第5話 ”恋人”

 昼間から展開される熱愛っぷりについてゆけず、呆気に取られていれば、ワーズから嘲笑が漏れる。

「うわ、クァン。お前、ずいぶん珍しい連れを――」

 べしんっ

 何事か言いかけたワーズの顔面へ、泉の肩から跳躍した影の尻尾が叩き込まれる。

「猫!?」

 泉の非難を物ともせず、くすんだ赤いソファの背もたれへ華麗に着地した影。

 反対に、シルクハットの男は肘掛へ後頭部を強打した。

 鈍く低い音に色を失くし、

「ワーズさん!?」

 呼べば、

「……ぐぅ」

 寝息が零れる。

 寝てろと抑え込んだ肩を揺すったものかどうか考えあぐね、原因である猫に答えを見出そうとすれば、大きな伸びと欠伸をする姿。

 困惑に困惑を重ね、一先ずこの帽子では寝にくかろうと手を伸ばせば、まるで起きているかのように、黒いマニキュアの手がツバを掴んで下に引っ張り、鼻から上を隠してしまった。

 次いで、血色の口から漏れるのは、

「んふふふふふふふ……猫、いただきまーす」

 世にも嬉しそうな、不穏な寝言。

 当の猫へ再度視線を移せば、鼻で笑うように寝そべり、尻尾を振って自身の健在を寝ている男へ知らしめる。

「……もしかして猫、私が大人しく寝ていてください、って言ったから?」

「うーな」

 笑うように目を瞑り、肯定の声を上げた。

(もっと他にやり方があったんじゃ……)

 強引過ぎる猫へ、抗議したものかどうか悩んでいると、くすくす気だるげに笑う声が聞こえてくる。

 ガラス戸へ目を向ければ、連れから置いてけぼりにされた風体のクァンが、長い白髪を掻きあげた。

「大丈夫よ、芥屋のはそんなんじゃ死なないから。にしても、さすがは猛獣使い」

「猛獣……?」

 その言葉が示すのは猫と分かるが、”使い”と呼ばれる筋合いはない。

 そもそも、どうしてクァンがやって来たのか分からず、彼女が連れてきたと思しき、大胆な少女を見る。

 と。

「クァン! 見つかったわ! この人が私の捜してた人なの!! ありがとう!!!」

「な、ちょっと待――っ!?」

 明るい声に見やれば、またも少女が竹平に唇を押しつける場面。

 ほとんど為すがままの竹平が、助けを求めるようにこちらへ視線を送っても、泉はどうして良いか戸惑い、クァンに視線を戻せば、腰に手を当てやれやれ首を振った。

「あーらら。お熱いこと。これじゃあもう、ウチに居る理由なくなっちゃったかしら?」

 頭痛を堪える顔に、竹平の首には腕をかけ、少女がにっこり笑う。

「ごめんね、クァン。見つかるまでって約束だったでしょう?」

「はいはい。しょうがない、か。荷物纏めて来てやっから、楽しんでなさいな」

 しっしっと手を振るクァンに、少女が顔を輝かせては、更に竹平を抱き締め、竹平は途方に暮れた顔を泉へ向けた。

 何故こっちを見るのか眉を寄せかけた脳裏に、昨日、考えに沈んでいた最中の竹平の言葉が浮かぶ。

 確か、無理心中を付き合っていた女に謀られた、そう言っていたはず。

 では彼女がその女なのだろうか?

 なのに、この少女はそんな影を欠片も見せず、竹平に甘える仕草。

(……普通の男女交際ってこんな感じだったっけ?)

 常日頃、慣れたくはないと思いつつも、奇人街の常識に振り回されっぱなしの泉は、元いた場所の基準が分からなくなっていた。

(人の記憶ってずいぶん曖昧だわ……)

 つい先程まで頭を悩ませ、保留にした問題がそんな結論を導けば、真偽までもがあやふやになっていく。

 混乱に混乱を重ね、寝ているワーズへ視線を戻したなら、笑いながら涎を垂らしていた。

 一瞬、ビクついたものの、ポケットからハンカチを取り出してソレを拭いてやる。

「い・ず・みぃ?」

 と、荷物を纏める等言っていた鬼火の声がかけられては、拭った後始末も出来ず、仕方なしにポケットへ戻す泉。

「……はい?」

 ため息混じりに応えて振り向くと、クァンがにやりと嗤っていた。

 怖くてちょっぴり仰け反ったなら、白い指先が艶かしく手招く。

 まさか無視する訳にもいかず、のそりと近寄った。

「ねえ、これ、食べて良いのかしら?」

「あ、はい、どうぞ」

 途中、いきなり少女から話しかけられ、頷いて後に見やれば、竹平と並んで座る姿。

 マイペース、ここに極まれり。

 そんな風に思い、ぽけっと見る泉へ、気づいた少女が目を向けた。

 真っ黒な、吸い込まれそうなほど深い、瞳の色。

 顰める表情はないものの、含まれる剣呑を察して、やや急ぎ足にクァンの前へ。

 すると掴まれる腕、引き寄せられる身体。

 耳を擽る少しだけ掠れた声。

「泉ん……で、お返事は?」

「……は?」

 甘えるような響きへ、赤くなりつつも本気で困惑したなら、泉の顎が持ち上げられた。

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