第7話 経営者の野望

 それは昨日のこと。


 さて店を開けようかと意気込むクァンへ、少女が恐る恐る問うた。

「ねえクァン……さっきの子、人間?」

 さっきの子……そう称される人物に首を捻ること数回。

「ああ、泉のことかい?」

 ぽんっと思い出して手を叩けば、真っ黒の瞳がジト目でクァンを見た。

「……クァン、いくらなんでも、さっきまで会ってた人を忘れるのは酷いと思う」

「いや、忘れたわけじゃないんだけどさぁ……。元より忘れちゃ駄目な相手だし。まあとにかく、人間だよ、泉は」

 顰められた眉から逃れるように告げれば、少女は首を傾げた。

「そう。でも、それならどうしてあの子、ここにいないの? この変な街にいるなら、クァンのところにいた方が安全じゃない?」

「変な街って……アタシの住処に難癖つけてくれちゃってまぁ」

 否定はできないが、なんとなく傷つくクァン。

 気を取り直し。

「…………そうさねぇ、アタシだって引き抜けりゃ問題ないんだけどさぁ? 人間好きの変人に捕まっちゃっててね、あの子。なかなかどうして――」

 愚痴ろうと思ったのが間違いか。

 ついぽろりと出た言葉は、少女の声をクァンへ被せた。

「人間好き? それじゃあ、もしかしたらその人のところに、私のシンはいるかもしれない?」

「い……や、ええ……と、それはどーだろーかねぇ…………」

 内心でまずい、とクァンは呻く。

 今の今まですっかり、その存在自体忘れ去っていたが、クァンの宿敵とも呼べる芥屋の店主は、人間好きで知られている。

 畑違いで宿敵というのも可笑しな話だが、儲け第一のクァンにとって、人間という種にのみ固執し、売り上げを伸ばそうともしない店主の存在は、甚だ理解し難く鬱陶しい。

 それが斜め上にいるのだから、余計腹立たしいことこの上ない。

 もっとここをこうすれば、売り上げだってぐんと伸びるのに。

 言ってやりたい、実際言ってやったアドバイスのことごとくは、店主によって失笑され、その都度クァンは炎の渦を撒き散らし――

 要は、完全なるお節介。

 鬼火という種族が持つ独特の面倒見の良さが、クァンの場合能力の高さと比例して、かなりの値を弾きだしていた。そのため、目の上のたんこぶの位置にある、芥屋の売り上げが気になって仕方ないのだ。

 資本主義だった憶えはないが、店主は少し、儲ける楽しみを知れば良いと思ってしまう。

 もちろん、クァンは己と店主が第一に考えるモノの違いを知っているため、その考えは押しつけでしかないと理解している。

 なればこそ、あのへらり顔の黒一色は、クァンの宿敵足りうる。

 そしていくら言っても、度が過ぎる人間好きを止めない店主では、少女の恋人であるシンとやらを、介抱している可能性は高いだろう。

 失敗したな。

 思いつつも恋人に会いたい少女の気持ちは、クァンには痛いほどよく分かる。

 訴える視線を受け続け、大仰なため息が鬼火の口をついた。

「あー、はいはい。分かりましたよ。んじゃさ、明日、行ってみる?」

「いいの?」

(……ここで駄目って言ったらどうすんだろ、この子)

 こちらの苦悩なぞ欠片も気にかけず輝く瞳に、つい意地の悪い考えが過る。

 だが結論はすでに出ていた。

 そんなことを言おうものなら、少女は奇人街の恐ろしさをかなぐり捨てて、芥屋へ向かうに違いない、と。

 勝手に出て行った娘を追うほど酔狂ではないが、知った顔がどういう系統であれ、店先に並ぶのを見かけるのは忍びなかった。

 仕方なさに苦笑を浮べて頷けば、可愛い少女はクァンへ飛びついた。

 豊満な胸へ顔を埋める少女の頭を撫でながら、シンとやらがいなければ良いと、ちょっぴり願ってしまう。

 と。

「ちぃーっす」

 丁度その時、遅れていた娘たちが来て、

「げげっ! く、クァンの姐さん!? そ、そういう趣味のお人とは知らなかった……」

「は?」

 一様に仰け反っては指を差され、何事かと見やれば、すり寄る少女と抱き締める己の腕。

 慌てて訂正しても、「姐さんは女好きだった!」とからかわれ、クァンの炎が店の中で荒れ狂い――――


 結果、営業できなくなったがための早寝と、少女の約束を律儀に守った自身のせいで、昼前時刻、大切な歌い手をクァンは一人、失ってしまった。


 ――――んが。


「ふっふっふっ……消し炭の中やってきたシイは、上客中の上客よねぇ。それとも猫様様?いやいや、シウォン・フーリ万歳、が正しいか。……ね、ランちゅわん?」

「ご、ごのっ、裏切り者…………」

 にゅっと伸ばされる呻きの手。

 掴んだのは宙、ではなく――――

「ぅわっ、ご、ごめ」

「ぃやん。ホングス様ったら、大胆!」

「ほらほら、今度はこっちこっち」

「あ、ずっるぅい! アタシアタシ! 次はア・タ・シん」

 慌てて離れようとするランの手を取り上げ、身をすり寄せるのは、人間姿の人狼女が三人。口紅やら何やらの赤をいたる処につけられたランは、二日酔いのグロッキー状態を悪化させた姿で、クァンの店の少しばかり焦げたソファへ押し倒され、貧弱な声を上げていた。

「く、クァンっ! どういうつもりだ、これは! って、ちょ、そこは駄目だって!?」

 ランの上で蠢く影は、思い思いに彼を悦ばせようと必死で、静止を訴えても聞く素振りはない。

 これを通路側に立って眺めていたクァンは、白く長い髪を掻きあげつつ。

「う~ん……男が襲われても、助ける気にはなれないねぇ? 何故だろう。どっちかってぇと、ランの方を燃やしたい気分だよ、アタシゃ」

「こ、怖っ! なんで? 俺、被害者だっふぇっ! んんっ」

 起き上がってクァンを非難しようとするランだが、話の途中で潤んだ瞳の娘に唇を奪われる。ランへ群がる娘らの齢は、どれもランより十近く下で、且つ、どれもクァンの店で働くだけあって美人、あるいは可愛いらしい。

「羨ましい限りの図だよぉ、ラン? 助けたアタシの方が、ヤキ入れられそうで怖いわ」

 腕を組んで頷けば、窒息間際を訴えるように意味なく天へ、震える包帯を伸ばしては、ぱたりと倒れるランの腕。

 ぐったりした彼を認めたためか、一人が背面へ身体を捻じ込んでは上半身を持ち上げ、前へと手を這わせる。

「んふふ……皆は夜のホングス様が好きっていうけどぉ、私はどちらもあった方が良いと思うの。やっぱり時代はギャップよね!」

「あら、ヘタレではなくて? わたくしはこちらのホングス様の方が好きだわ。なんかこう、攻め立てたくなるというか、全身わたくし色に染めて差し上げたいというか」

「え~、アタシは断然、夜だわ! やっぱりリードされたいもの」

「じゃあ、あんた、ちょっと離れてなさいよ」

「まあそれは良い案ね。ほらほら離れて離れて?」

「いぃやぁ!!」

 ランの意識はどうでも良いらしい娘らの様子を受け、クァンはちょっぴり嘘の涙を流す。

「おいたわしいねぇ、ラン。アンタが芥屋のの友人気取ってるばっかりに。しかも今度は泉まで、友人かそれ以上に思っちゃったせいで……アタシからこんな扱い受けちゃってさ」

 しくしく喉を震わせては、ころっと表情を変えるクァン。

「さてアンタたち! アタシがイイっていうまで、絶対ランを店から出すんじゃないよ?」

「がってん承知です、姉御!」

「なんなら一生でも構いませんわ!」

「未来永劫でもアタシ、イけちゃうっ!」

 ぐっと親指を突き出した娘たちの笑顔は、クァンが今まで見た中で、一番輝いて見えた。

 いつもそうなら、もうちょっと売上げいいのにな、と思わないでもない。

 二日酔いと娘らの手技で、白目を向いたランに視線を移したクァンは、しんみり手を合わせて頭を下げた。

「どうせアンタのことだから、泉と喋った内容、聞こえちゃってると思うけどさ。アタシ、あの子の唄がどうしても欲しいのよ。アンタに邪魔されちゃ元も子もないわけ。種に忠実なシウォンが、唯一違える諦めの悪さはアンタも知ってるわよね? アイツ、絶対泉を手に入れるでしょ? だから、その時頼んじゃおうって思うのよ。ウチの店利用していいから、囲いの娘一匹、貸し出してって。猫操れるってんなら泉殺されないし、あの年中無休発情野郎が小娘一匹にそこまで執着する理由もないじゃない?」

 我ながらナイス・アイディアと、くんずほぐれつ蠢く陰を尻目にクァンは空色を輝かせ、転じては頬を掻いて眉を寄せる。

「……まあ、不安要素はなきにしもあらず、だけど。なんだってあの野郎、幽玄楼なんかチラつかせたのかしら? 泉が知る訳ないってぇのに。まさか…………本気?」

 思い至れば顔を青褪めさせ、ぷっと吹き出しては、ないないと手を振って、少女の如く可憐に微笑むクァン。

「んふ。とにかくっ!」

 長い髪が半円を描いてカーペットに伸び、クァンの鋭い目が薄絹を重ねた緞帳へ向けられる。

「待ってなさいよ、泉。絶対、ずえぇぇぇったいっ、アンタをココで唄わせてやるんだからねっ……!」

 明るく意気込む声とは裏腹に。

 クァンの纏う気配は、段々と殺気立っていく。

 鋭い空色の瞳は、舞台で唄う歌姫の、その先を見つめ――――

「っとと! その前にかのえの荷物纏めてやんなきゃ」

 ランという障害物を取り除いた今、本来の目的を思い出したクァンは、待っているであろう少女の、幸福そうな顔を浮かべて腕を捲った。

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