第7話 人魚と道化
ぱちぱち爆ぜる炎は、鬼火の身体を焼くように見えて、その実、傷を癒していく。
捨て置かれたクァンは、じりじり焼かれ癒されながら、ぼんやり、過去に想いを馳せた。
見知らぬ女たちから「彼」と言われ、思い出す過去へ――。
昔、クァンを人魚のようだと評する同族の男がいた。
今ほど種の気だるさのない、快活であった彼女へ男は言う。
幾人もいた男友達、そのどれもが君に恋していると。
まるで歌を奏でては人を惑わせ、心を喰らう人魚のように、君は彼らの心を奪ってしまうのだと。
人魚が嫌う鬼火を掴まえて、馬鹿じゃないかとせせら笑う。
嘘と逸らせば、僕を筆頭に、と頬へ手を添えて。
臆病者と払えば、君に嫌われるのが怖いんだ、と手を差し伸べられて。
返したのは、アンタは道化みたいね、という評価と自身の手。
「じゃあ、舞台が必要だ」
そう男は笑い、
「誰がための?」
悪戯に聞く。
答えは明確に、簡潔に。
「人魚と道化のための舞台――か。馬鹿よねぇ、アタシも。人魚って、本物の人魚だったのに」
口に出せば乱れても傷のない、長い白髪の先がマッチ大の火を灯す。
これへふっと笑めば、炎は消え、
「クァン!?」
名を呼ばれ、見知った三人を認めれば、倒れたまま気だるげに手を上げた。
「はぁい、お三人様。駄目だわ、アタシ。もう死ぬかも。走馬灯が見えてきた」
駆け寄ったところで、取り巻く炎からクァンを抱き起こせない二人は、嘘か本当か分からず戸惑う素振り。
もしかすると、気弱な発言に驚いているだけかもしれない。
クァンだって驚いている。
襲ってきた女たちはどう考えても近くにいたかのえの知り合いで、彼女らの横暴を許したかのえは、クァンが助け出してやった恋人と走り去って。
可愛がっていただけに、その裏切りはクァンの心を疲弊させた。
無性に泣きたい――そんな感傷にまで襲われて、また驚く。
けれど、長くは続かない。
二人とは対照的にふらふら近づく男が、明らかに見下した笑顔をこちらへ向けてきたのだから。元よりこちらの状態など構うつもりもないのだろう、悪意たっぷりに言う。
「結構なことじゃないか。人に仕事押し付けてくたばるなんて。ワーク・メイズ・ワークに対する嫌がらせにしちゃ、上等だよ、クァン」
「はっ、嫌がらせはどっちだい。しんみりな場面で茶々入れるんじゃないよ、ガキが」
生きた時が遥かに長い相手は、クァンの言葉にへらりといつもの笑いを浮かべた。
「人魚関係って、聞いても?」
「!」
「「げっ」」
呻く二人が退けるのも構わず、癒しの炎に巻かれたズタボロの身体も気にせず、立ち上がっては黒一色を睨みつける。
低く、呻く。
「どういう、意味だ?……人魚?」
「どうもこうも……そういやお前、気づいてなかったねぇ。今日、連れてきたの、いただろう? あれ、人魚だよ」
「!……かのえ、が?」
己を癒し、他を焼く炎を纏った手で、ワーズの胸倉を掴み上げる。
焼ける匂いに肉はなく、黒い服だけがじりじり焦げつく。茫然とするクァンは、緩やかな火の侵食を視界の隅にも入れられず、空色の揺れる青を混沌の瞳へ合わせた。
「待って……待っておくれよ……じゃあ……じゃあ、なにかい? アタシは……アタシは、人魚を舞台に上げてた、と?」
「そだよ?」
ぱしっ、と払われた手はだらりと下がり、なおも全身を巻く炎が鮮やかさを増す。
クァンの店の主人は元々、彼女が道化と評した男だった。
海に行ってくるよ――
ある日、一言だけ書かれた手紙が一枚、舞台端に置いてあった。
以来、男は帰ってこない。
男友達は口々にクァンを諭す。
「あいつは、人魚が好きだったから。人魚と連れ添ったんじゃねぇか?」と。
この全員を、クァンは問答無用で焦がし、それからというもの、彼らは店の前にすら姿を現せず――。
「……嘘、だろ?」
「嘘じゃない。皮を被ってたんだ。シン殿の想いの大半を占めてるから、人間の意識はあるけどね」
どさっ、と膝から落ちても誰も支えに寄らないのは、鮮やかな炎がより一層燃え滾り、クァンの残る傷全てを癒していくためか。
砕けた肩さえ元の骨格を思い出し、拉げた形は名残もない。
炎の爆ぜる音が”洞穴”の風に舞い上がり、火の粉を散らして消える。
「さて、と」
まるで、クァンの放心状態を堪能したていで、ワーズは史歩とランへ視線を移す。
「そろそろ、泉嬢助けにいかないと、ね。猫の援護はまだあるみたいだけど」
「泉……?」
クァンが顔を上げると、銃口で頭を掻くワーズが、へらへら笑う。
「そ。シン殿がね、少しばかり心を預けちゃったみたいなんだ。だから助けに来たんだけど、シウォンの奴が妙な気起こしちゃって、今追いかけっこの真っ最中……クァン?」
親しげに名を呼ばれ、気だるい空色が驚きに見開かれるなか、ワーズは銃を押しつけるように首を傾げた。
「途中参加も今回に限り、受け付けるけど?」
「ふ……」
らしくない、と笑う。
人魚に慄く自分も、人間以外を誘うワーズも。
これは、元凶に責任を取って貰わねばならない。茶番はうんざりだ。
「…………本人を消し炭にしたいところだが」
掠めた男を払うよう髪をかきあげ、ぎりぎり結ばれた口から歯の軋む音が漏れる。
「散々コケにされた挙句、チンケな傷まで付けられたんだ。きっちり代償払わせるのが筋ってもんだろう?」
華美な衣装の娘へは、可愛さ余って憎さ百倍、怒りは充分。
否、きっと最初から身体は――内なるクァンの炎は気づいていた。
不自然に熱く滾った火力は、仇敵である人魚をいつだって屠りたいのだから。
「――根絶やしにしてくれるよ、泥棒魚共」
吐き捨て嫣然と笑むクァンの、現在の趣味はヘッドハンティング、そして――
最愛の男を奪った人魚の殲滅。
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