端末が置かれる音。
次いで回された、白衣だけは綺麗な腕。
縋りつけばあやされて、頭が撫でられた。
「まだ、大丈夫ヨ。あ奴らの狙いはコイツだ。まだ、虎狼公社にいる。娘御も無事ネ」
「……本当、ですか?」
「…………たぶん、な」
スエと交わす視線に、涙はない。
けれど激しい動揺は伝わってしまったのだろう。
普段では決して見ることの出来ない、スエの取り繕った柔らかい笑顔が、自分の状況を克明に知らしめて。
親しき者の喪失を怖れるシイは、泉の無事を白衣に縋って願う。
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