第12話 思わぬ一撃

 辿り着いた幽玄楼の地下、人魚が住まう青い部屋の中央。

 どういう経緯かは全く分からないものの、崩れたと思しき天井の瓦礫から、音も立てず現れた狼首。

 認め、声をかけ――ようとして。

 その姿がいきなり掻き消えた。

 と思えば、

「泉嬢!」

「シウォン!」

 男が二人、叫ぶ声。

 ランはともかく、何故芥屋の店主が――と物陰で疑問に思う暇もなく、彼らの叫びを追い認めた姿は……。司楼がいる方ではなく、迷路然の通路に続く別の扉を蹴り開けた顔つきは、苦み走りながらもどこか愉悦に満ちていて。

「……親分。ロリコンだったんすね」

 断定された。されてしまった。

 もちろん、そんな基準で選んだ訳ではないだろうが、シウォンとその腕へ捕らわれた少女では、見た目にそういう性癖が透けに透けて見えてしまう。

 妻と望んで幽玄楼に招いたのは、偏に猫を操らんがため――と思い込もうとした司楼の努力は実らなかった。

 狼首の宿敵たるランたちに続いて追う気も起きず、がっくり項垂れる司楼。

 別段、相手の年齢をとやかく言う気はない。

 ただ、多種の経験も積み重ねられないまま、全てを独占される少女が不憫で不憫で……

(――まあ、それはそれとして)

 さくっと切り替える。

 とにもかくにも、当初の目的通り、司楼は修理箇所を確かめようとした。

 ざわり、その背に寒気が被さる。

 素早く顔を上げたなら、出入り口付近で立ち止まる、黒い男。

 向けられる銃は鈍い銀。

 どこへ?

 追えば、人魚が――巨大な水槽がそこに。

 次いで起こる、高くも低くも聞こえる、重奏の破裂音。

「!?」

 尾を引く反響に耳を伏せつつ、司楼の黒い瞳が見開かれた。

 水槽に穿たれた綺麗な円は、あの銃口では在り得ぬ大きさで、周囲の水ごと人魚を消し去っていた。

 あの銃は神がかった命中率の低さが売りだったはず。いやそれよりもあの威力は?

 幾度か外れた場面を見たことのある司楼、思い返してもその時開いた穴は銃口より小さかった。

 けれど、考えていられる時間はない。

 ――遅れること数秒。

ちゃぷ……

「げ」

 短く呻いては、来た路を全速力で走って逃げる。

 激流を思わせる音が司楼の後を追ってくるが、今度は確かめる暇なぞない。

 あの水槽の水は、凪海へと続く地下水脈の流れから引っ張り、分厚いガラスでせき止めていたのだ。

 それが決壊した今、どう動くのか検討もつかなかった。

 とりあえず分かることと言えば――追いつかれた先に待ち受けるモノなぞ、何もない、ということだけ。


* * *


 下卑た嗤いで立ち塞がる者は排除していく。

 次第に辺りに満ちる血の香りは、更なる相手を呼ぶが、どれも障る前に終わる。

 誰も彼も邪魔だと、罵倒も喜悦も朱に染めるのは、彼女以外の役目。

 彼女が同じ色に染まっては、臆病な彼が怖がってしまうから。

 それだけの理由で、斃れる身体を遠巻きに、ただ辺りへ視線を巡らせる。

「かのえ!」

 胸を締めつけられる、愛おしい声に呼ばれたなら、彼を捜していたかのえは喜色満面に振り返り――すぐさま、喉を引きつらせた。

 輝く街を背に走り寄る彼の傍らには、白い鬼火の姿。

 女の、姿。

 こちらを見て気安く手を上げたその女は、親友面した女を思わせ、また一方で、高笑いして”私たち”を焼き殺す鬼火であり……。

 躊躇はない。

(人殺し、なんて――)

 掻き毟る細い手はかのえの手首を裂き、竹平と会うのを躊躇わせたけれど。

 細い首が生気を失う感触に、震えは今も止まらないけれど。

 嘲笑う顔が苦悶に沈むのを、忘れることはできないけれど。

(――今更、だわ)

 送ってくれた親しんだ顔だって、背後に回って打ちつけたのだから。

 竹平と二人きり、一緒に居続けるなら、なんだってできる。

 なんだって――


 たとえ、相手が恩義を感じているクァンだったとしても。


 竹平を迎え入れるために広げた腕と、極上の微笑みを合図とし、クァンの足元に爪が穿たれた。

 放ったのは、共に竹平を捜していた”私たち”の一人。

「「なっ!?」」

 驚く二人が同時に声を上げたせいで、かのえの心が冷えていく。

(――そう、クァン。やっぱり貴方も、私から彼を奪おうとするのね)

 かのえの心に呼応するが如く、クァンに対し、五人が集中して攻撃を加え始めた。

 呆気に取られる竹平の腕はかのえが引いた。

「クァン、貴方が悪いのよ。私のシンに手を出すから」

「かのえ!? お前、何言ってるんだ? あの人は――」

「竹平君は黙ってて? イイの、分かってるの。貴方は悪くない。悪いのは全部、女の方」

 ふっと優しく微笑み、目を合わせては彼を捕らえる。

 奥底の海の闇へ誘い、落とす。

 しかし――


ぱしんっ


 払う短い音に、かのえの眼が揺れた。

「……お前、本当は、誰だ?」

 抗い、立ち止まり、射抜く、竹平の問い。

 知らず知らず、にぃ……と引き結ばれる、かのえの唇。


 ただ、嬉しくて――

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