第9話 差
そのまま行こうとする店主と鬼火。
続く剣客は片眉を上げて待ったをかけた。
「出鼻を挫くようで」
「なんだいっ、この期に及んで!」
振り返った鬼の形相。
ちょっぴり引いてしまった史歩だが、その奥で立ち止まったへらり顔も振り返ったのを受け、ため息つきつつ頭を掻く。
「いや、な?」
濁す呻きを頬を掻いて誤魔化し、つと、指を差した。
鬼火の、その胸へ。
空色の鋭い目は先を追い、
「キャ――」
「うるさいな。元々露出狂の痴女が片乳くらいで、ぎゃーぎゃー喚くな」
「な、な、な、な、なー!!」
叫びを遮った言葉に、今更ながら肩紐が一本切れていたと知ったクァンは、しゃがみ込んで胸を押さえては、店主を睨みつけた。
「み、み、み、見たわね!?」
白い肌がほんのり紅に染まる。
けれど。
笑ったままの黒一色の男から、最初に吐き出されたのは、ぺっという唾。
「ああ、見たよ。すっごい不愉快。なんでそんな気分の悪いモンぶら下げてんのさ、全く。ただ大きいだけの分際で。人間ならともかく、鬼火のモノなんか萎える一方だよ」
「こ、こ、こ、コイツ! お前から先に」
「――の前に、さっさと紐を結んだらどうだ、クァン。はっきり言って、目の毒だ」
「なっ……し、史歩までそんなこと言うのかい?」
意外に中身は純真乙女なクァン・シウ。真っ赤な顔が今にも泣きそうに歪んだのを真正面から見てしまったなら、長い付き合いもある手前、フォローせねばなるまい。
「違う。私じゃないさ。若干一名、本当に駄目な奴がいてだな」
「へ?…………ラン?」
クァンへ示すため後ろを振り返れば、こちらを背にして蹲った人狼の姿がある。
鼻血こそ出ていないものの心なし――息が荒かった。
目を丸くするクァンを余所に、つかつか近寄った史歩は、おもむろに鞘ごと刀を抜く。
ランへは特にコレといった不満はないので、叩くことなく先っぽで肩を突っついた。
「おい。女なんざ、今まで無数に見てきただろうが。今更初な反応をするな。邪魔だ」
「し、仕方ないだろっ! お、俺は……俺が見慣れてんのは、同族に限るんだから!」
「…………嘘……ラン、アンタ…………他種に免疫ないの!?」
ぎょっとした顔つきのクァンは、惚けをかなぐり捨てて、急いで肩紐を結び直す。
幾らランとはいえ、相手は人狼。
彼らも客として捌くクァンは、その性質をよく知っているのだろう。
加え、雑魚なら文字通り捌けるが、仮にもランは狡月を冠する身。力尽くで来られて敵う相手ではない。しかも義理堅い鬼火に、よく知る相手を焼けるほどの火力は望めまい。
ランのなけなしの理性がなければ、制止も叶わず――。
「……その理性さえすっ飛ばしたあの状態で、綾音が無事だったのは…………ああ、猫への恐怖と中途半端な酔いの為せる業か」
きっと、褐色の髪の娘は知らない。
誰も忠告しないのだから、当たり前かもしれないが。
人狼の中で本当に警戒すべきは、シウォンではなく、ランなのだということを。
だが、知らないことはイイ事だ。
知る必要のないことは知らないに限る。
「要は、本気で酔わせなきゃイイって事だしな」
「な、何の話だ?」
少しは落ち着いたのか、よろよろ立ち上がった金の視線を受け、史歩は首を振った。
「いや。お前の中途半端さは、世の中を上手く立ち行かせるために必要なのかもしれんと思ってな」
「……遠回しで貶してんのか?」
「まさか。褒めてんだよ。大絶絶賛だ――と、良いか、クァン」
「あ、ああ、良いよ」
ランと共に振り返れば、鬼火の露出はすっかり形を顰めていた。
肩紐どころか、ジャケットのボタンまでぴっちり閉じられた姿は、見ようによって野暮ったく見えるが……。
「ぁううっ」
「…………クァン……着こなしはともかく、破れた箇所は、どうにかならんのか?」
「うっさいね! 我慢おし! 文句があるなら、ランが離脱すればイイ話だろ!?」
言いつつ自分の身を隠すように抱くクァン。
それすら何かを煽る仕草だと、長年客商売やっている割に理解していないらしい。
益々反応してしまったランは、挙動不審に視線を動かす始末。
かといって、ワーズと合流していた姿から、知らぬところで彼もまた、泉を助けるべく動いていたと知る史歩としては、助太刀してやらんこともない。
「いいか、クァン。ここは人狼の支配下だ。お前の炎で大半の奴らは逃げ出したが、炎が納まれば戻ってくるだろう? その時、お前のせいで動けなくなったランがいたらどうだ? 最初に見つけたのが男なら命を狙われ、女なら自由を奪われるんだぞ?」
「お、お前のせいって……じゃ、じゃあ、アタシの身の安全は誰が保障してくれるんだい!?」
「分かった分かった。私が保障してやる。何せ私は情が薄いからな。ラン程度の関係、さっくり殺ってやるさ。どうだ、安心したろう?」
「…………そういう話は、せめて本人のいないところでしろよ」
ようやく落ち着いたのか、ランの恨めしげな視線がじとり、史歩を睨みつける。
応じて返せば、一瞬だけ、他方を見る目。
怯えかと思ったが、違う。
視線の先に居るのはクァンで、慄く気配が彼女から伝わったなら、見ている先は――。
「で、くっだらない漫才は終わった?」
心底面倒臭そうな声に、全員の眼が集中する、先。
黒一色の店主は、笑いながら銃でこめかみを小突く。
「さっさとさ、行こうよ。猫の援護、止んじゃってるし。泉嬢、もしかするとまたシウォンに捕まったかもよ?」
「あ、ああ。そうだな」
珍しく、苛立った雰囲気を感じ取り、全員が一様に頷いた。
ごくり、喉が鳴り――
瞬間、小さく、本当に小さく聞こえた言葉が在った。
未だランを警戒するクァンと、未だ対処しきれていない熱で一杯一杯のランには、届いていないような。
「ちっ、酷い目に遭ったな。……泉嬢は綺麗だったのに」
「…………」
理解は、しまい。
何の事だと、つっ込むのも藪蛇だ。
ただ、史歩は思う。
度々忘れるが……
コイツも、一応、男だったな――と。
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