第8話 ヒモ
ソレに気づいたのは、ある程度、逃げおおせた時だった。
シウォンから逃れたとはいえ、状況はもしかすると前より悪いんじゃないか。
煌びやかな街並み、行き交う人狼の姿を端で確認しつつ、物陰で息を整える泉は思う。
走っている内に、頭上からの援護は止んでいた。
ワーズと再開した際の話と似た惨状から、あの瓦礫は地上にいる猫の仕業と推察する。
地下には来られないが、確かに泉の場所を知ることは出来るらしい。
何故と考えたところで答えは出ない。
そもそも、広大な空洞がありながら、地上の街を支えられる地面へ、一体どれ程の力を加えれば、瓦礫を降らせられるというのか。
(……これ以上やると、街ごと落ちてきそう)
夜のような遠い天井に穴は見当たらないが、そんな不安がもたげてきた。助けてくれたありがたさはあれど、どうかこれ以上、瓦礫を降らせないで欲しいと願う泉。
そのまま、斜め向かいで壁に背を預けた竹平を見れば、上がった息とは違う苦渋で呻いていた。
「くそっ……かのえの奴……どういうつもりなんだよ!?」
「ご、権田原さん……あんまり大きい声だと気づかれちゃいます。ち、小さい声も駄目ですけど」
「……ならどうしろって?」
じろり、睨まれては目が泳ぐ。
「ええと、普通の音量で喋れば良いんじゃないかと」
「…………はあーっ」
これ見よがしに普通の音量でため息がつかれた。
続けて目一杯項垂れた竹平は、顔を上げるなり泉をびしっと指差した。
「こうなったら、案内頼む」
頼むという割には、尊大な態度である。
彼という人間を知ったのは昨日だが、こんな街中でもなんら遜色ない様子に苦笑――しようとして、気づく。
「…………うわ……どうしよう。猫に――は絶対駄目。もし伝わっても、やったら最後、きっと天井落としちゃう」
「なんだ?」
指を下ろした竹平の怪訝な顔へ、泉は更に顔を青くさせて言った。
「…………いえ、私、実はこの場所初めてで、案内はちょっと……」
「は? 初めてって、奇人街なんだろ、ここ?」
「ええと、その、たぶん、奇人街には違いないんですけど、地下なんですよ……権田原さんはエレベーター乗らなかったんですか?」
「地下って……し、知らねぇよ。かのえに連れられて妙な海岸に居たら殴られて、気づいたら……」
話す内に青ざめていく竹平の顔。
何か、もの凄く嫌な目に合ってしまったのだろう。
女の泉から見ても、やけに色っぽい水色の衣姿は、その身に起こった事を代弁しているようで――。
酷く、気まずい。
泉は未遂で終わったが、もしかすると竹平は……。
つと、視線が少しだけ、ほんのちょっぴり逸らされた。
――すかさず。
「おいっ!」
「ひゃいっ!?」
「……妙な勘違いしてんじゃねぇぞ? 確かに着てるモンは違うが、俺は何もされちゃいないんだ」
「は、はい。す、すみません」
「…………やっぱりそういうこと考えてたわけか」
「うあ……ええと、ホント、すみません」
「……もう、いい」
ただただ頭を下げれば、ごんっとイイ音がした。
ビクつきながら竹平を伺えば、こちらへ背を向けた頭が壁に傾いでいた。
その背中からは、涙を誘う哀愁が漂ってくる。
上乗せされゆく申し訳なさで一杯の泉。
だがそこで、ひらひらした物を目にしたなら、吸い込まれるように正体を追う。
丁度、竹平の腰辺りをゆらゆら揺れる――紐。
いかにも引っ張ってください、と主張するような、腰帯とは異なるソレ。
元を辿れば竹平の前方から帯を伝い、垂れていると知った。
「…………」
もう一度、竹平の様子を探る。
泉の勘違いによるショックは抜けたようだが、今度は物思いに耽る遠い目をギラつく街へ向けており、話しかけられる雰囲気ではない。
ならば――仕方ない。
「よしっ」
この場合の不幸は、振り回されてばかりの泉が、疲労と空腹でまともな判断力を失っていたことかもしれない。彼女が正気に戻った後で、悔やむのは明らかだが、悲しいかな、止める者は誰もおらず。
何を指して「よしっ」なのか、さっぱり分からない言に勢いづいた泉は、素早く左手を伸ばすと静かに紐を引っ張った。
竹平が泉の不審な行動を知った時には、すでに遅く。
「!? お、お前、何して――ぇえっ!?」
「わわわっ!」
途端、竹平の身体からもくもくと、異様な量の煙が噴出した。
無情にも、元凶である泉は裾に足を引っかけつつ、よろけながら竹平から離れる。
振り向けば、竹平の姿は渦巻く煙の中。
「ご、権田原さん……わ、私、そんな……」
自分がやったと思しき結果を前に、やっと正気に戻った泉。
やはり後悔し、地面へ膝をつく。
煙を見つめながら、
「ううう……すみません、権田原さん。悪気はなかったんです。悪気は……」
あったのは好奇心だけ。
余計、質が悪い。
おもむろに手を合わせた。
「御免なさい。どうか、どうか――化けて出ないでください!」
「勝手に殺すんじゃねぇ!」
「あいたっ」
ぺしり、煙から伸びた何かで軽く額が叩かれた。
小さく仰け反っては擦りさすり、段々と収まってきた煙の中に影を認めてほっとした。
――が。
「よ、良かった。一時はどうな――ぁあああっ!?」
「な、なんだよ」
びしっと泉から指を差され、竹平の声がビクっと跳ねた。
けれど気にしている余裕なぞ泉にはない。
顎が外れそうなほど口を開け、意味の為さない声だけ上げる眼前。
完全に晴れた煙から現れたその姿は、水色の衣を纏った――
人狼。
しかも、豊満なバストから女と分かり――。
なんとなく、泉は両腕で自分の胸を隠した。
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