第10話 魔性のヒト

 虎狼公社の裏通りをしなやかに歩く影がある。

 通り過ぎたその姿を見返る者に男女の差はない。

「よぉ、別嬪さん。どうだい、俺と――」

 そんな中、無謀にも一人、男が声をかけたなら、

「あら、御免なさい? アタシャこれから、コイツを捌かにゃならないんでねぇ?」

 女がぐっと引っ張った紐へ括りつけられていたのは、年端もいかないような人間の小娘。

 連れて歩く相手がこの女でなければ、もう少し見れたモノだったかもしれないが。

「コレを? どうかねぇ。イイ値で売るにゃ、ちぃと色気が足りないんじゃないかい?」

 にゅっと伸ばされる爪は、怯える娘の顎へ届く直前、ぱしりと叩かれた。

 些かムッとした男が女を睨めば、極上の笑みを浮かべて上目遣い。

「まあ怖いお顔だこと。せっかくの男前が台無しだよ?」

 そっと男の胸へ、しなだれかかるよう手を這わせる。

 鋭い爪が裂くことなく、肌を滑る様は男に限らず、女に見惚れる者の喉を鳴らす。

 するり、這った手が男の顎筋をなぞっては、甘えるように女は言う。

「ねえ? なら、教えてくれないか? コイツ、高く売るならどこが良い?」

「そ、そうだな……っ!」

 けれど何かに気づいた男、女から一歩後ずさっては、艶めく肢体を食い入るように見つめた。この辺で見かけたことのない、極上のその姿を。

「お、お前……いや、あんた、フーリ様の囲い女か?」

「…………ふふ」

 意味深な笑みを浮かべる女。誘惑されそうだが、掠めた白い衣に添えれば、ぴたりと納まる赤い衣が男の足を留めさせる。

「ねえ、教えておくれ? なんだったら上に出る路だけでもイイ」

「う、上? で、出たことないって?」

 渇いた笑いが男の喉を震わせた。

 幾ら虎狼が人狼の住処であるといえど、上へ出たことのない者なぞ居るはずが……。

 だが、女はため息を吐いては言うのだ。

「呆れる話だろ? 長いことあの方から外出の許可を頂けなくて、路も分からなくなっちまった」

 つと、背けた顔が見た先は――遠く、彼らの狼首が住まう、幽玄楼。

 嘘だろう、と怯みつつ、男は思い出す。

 女たちが言っていたではないか。

 幽玄楼に籠もって出てこない――と。

 いつも女を侍らせている狼首が、唯一、女を連れて行かないあの場所。

 関連して、まことしやかに流れる噂があった。

 曰く、幽玄楼にはどんな女も霞むほどの絶世の美女がおり、彼の狼首から格段の寵愛を受けている――と。

 それともう一つ。

 ゆえに、頂点は彼女を幽玄楼に留め置いている――と。

 眉唾物。

 男はずっと、そう思っていたのだが……。

 目の前の女は、当てはまる部分が余りに多かった。

 気づけばぺらぺら喋り倒す男。

 我に返れば女の姿は見当たらず。

「…………夢?」

 妙な高揚感だけが後を引いた。



 ぐいぐい引きずられて入った物陰。

 水色の衣を着た少女は、周りに誰もいないことを確かめては、前で拘束され、繋がれた手の平を握り締めた。

「ご、権田原さん……凄いっ!」

「うるせぇ、シンだ……話しかけんな」

 少女を拘束する紐を握り締めたまま、壁に手をつき項垂れるのは、赤い衣を纏った人狼の女――姿の竹平である。

 違うのは姿だけで、人狼の男をあしらった、少々掠れた艶めく声は自前であり、現在の語りは竹平本来のもの。そんな彼と行動を共にしているのだから、しきりに感嘆する少女はもちろん、一緒にいた泉。

「あーと、その、御免なさい」

 人狼姿で低く唸られ、歯を剥かれては、謝罪が口をついた。

 すると頭を掻き毟った竹平、壁に背を預けては大きなため息をつく。

「あーもー、いーよ。なっちまったもんは仕方ねぇし」

 言いつつ、ふくよかな胸が視界に入れば、がっくりと項垂れた。

 奇妙な煙に撒かれて後、突然変化した身体の線に、かなりの不満があるらしい。

 抵抗、と言った方が正しいかもしれない。

「……それよか、お前」

 言って、茶色い眼光が泉を射抜く。

 上から下まで往復する視線にたじろぐ泉だが、それは決して相手が竹平だからではない。

 彼の姿が、黒い毛並みの人狼姿であるにも関わらず、華やいだ色香を感じさせるせいだ。

 自分に足りないものを多分に持っている風体から、妙な劣等感が沸き起こってしまう。

 しかも中身が男と来た日には……。

 自分の性別にちょっぴり疑問を抱く泉。

 抜群のプロポーションを前にして、シウォンから軽いと言われたが、ワーズからは散々太いと言われた涙腺が緩む。

 女である自信がどんどん失われていく中、そんな泉の心情なぞ知る由もない竹平が頭を掻いた。

「普通、考えつかねぇよ。幾ら設定上使えるったって……俺、男だぜ? 服、取り替えようなんて」

「私としては、権田原さんの方がすごいと思います。話聞いただけで、設定作れるんですから」

「シンだ」

 竹平の姿が人狼の女に変貌して後、混乱から最初に立ち直ったのは彼の方であった。

 人狼に関し知っていることを全て吐け、と泉へ迫った竹平、動揺する彼女から情報を聞き出しては、ある設定を作り上げる。

 女好きで知られる狼首が、他の女を幽玄楼で寄せつけない理由は、特別な女がそこにいるためであり、出歩く許可を得た女は道すがら拾った人間の娘を、駄賃狙いで売り捌こうとしている、という。

 試しに竹平が視線を送れば、釣れた男の様子は終始だらしがなく、彼の人狼姿はかなり美人の域と知った。その際、シウォンの名を聞いて一時怯んだものの、衣装がみすぼらしいと暴走しかけた男は、天罰よろしく、容赦ない猫の瓦礫攻撃を受けて沈黙。当のシウォンに気づかれては、せっかくの設定もパアだと全力疾走した記憶は新しい。

 そんな経緯もあって、一度建物の陰に逃げた時、思い至った泉が服の交換を持ち出したのである。

「それに、上手くいきましたよ? 信憑性、増したじゃないですか。権田原さんの服の丈……私とあんまり変わらなかったし」

「…………」

「…………」

 絶妙にビミョーな静寂が流れる。

 たぶん、竹平の脳裏にも、泉と同じ光景が浮かんだことだろう。

 セーラー服姿の――竹平。

 ワーズから泉が着ていた物と聞かされ、実際、衣装箪笥からなくなっていたソレ。

 その情報がこんなところで役に立っても、ありがたいと思えないのが、店主のすごいところかもしれない。

「……まあ、背丈は変わってないからな」

 やるせないため息を吐いた手が、自然な動きで豊かな胸に伸びる。

 ぎくっと反応したのは泉で、続いてそれに気づいた竹平が、呻いて目を逸らした。

「権田原さん…………」

 じぃーっと見つめれば、名前の訂正も諦めて口を閉ざす竹平。

 答えが得られないと知り、泉が切ないため息を吐き出した。

「……いいんですよ、言っても。苦しいんですよね、胸」

「うっ……」

 逸らした口から図星の声。

 やるせない気分の泉は、近づくなり赤い衣の帯を緩めた。

「うわ、何を」

「いいから。じっとしていてください。もう少し緩めますから」

「……ああ」

 渋々といった感じで頷く竹平だが、交わした視線が熱に潤んでいると知り、半眼となる泉。

「…………権田原さん、自分の身体でしょう? 妙なこと、考えないでくださいよ?」

「そ、そんなことない――ひゃんっ」

 衣を調える泉の手が胸へ触れたなら、珍妙な声が竹平の喉を通った。

 変に鼻がかった音は媚が含まれているようにも聞こえ、場所柄、色々危険を呼びそうだ。

 とりあえず周りを警戒し、不審な影がないことを確認。

 泉は静かにして欲しいという思いを込めて視線を送るが、竹平は鼻面を押さえて我慢するのが精一杯らしい。

 服は交換したものの、肌着まで交換した憶えはないので、体裁を整えるため、少しの間、声を堪えて貰うしかない――

 んが。

「あぅ……ゃ……んっ」

「権田原さん…………反応し過ぎです」

「だ、だってお前、俺は元々男で、こ、こんにゃふぅっ」

「…………はあ」

 何とも為しに疲労を感じつつも、整える手は休めない泉。

 男と女では触れられた際の感覚が違うと聞くが、果たしてここまで露骨に変わるものなのか。まるで自分が痴漢か何かになってしまった錯覚に襲われて、ますます己の性別があやふやになってしまう。

 それもこれも、元はといえば。

「……スエさん、感覚はそのままにしてくれても良かったんじゃ」

 思い浮かべるのは竹平が変貌して後、見つけた紙片の筆跡の主。

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