第4話 店主の霍乱

 台所に立ち、隠し味と取り出した酒をじっと見つめる泉。

 ランはといえば、昨日ワーズが言った通り、酷い二日酔いに襲われており、笑い合ったのも束の間、隅っこで冴えない顔に死相を浮かべ、ぐったりしていた。

 心配すれば無理して笑い「大丈夫」と手を振るため、極力そちらを見ないようにする。

(……百薬の長とは言うけれど…………本当に私、これで記憶を飛ばしたのかしら?)

 飛ばしたい記憶たちを思えば気持ちが沈む。

 思い出せば恥とも取れるランの行いとは違う、失ったところで何一つ泉の立場を変えられない、記憶。以前は諦めにも似た気持ちで静観していたものだが、今は別の考えでもって見られるようになったソレ。

 その違いは何かと自問したなら、浮かんだ黒一色に疑問が生じた。

(どうしてワーズさん……私に記憶がないことを知っていたのかしら?)

 昨日、何気なく彼の店主は言っていたが、泉から記憶のことを話した憶えはない。

 奇人街という場所柄、訪れる直前の記憶は失くなるのが当たり前だと思っていたからだ。

 なのに竹平は、自身の意識が失くなる直前までの記憶をしっかり持っていて、ワーズもこれをおかしいとは捉えていなかった。つまり、泉が自室に入ってからの記憶を失くしているのは別に原因があり、奇人街は関係ない、ということになるのではないか。

 竹平以外に確かめたわけでもない以上、今のところ仮説の域を出ない話ではあるが。

 不思議がりつつも使った酒を戻せば、背後から声がかけられた。

「よ! どうだ、これ?」

 振り向いたなら、赤い髪の秀麗な顔がポーズを決めている。

 泉のモスグリーンの服と似た形状の、男物の青い服。

 苦笑を返せば、着替えてきた竹平が眉を寄せた。

「……変かな、やっぱ」

「や、別に変じゃないと思いますけど……」

 言いつつどう反応したものか迷う。

 竹平の服は泉と同様ワーズ手製で、竹平には内緒だがサイズはキフの手測りなのだ。

 目測りより正確だ。

 と豪語したのは、黒い服を着せられた竹平が目覚める少し前のこと。

 言葉通りなぞれば、それは…………

 いぶかしむ眼に気づいて、

「とても良く似合ってます」

 と言えば、簡単に機嫌が直った。

 飾り気のない笑顔に、絶対、手測りだとは伝えないでおこう、と心に誓う。

 気分を切り替え、昼というには早く、朝というには少し遅くなってしまった食事を盛りつける。

 焼き魚が食べたい、というワーズが着替える前に鮮魚箱から取り出したのは、泉のいた場所では成魚として扱われるサイズ。

 ただし、歯の鋭さは鮫に近い。

 凪海の巨大魚を浮べて眉を寄せれば、これは稚魚だと教えられた。

 ――子どもにしては可愛くない姿である。

 竹平に声をかけ、手伝いを頼めば、焼き魚を見て尋ねる。

「なあ、お前って和食派? 洋食派?」

「そうですね。どちらかといえば和食が多いですかね? 小さい頃、料理を教えてくれた人が和食好きでしたから。でも、他にも教えて貰ったので、色々作れると思います」

「へぇー。珍しいな、アンタぐらいで料理とか出来るの」

 感心する口振りに苦笑する。

「いえ、友だちも自分でお弁当作ったりしていますよ。それに私の場合、やらざるを得ないっていうか。両親共働きですから」

「なら、コンビニとかで済ませた方が早くね?」

「それが、ずっと外だと塩分が高過ぎて」

「んー? なんだか楽しそうだねぇ?」

 食卓に皿が上がると、狙い済ましたかのように降りて来るワーズ。

 濡れた服を着替えた黒一色には、乾いた服である以外の違いが見当たらない。

 持っていた包丁はすでに台所へ仕舞われている。

 何に使ったのか聞いてみたいところだが、食事を済ませなくては、まともに取り合ってくれまい。

 人の意見を無下に払う様を想像し、昨日のやり取りが思い出されたなら、余計、食事を優先させるべきだと結論づける。

 各々席に着き、猫も床で待機。

 二日酔いのランへは、食べられるか一応聞いてみたものの首を振られていた。

 手を合わせると竹平もこれに習う。

 今回は珍しくスエも挨拶に加わり、全員が手を合わせた瞬間。

 ワーズの身体が大きく前のめりになる。

 食事には接触せず、すぐさま持ち直すが、反動でいつも以上に身体が左右に揺れている。

「わ、ワーズさん……?」

「いただきます」

「オッサン、この状況で喰うのかよ?」

 朝、被害に遭い、その原因であるスエの紹介をされつつも、本質をまだ理解していない竹平がいぶかしむ顔を向ける。

 泉たちの反応も気にせず飯へ喰らいつくスエを余所に、ワーズがふらりと席を立った。

 支えようとする泉をやんわり断り、ソファに寝転がってはへらりと赤い口が笑った。

「おぉ……天井が回るぅー……」

「腹減ってんじゃないのか?」

 泉に続いて竹平が近づく。

 確か、泉が着替えて一階に戻った時は、包丁を持つワーズへ散々喚き散らしていたはずだが、体調不良となれば話は別らしい。

 気遣うような声音で恐る恐る問う。

「なあアンタ、さっきすっげぇ、ずぶ濡れだったろ? どうしたんだよ、あれ」

「……んー……気にせず飯食べて……」

 心配を払い、銃で食卓を指し示す。

 暗に放っておけと言われて、はいそうですか、とスエのように食事できるほど、物分りの良い方ではない。

「どこか具合悪いんですか? ワーズさんがご飯食べないなんて、変ですよ?」

 いつだって、こちらの胃がもたれるぐらい食べるのに。

 睨めっこでもしている気分に陥るほど見つめれば、観念したため息と共に苦笑が漏れる。

「具合悪いんじゃなくて、ちょっと疲れただけ。まさかこんな時間までかかっちゃうなんて思わなかったから。御免ねぇ、リクエストしたくせに」

「……何をしてたんですか?」

「凪海で捜し物をね。収穫はなかったけど。御免ね、シン殿」

「は? 何で俺に謝るんだ?」

 へらへら笑いながら謝罪するワーズに、竹平は困惑を浮べ、泉は目を剥いた。

 凪海で捜し、見つからずに竹平へ謝るのは、まさか?

「まさか……ワーズさん、権田原さんの恋人……の手がかりを見つけに?」

 時間の経過を考え、言葉を加えて告げれば、今度は竹平が目を剥いて驚く。

「ちょっと待て……じゃあ何か? お前、ずぶ濡れだったのは、今の今までその、ナギ海だかに……」

「うん、丁度二人が寝たくらい、かな?」

「「夜通し!?」」

 絶句する二人に向かい、なおも赤い口で笑う。

「ちゃんと潜って調べたんだ。ボクは不味いから魚だって襲ってこないし。でも往復でここまで掛かるとは思わなくてさ。帰ったらアレがいるんだもん。スエ博士や泉嬢、シン殿に迷惑かけちゃったねぇ」

「「!」」

「全くネ」

 謝罪に怒鳴りかけ、その前に頷いた白衣を揃って見れば、シーシー楊枝で歯の隙間を掃除している真っ最中。

「主が役に立てるのは、飯と人払いぐらいだろうに」

「なっ!」

 スエの傍若無人に耐性のない竹平が、怒り肩で白衣の胸倉を掴むのへ、我に返った泉はワーズを振り返る。

 竹平を止めるべく、起き上がろうとする肩を力一杯押しつけた。

「何を考えているんです!? 幾ら人間に甘いって言っても、限度があるでしょう? 疲れているんだったら、大人しく寝ていてください!」

「いや、でもね、泉嬢。止めないとスエ博士死んじゃいそうだよ? シン殿、見た目より力、強いみたいだし」

 竹平たちの方を向けば、確かにスエの顔は苦しそうに見える。

 だからといって、抵抗する割に泉の力でも簡単に抑え込まれる、ワーズの拘束を解く訳にはいかない。

 人には散々、疲れたら休め、怪我したら休めと強要するくせに、自分を全く顧みない姿が癪に障った。

 と、肩に重み。

 確認する前に、ガラス戸が勝手に開く音がした。

「はぁい、いるか――――」

「シン!!!」

 知った気だるげな声を排除する、綺麗な声が悲鳴のような歓喜を謳う。

 これを追った鮮やかな衣装に身を包んだ黒髪の少女は、居間へ上がるなり、締め上げられたスエを突き飛ばして、竹平に抱きついた。

 涼しげな甘い香りの残滓に惚けた泉の視界で、咳き込む小汚い学者を片隅に、少女は続け様、彼の唇へ己のソレを重ねた。

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