第6話 移り気

 かんざしは、決して、人を刺す道具じゃないと知りつつ――


 生々しい感触の残る左手に顔を顰めながら、泉は竹平の後を追う。

 飾りを一つ失い、バランスを崩した褐色の髪は、クセ毛であったことを思い出し、おかしな髪型を造り上げていた。

「権田原さん、良いんですか、あの人!」

「良いも悪いも……ああ、もう、何がなんだか!」

 赤い頭を掻き毟る少年は、一度振り向いては、情けない表情を見せた。


 合流は、少し前のこと。


 シウォンの言葉を信じるならば、抱えられた状態で芥屋へ向かっていた道中。程なくして目の前に、赤い髪の少年の手を引く、黒髪の少女が現れた。

 無事な姿に安堵する間も、突然の再開に驚く間も、なかった。

 泉がかのえと目を合わせたなら、一瞬驚いた表情を浮かべた彼女は、真っ黒な瞳の奥で、発する声なく命じる。

 刺せ、と。

 急に泉の身体が実を伴わずに動き、かんざしを抜いては、抱える右肩を刺した。通常であれば気づいただろう緩慢な攻撃は、退かない人間に眉を顰めたシウォンを容易く貫く。

 鈍く響いた感触も然ることながら、傷つき揺れる緑と交わした視線に、再び地面に足をつけた泉は戸惑う――が。

「来なさい!」

 凛とした声に弾かれ、伸びた乳白色の爪に赤い衣が掠らぬ速さで走り出した。

「小娘っ――――泉っ!」

 慟哭に似た己の名に身が竦む。

 けれど、力強い手が、握り締められたかんざしを捨てて、泉を引き寄せた。

 出血のない、剥き出した肉の傷口と、引く手の強さに慄けば、初めて見た時より、血色の良い美貌が間近に問う。

「単刀直入に聞くわ。貴方、シンの何?」

「は? ええと、ど、同僚?」

「じゃあ、シンのこと、好き?」

「へ? え、えと、友人として、なら」

「そ」

 ふっと深まった笑みがあまりに儚く美しくて、同性ながら頬を染めてしまった。

 それにしても、この返答、確かに真実だが、語ったのは泉の意思ではない気がする。

 不思議な感覚に首を捻っていれば、竹平の下へ引っ張り出された。

「ならお願い。彼を守ってあげて。繋がり切っちゃったから、追手が来ちゃうの」

「ま、守るって、私には何も――」


ドンッ


 衝撃と共に上から落ちてきた塊が、肩を押さえながら近づくシウォンの進路を塞ぐ。

 次々と同程度の塊が落ち、不穏をようやく察した周囲の住人が、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 呆気に取られていれば、背中をぐいぐい押された。

「見ての通りよ。貴方、何かの繋がりで守られているみたいだから。ついでにシン、守ってあげて?」

「あ、貴方は――」

「私は……もう、良いから……」

 交わした黒曜石の奥底で、行け、と囁く声が内に響く。

 またも、置いてゆかれる自分の意思。

 けれど抗うにはあまりに優しい声。

「泉!――――グッ」

ドンッ

 容赦のない崩落は、幾度も青黒い人狼の動きと言葉を遮る。

 芥屋へ――帰る、と言ってはくれたけど。

 信じられる要素が少な過ぎた。

 だから思う。

 逃げるなら、今しかない。

 刺した罪悪感と恐怖も手伝い、竹平を伴った泉は、自らの意思で走り――。


* * *


 外では幽鬼が徘徊する芥屋。

 内からは、甲高い子どもの声が響く。

「ごめんくださぁい……って、スエのおいちゃんだけですか? 泉のお姉ちゃんは?」

「……シイ。何故、主は二階から姿を現すヨ?」

 そういう自身も今朝方、招かれざる住人共々、二階からやってきたスエ。

 空になった食器を全て洗わず流しへ寄せた白衣は、食卓を綺麗に拭いては両手に持った機械を何やら動かしていた。

 丁度、B5サイズのノートを横にした大きさは、釣竿のように伸びる細いアンテナに似合わず、ゴテゴテとした造り。ちょっとやそっとの衝撃では壊れそうにない外装が守るのは、つるりとした画面で、その中央では赤い点が明滅を繰り返している。

 質疑を投げられたシイは、とてとてスエに近づきつつ応答。

「それはもちろん、幽鬼除けのため、スエのおいちゃんがぶち抜いた穴を修復してたからですよ」

「……つまり、またワシの部屋から入って来たんかい!」

 唾を跳ばして貧相な声を上げる学者へ、シイは眉を顰めることなく、さらりと言う。

「当たり前じゃないですか、シイとスエのおいちゃんの仲なんですから、ケチ臭いこと言いっこなしですよ」

 そのままスエの隣の席へ腰かける。

「仲……捕食者プレデターと哀れな獲物サクリファイスかネ」

「違いますよ。狂学者マッドサイエンティストと哀れな実験動物モルモットです」

「……やれやれ。最近のお子ちゃまは、口ばっかりが達者になって困るヨ」

「……あーあ。最近のイイ齢した大人は、被害者意識ばかり強くてイヤですねぇ」

 どちらともなく、大仰なため息をつく。

 と、椅子に膝立つ子どもの指が、画面の赤い点を差した。

「で、なんですか、これ?」

「うん? ああ、これか。これはネ」

 互いを愚痴り合う過去をすっかり忘れたシイに、憶えておく気のないスエは答える。

「まあ、いわゆる、発信機、というヤツヨ」

「発信機? んーと……まさか、泉のお姉ちゃんに!? す、スエのおいちゃん、ついに越えてはいけない一線を――」

「阿呆。無意味なモノに発信機なぞつけてどうするヨ。これは別のヤツに付けたものネ」

 言いつつ、無精髭を擦るスエはヒヒヒと笑う。

「いやいやしかし。まさか、設置してすぐ役立つとは思わなんだ。あとはモニターが帰ってくるのを待つだけネ。ま、死んだら死んだで、プロトタイプの改良に一役買ったと思えば安いモノ」

「うわー……スエのおいちゃん、鬼畜ですね。ま、シイとしても、泉のお姉ちゃんじゃなければ、誰が死んだところで、ですけど」

 あっさりそう言ったシイは、画面を食い入るように見て、不満げなため息一つ。

 首を傾げ、画面をコツコツ叩いた。

「うぉっ、何するヨ、シイ! これは非常にデリケートな品ネ!」

 機械を庇い抱き締めたスエは、隣へ唾混じりに叫び、もう一度両手で持っては、大丈夫か、おかしなところはないか、と得られぬ応えを人工知能もない機械へ求めた。

 そんなスエを白い目で見つつ、かかった唾を拭いながらシイは言う。

「だって、それ、すんごく見づらいじゃないですか。もっとちゃんと見やすくする機能、ないんですか? 大体、誰に発信機つけたか分からないんじゃ、シイが楽しくありません」

「……主」

 自分と同等か、それ以上に自己中心的な発言を受け、さすがのスエも絶句。

 ため息をついては、発信元を語った。


 ついでに”彼”へどうして発信機をつけるに至ったかも、明確に。

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