第11話 想定と現実
奇人街の住人に常識とはなんぞや、と問えば、十中八九がまず「弱肉強食」を上げる。
他には? と問えば、同じ割合で「芥屋の店主は人間以外に酷い」と言う。
まだあるか? と問えば、これまた同じ割合で「シウォン・フーリに誘われりゃ、女は尻尾振ってついていく」と答える。
――なのに。
シウォンからまたしても追っ払われた司楼は、嘆く暇もなく、現狡月のランと対峙した。
常日頃、自分はデスクワーク専門だと豪語して止まない司楼だが、相手は所属する群れの狼首から、宿敵と名指しされている。見過ごすことは許されない。
幽玄楼という場所柄、誰の眼もないのだから――そんな理由で逃げても良かったが、壁に耳あり障子に目あり、バレない可能性はないとは言えまい。シウォンへチクられたなら、そこで司楼の人生は有終の美を飾ってしまうのだ。
戦わない選択肢はなかった。
もちろん、やりたくもない戦いで勝てるほど狡月の名は易くなく、あっさりと負けた司楼は、気を失ってしまう。
目覚めたのは、もの凄い破壊音を聞いて後。
こういう時、即座に司楼の頭を駆け巡るのは、修理のこと。
頑固者の狼首は、たとえ楼がどんな状態であっても、認めてもいない輩に修理を任せたりしない。加えるなら、認められた司楼とて修理には参加させず、彼の狼首は全部自分一人でやってしまうのだ。
ヘタに弄れば、文字通り首が跳ぶ為、手伝うなぞ持っての外。
多趣味もここまで来ると厄介だった。
ただし、材料収集に関しては、司楼にお鉢が回って来る。
しかも注文が滅茶苦茶細かい上に多い。
無理、と断っても司楼に害はないが、そうすると、シウォンはやはり自分で材料を取りに行った挙句、良いと思った物は何でも略奪していくから始末に終えない。
司楼が着く前の側近は、幽玄楼の改築でシウォンが材料収集を行なった結果、人狼どころか徒党を組んだ他種族相手との大規模な諍いが勃発、その中で命を落としたと聞く。
諍い自体は、元凶であるシウォンが単身殴り込み、司令塔を片っ端から潰したため、俄仕込みの結束も相まって、相手の自滅で終わったのだが……。
音源を目指して進む司楼は、何ともなしに一人ごつ。
「綾音サン、知らねぇだろうな……あの髪飾りの花芯、そういう経緯で手に入れたモンだって」
のめり込むと妙に一途になるシウォン。
そんな彼が、改築の材料探しに熱中しては、決して見向きしないはずの宝石を欲した。
今回の状況と、少しばかり似ているかもしれない。
尻尾振ってついて来ると言っても、芥屋への嫌がらせ以外で、シウォンから女を誘うことはほとんどない。また、年齢や身体つきで線引きがあるため、そぐわない女は傍にも寄せつけない。寄せつけたとしても、その末路は、泉の前にいた従業員の娘がいい例だ。
線引きの外にいた彼女は、丁度見物に来ていたシウォンに一目惚れしてしまった。
結果、従業員であるというただ一点のみで、惹かれる心のまま連れてゆかれ――善がりはしたものの一晩で潰されたのだ。
つまり、シウォン・フーリは自分の方針から外れるモノを、常では尤も嫌うという話であり、
「……そんな親分に方針投げ捨てさせてまで、求められるなんて…………同情モンですよ」
震えが一つ、司楼を襲う。
思い返されるのは、幽玄楼の出入りを許されてから、幾日か過ぎたある日のこと。
連日連夜、女をとっかえひっかえしていると、大多数の者から思われているシウォン。
けれど実際、本人が望むと望まざるとに関わらず、とっかえひっかえしている回数は、若輩者のランより少ない。
この認識の違いは、付き合う場所数によるところが大きい。
ランは一箇所で長い間監禁状態にされた上、数限りない”お付き合い”を強いられるが、シウォンは虎狼公社や奇人街のあらゆる場所をその時の気分で選んでいた。
このためシウォンには、どこかで必ず女を侍らせているイメージが付き纏う。
踏まえ、当初は司楼も他と同じく、シウォン・フーリとはそういう男だと思っていたのだが。
「…………なんで寝てんすか?」
「………………そいつは俺に死ねってことか、司楼」
「いや、だって……」
目の前の光景に困惑する司楼は、白い頬を黒い爪で掻く。
時刻はもうすぐ朝を告げる時間。
シウォンの言う通り、夜行性の人狼が寝に入ってもおかしくない。
――けれど。
「あー……っと、シーツっす。新しい」
「ん」
頼まれていたブツを差し出せば、やたらと広い寝台の上から青黒い手が伸びる。乳白色の爪へ引っかけるように渡すと、億劫そうな動きで、シウォンがうつ伏せ状態から起きあがる。
動作一つとっても妙に艶かしい我らが狼首。
だが、欠伸の後、いそいそとシーツを代える――その、なんとも所帯染みた姿。
「……親分、オレ、今すっげぇ幻滅してるんすけど」
「んん? 何にだ?」
司楼へ隙だらけの背を向けつつ、綺麗にシーツを伸ばすシウォン。この状態へ攻撃を仕掛けても、弄り殺されるほど戦力差があるため、隙自体に文句はない。
しかし、使用済みとなったシーツをわざわざ丁寧に畳む几帳面さは、シウォンへの尊敬を色々台無しにしていた。
加え、渡された使用済みシーツには、人狼用の防刃加工が施されているとはいえ、解れた形跡もないのだ。
普段の荒々しさとかけ離れた寝相の良さが窺い知れて、なんとなく、凹む。
「……大体、虎狼の狼首が一人寝なんて」
「別にいいだろう、どう寝ようが」
至極面倒臭そうなシウォンは、またも欠伸をすると、寝台の上で胡坐をかいては顎を擦る。
「どうもお前ら、俺に変なイメージつけてるみてぇだな? この際言っておくが、俺は別に女好きでもなんでもねぇよ」
「……は!? お、親分、冗談キツいっす。だっていっつも――」
反論に出た司楼、幽玄楼に出入りした日々を反芻しては、言葉を失くしてしまう。
司楼が出入りする理由は、偏にそこに狼首がいるからであり、ここ最近は半ば伝令のように、他の楼と幽玄楼を行ったり来たりしていた。
だが、どれだけ思い出しても、シウォンの傍に女が侍っていた記憶はない。
幽玄楼の出入りを許されている者の中には女も数人いるが、それは狼首へ欲を向けず、シウォンからしても範疇外の者ばかり。
「あのなぁ、俺は気が乗らん時にまで手元へ置いておくほど、人肌恋しいわけじゃねぇ。第一、幽玄楼に女なんざいらんのさ。あるのは物だけでいい……お前らの出入りを認めているのも、何事へも深く干渉しない者だからに過ぎん」
初めて聞く話だが、上を向いて目を細めるシウォンを見つつ、司楼は納得した。
若輩である自分が、他の側近を差し置いて出入りを許された理由。
確かに、シウォンを尊敬はすれど、幽玄楼の麗しさには驚こうとも、司楼の抱く感情はそれだけ。
もっとシウォンを知りたい、だとか、幽玄楼の美しさを心ゆくまで堪能したい、だとか、そういう思いは一切なかった。
「……俺はな、司楼。虎狼へは後から来たクチだからかは知らんが、群れを群れと認識できんのだ。統率している今でも、な」
「それは……」
興味はないが、言葉を与えられては推測する、群れ単位で動く人狼ゆえの、認識できぬ孤独。
司楼にも憶えのある感情は、容易く理解まで至る。
つと、シウォンの手が寝台を薄布で囲う天蓋へ翳された。絡繰り仕掛けのそこからは、丁度中天をいく月明かりが降り注ぎ、本来は白い褥を蒼白く染めている。
「だが、そうだな……もし――もしも俺が、幽玄楼に女を招いたならそれは……欲の全てを注いだとて足りぬ相手だろう」
「…………」
一瞬、司楼の思考が止まった。
いつも傲岸不遜なシウォンが、椿事と呼んでもいいほど、柔らかく語るモノだから。
(……きっと親分、寝惚けてんだろうな)
とはいえ、寝惚けであってももの凄い憐憫の情が沸き起こる。
いつ来るかも知れぬ、招かれる女に対して。
(一生現れない方が、アンタの身の為だとオレは思うっすよ。たぶん、親分にとっても)
なのに――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます