第6話 身の置き場

 口づけするようなクァンの様子に焦れば、不意に逸れる空色の瞳。

 視線の方向にはランがいる。

 ほっとしたいのは山々だが、顎は捉えられたままで気を緩めるには至らない。

「……ラン、アンタ、まだいたのかい?」

「うぐぅるさぃな……いちゃ悪いか」

「悪い」

 にべもなく、すっぱり言い捨てたクァンは、泉の顎を解放するなり、今度は首へ腕を回し、胸の横へ顔を持っていく。豊満な柔らかさに圧迫され、それよりは硬い頬がひしゃげれば、非難を呻くランを背にした頭上へクァンが言う。

「だ・か・らぁ、あのエロオヤジ……じゃなくて、エロガキにゃ、なんて返事したのかって聞いてんの!」

 あくまで小声で凄まれる内容は、ランに聞かれたくないためか。

 けれど泉には”エロ”と評される知り合いはいない。

 困惑を全面に出して返せば、クァンが呆れた素振りで首を振る。

「筋金入りのお人好しかい、アンタ? 二度ならず三度まで、誘われたり攫われたり抱きつかれたりされといて、何にも感じなかったっていうのかい?」

「…………ええと……その、あのって、もしかして……シウォンさんのことですか?」

「そう! そのシウォンさ! しかも極めつけに媚薬で求婚で幽玄楼!」

 妙なテンションをそれでも小声で示すクァン。

 対する泉は、情報の仕入先に眉根を寄せ、

「シイに聞いたのさ。断ったって聞いたが本当かい? アンタの口から直接聞きたくてねぇ。ほら、白状おし」

 すぐさま判明した情報源の死人へ、頭痛を覚えたのも束の間、拘束されたままの両頬がぐにぐに抓まれた。

「きゅ、きゅあんひゃん、こえらぁしゃへれまひぇんひょお!」

「おっとっと。悪い悪い。んで?」

 意地でも離さない腕の主を睨みつつ、自由な手で頬を揉み解す泉。

「シイちゃんの言った通りです。断りました」

「へえ? そりゃまた、どうして?」

 にやにやした尋問は泉の息を詰めさせた。

 ソファで眠りを愉しむ男の「どう?」と勧める声を思い出し、眉が顰められた。

「どうして……って、よく知りもしない相手ですし」

「んじゃ、よく知れば可能性はあるのかしらん?」

「…………クァンさん、回し者ですか?」

 クァンの店は虎狼の系列。

 思い出して問えば、クァンはケタケタ笑ってみせた。

「ま、回し者? まっさかぁ。在り得ないわよ。プライドの高いヤツが、縄張りの一部借りて営業してるアタシに頼みごとだなんて。言っとくけど、脅しもないから。もしあったら、アタシの店、今頃潰れちゃってるわ。シウォンを入店拒否した時点で、ね?」

「入店拒否……されているんですか、シウォンさん」

「まあ……アイツの噂くらいなら知ってるでしょ? 女侍らせて、他種族なら腸喰らうって。一時期ね、上だし狩人だしってんで、常連だったんだけど……娘が毎度毎度、お持ち帰りされた日にゃ、アンタ。それも一人二人じゃなく、もう、ごっそりと、さ。お陰でこっちは娘不足に悩まされて。泣く泣く入店拒否ったわけよ。土下座までしてさ。笑ってたけど、絶対面白くなかったに違いないわ、あれ。なんせウチってば狩人限定なんてしてるから、箔がついちゃっててステータス扱いだもの」

「あの、クァンさん、タ……リシ? ってなんですか?」

 拘束された格好の辛さプラス、繰り広げられるマシンガン・トークの長さへ、非難する代わりに尋ねる泉。いい加減、離して欲しいと思ったなら、ぱっと離され、これ幸いと一歩分、クァンから身を退いた。

「まあ、つれないこと。……狩人かい? 狩人ってのは、幽鬼を一撃で殺せる奴を意味する、奇人街最高位の称号のことさ。単純に強い、ってだけの話だが、強い分余裕があってね。そこら辺の住人みたいにすぐぶち切れたりしない。ちなみに、そこのランもシウォンも狩人だよ」

「幽鬼を一撃で倒せるかどうかが基準……。じゃあ、史歩さんや猫は?」

「史歩は自分は武人だからってさ。猫は……称号なんていると思うかい?」

 クァンが床に示したタリシの字は、狩人。

 確かに知った字面だけを見たなら、強さを求める史歩のこと、武人の方が望ましいのだろう。

 猫の説明には首を縦に振り、そうだろそうだろとクァンが追って頷いた。

「で、可能性は?」

 転じ、忘れてなかった質問を繰り返す鬼火へ、泉は少しだけ剥れた顔になった。

「知りません。特に今はそのこと考えたくないんです」

「どうして?」

「それは…………」

 言って口元をもごもご動かすワーズを見る。

「ああ、店主が駄目ってか?」

「違います。ワーズさんは賛成してますよ。昨日だって勧められたくらいですから」

 刺々しい言葉を吐けば、苦い思いが込み上げてくる。

 正体不明のそれを抱えてなおもワーズを睨んだなら、クァンが「ふぅん?」と面倒そうに鼻を鳴らす。

「なるほどねぇ。障害が店主だってんなら、手の打ちようもあったんだが」

「……何のお話ですか?」

 いぶかしんで振り返ると、鬼火はひらひら手を振った。

「いんや。んじゃ、ちょいと席外すわ。そこの娘の荷物取りに行かなきゃならないし」

「あの人って……」

「拾ったの。で、連れが見つかるまでウチで働くって約束でね。さて――――と」

 散々自分から話を振りながら、あっさりそう言い、クァンは思い出したかのように、ランの投げ出された足を掴んだ。

 思いっきり引っ張られた足の持ち主は、ぐったりした頭を支える気力なく、床へ打ち据えられてしまう。

 鈍い、良い音がした。

「ら、ランさん? クァンさん、何を?」

 驚く泉を余所に、ランを引きずったクァンは、自分よりある体格を物ともせず担ぐ。

「いやぁ、だってコレ、邪魔でしょう?」

「じゃ、邪魔って、相手は怪我人ですよ?」

「なぁに、自業自得さ。陽のある内の変化は自分の意思で行われるもんなんだから。分かっててやって、手厚く介抱されたんだから、粗雑に扱われても仕方ないって」

 全く悪意の欠片もなく、ニカッと笑う。

 クァン以外には決して伝わらないであろう仕方のなさに、泉があんぐり口を開ければ、その隙に細い肩へ人狼を乗っけた鬼火は去っていった。

 終始、一言も喋らなかったラン。

 安否を知る由もない泉は、追いかけたところで止める術を知らず、振り返っては竹平へ甘えつつ、こちらへは剣呑な目を向ける少女に出くわす始末。

 泉は疲労感たっぷりのため息を吐いて後、ソファの足元へ、白い面を見つめながら座る。

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