第四節 違えられた本命
第1話 狭間にて
沸々と湧き上がる衝動を抑えるように閉じた瞳。
久しく眠りを忘れた瞼は、ぴくりとも動かず。
しゅるり、衣擦れの音が響けば、瞼の上を淑やかな指先が通り、額へ降り立った。
なぞるように手の平が這い、数度、前髪と共に撫でつける。
次いで、滑らかな動きで輪郭を辿る指は、尖った顎へ到達するなり、首下へするりと手を伸ばし、今度は慈しむように頬を撫でる。
惑わすほど優雅な動き。
なれど、瞳は閉じられたまま。
構わぬ指は標的を耳へと変え、捉えては親指で外側をなぞる。
ふくらみを軽く抓むと、今度はうなじから肩へと進行を開始する。
途中で肌触りは衣服の生地になるも、撫でつける手の動きはするりと肩を撫で――
「……御報告に上がりました」
「聞こう」
他方から声を受け、ようやく瞳が光を受け入れた。
その目に映る姿は、畏まった声の主ではなく、艶ある娘の相貌。
羞恥に染まった頬は紅、噛み締めた唇は朱。
揺れる瞳の赤い激情は冷めた眼を返そうとも怯まず。
どうやら娘は、男が眠っているものと思っていたらしい。
でなければ、慈しむ動作などするはずがない。
男に従順なこの娘を長椅子へ座らせ、腿を枕としてからどれほどの時が経過したのだろう。同じ姿勢を強いられた苦痛さえ、甘んじて受け入れねばならぬ娘へ、同情する気概はないが、いつも徹して無表情を貫こうとする表情の変化は好ましく思えた。
戯れに頬を撫でてやれば、潤む瞳が細められ、男の腕を抱き締めるようにして、娘は両手を重ねる。
視線を交わしたまま、頬擦りしては指の腹へ口づけ。関節の溝を一つ、ちろりと舐めた娘は、男の腕を横で抱きつつ、お辞儀をするように頭を垂れた。
躊躇うように数瞬、宙を彷徨うた唇は男のソレへと重ねられる。
激しさはないが、目覚めを促すよう浅く、杭打つよう深く。
一度沈んだ頭はゆっくりと離れ、解放を喜ぶ息が娘の口から零れる。
弄る残滓の吐息は、男の口角を皮肉に歪めた。
また交わす視線の先で、少しばかり娘の眼が見開かれて揺れた。
さして変わらぬ男の瞳が、己の一部始終を客観的に見ていたと知ったのだろう。
娘の頬は紅を重ね、噛み締めた唇からは朱の珠が生まれていた。
それでも離れた娘は、無言の辱めから逃れるため、抱えたままの手へ再度すり寄ろうとする。それより早く男の手が娘の肩を掴んでは、体重を乗せて起き上がった。
「っ!」
声にならない喘ぎを上げる娘を眺め、寄りかかる形となった小柄な身体を、腕一本で長椅子の背もたれへ縫いつける。
娘の眦から涙が零れても関せず、男は娘が作った朱の珠を、濡れる舌でなぞり、絡め、口へ含む。
嚥下し、己の下唇を舐めた。
つと目を細め、ゆっくり口を開ける。
娘の口づけにより覚醒した内は、潤う糸で上下を繋ぐ。
肩を掴む手の力を強めては、娘の顔が苦痛に歪み、声なき声が程好く膨らんだ唇を上下に裂いた。
その下へ、珠を生み出した肉へ、歯を沈める。
痛みに娘の奥から音が生まれ、震えが伝わってくる。
このまま噛み千切るのも一興と思う男だったが、麻痺したような口内の唇の輪郭を舌先で弄るに留め、埋めた歯を引き抜いた。
こぽりと溢れた血は娘に与えず、丹念に啜る。
傷痕を舌で押し、止血を確認後、ようやく男は娘を解放した。
だが荒い息をつく娘は、未だ苦痛でその美貌を歪めている。
不思議に思う男は、娘を掴んだままの己が手を見て納得する。
力の加減を間違えたらしい。
華奢な娘の肩は、男の手跡をつけて拉げていた。
少しばかり気が逸っていたようだ。
かといって娘は解放せずそのままの格好で、長椅子の正面にいる少年へ目を向けた。
今も声なき苦悶を震えとし男へ伝える娘とは違う、無表情を貫いた少年の姿勢。
「四方、あたりましたが――」
「そうか」
続く否定を遮り、落胆を声へ滲ませる。
すると酷い音が娘の肩から鳴り響いた。
「――――ぁっ!?」
音を忘れた金切り声を上げ、押さえつけられた身を大きく揺らした娘が気を失う。
砕けるだけでは飽きたらず、皮膚を裂いたのか、男の手の中の硬い感触は、湿り気を帯びてきた。
感慨なく娘を見た男は、傷ついた肩を労わることなく、逆に捻じ込むように押しつけ反動で立ち上がった。
男というつっかえ棒を失った娘の身体が、長椅子へずり落ち横たわる。
投げ出された肢体へ細めた瞳を這わせた男は、喉の奥で一つ唸り、
「アレを使おう」
「……あいつを? しかし、あいつでは最悪――」
「構わん。それとも……餌をちらつかせて動ける者が他にいるか?」
言って男は、青褪めた娘の髪を乾いたままの手で梳き、後頭部近くで握り締めた。
なるべく髪が抜けぬよう、静かに胸まで上げると、娘の耳下へ唇を寄せた。
「起きろ」
拒むことを許さぬ音色に、娘の身体が大きく跳ね、ぼんやりした目が男を見る。
一瞬、癒えぬ苦痛に歪んだ顔は、掴まれた髪を患うことなく、男の胸へ動く片手を添えた。
引きずるように男が長椅子から一歩退けば、娘ももつれた足どりで床を歩く。
まだどこか焦点を虚ろに彷徨わせた娘の髪を解放し、男は再度屈んで言う。
「行け」
頷くでもなく、ふらふらと娘が歩き出す。
滴る朱がぽたり、袖を下り、指先を伝って、床に跳ねる。
無表情にこれを見送った少年は、男の目が己へ向けられたのを知るなり、抑揚に欠ける声音で言う。
「先の件、承知致しました。すぐにでも」
一礼をし、また娘が去った方角をしばし見つめてから、少年は踵を返す。
あとに残されたのは、粘る朱を手の内で遊ぶ男一人。
「……もう、形振りなぞ構っていられるか」
低く、囁く。
今一度閉じた瞼。
浮かぶは、一人の少女。
青褪めた反抗的な光が忘れられない。
あの男と共にあって、明るく笑う姿が離れない。
何故、最初に見つけたのが己ではなかったのか――今更考えたところで埒は明かない。
第一…………あの男が共にいたからこそ、あの少女は男の関心を惹いたのだ。
「必ず、手に入れてみせる」
求めてから以来、騒ぐ心は安息を得られず。
ゆえに男は少女を望む。
歩む足は別の娘へ向かえども――――。
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