第17話 手負いの王子様
ああ、なんて悪夢。
何の因果か目覚めりゃ、着ている服は女物、しかもよりにもよってセーラー服。
女装趣味はねぇ! と混乱すりゃあ、襲ってきた、アレ。
長く――――もないが、生きてきた中で、初めて見る類の恐怖だった。
年増に迫られた経験もあるが、あのババア共はテキトーに持ち上げてやれば、そこそこあしらいやすくなるから、まだ可愛げがあった。
それがさっきのはどうだ?
混乱真っ最中だってぇのに飛びついた挙句、にやついた青い目を向けて、加齢臭をふんだんに吹きつけて、ぶよぶよの口を突き出して――
もしかすると、現実?
そんな風に思えば目覚めが恐ろしい。
閉じた眼は暗がりだけを映す。
遠くでガキの声がする。「あ、動いた」と呑気な高い声。
うるせぇ。
年嵩の行った女も、迫る野郎も冗談じゃねぇが、ガキは増して嫌いだ。
有名になってテレビに出て、指差すガキの第一声が気にいらねぇ。
「音痴」だと?
てめぇの音律もまともに知らねぇクソガキが、知った口聞くんじゃねぇよ!
思い出しても腹立たしい出来事に、眉間が皺を刻めば「実は起きてるのかな?」と、楽しげな男の声が聞こえた。
…………悪夢の最初にいた声だ。
至近距離の不可解な色の目、白い顔、黒より深い闇色の髪。
シルクハットに黒コート、手には黒いマニキュアの道化染みた雰囲気。
そのくせ右手には鈍い銀の銃を持ち、真っ赤な口で笑いかけるのだ。
気色悪いことこの上ない。
身を捩れば今度は「ううむ。やはりここはおじさんの熱いキっべ!」と潰された声。
どうしよう……起きた方が身のためか?
迫る中年と同じ男の声に、気分の悪さが最高潮に達する。
と、その耳を甘く音色が掠めた。
昔、聞いては口ずさんだ唄につい、呼ぶ。
「……ママ?」
目覚めた少年の第一声はそれだった。
しかもどうやら矛先は自分。
全員がこちらを見ているのに気づいた泉は、ソファで身を起こした寝惚け眼へ、軽く頭を下げた。
「ええと、おはようございます……」
料理の手を止めた挨拶に、少年は髪と同じくらい顔を赤くして飛び起きた。
「げ! な、なんだ、お前は!?」
「おお、君、愛しい人よ! ママはキツいが、パパならここにいるぞ!」
猫や司楼から無下に扱われても懲りないキフが襲いかかれば、すぐに顔を青ざめさせた少年がソファの背に飛び乗った。
そこで諦めてあげれば良いものを、弾みをつけて更に飛びかかるキフ。
が、喜色満面の襟首を猫に咥えられては、ぞんざいに反対側の壁へ放られてしまう。
一応加減はしたのだろうが、「ぶへっ」と壁にぶつかりずり落ちる様はかなり痛そうだ。
実は司楼が去って後、復活した彼はうなされて眠るランへ同じことをしては、同じようにあしらわれていたのだが……全く懲りていなかったらしい。
自業自得とはこのことである。
もしくは学習能力の欠如、または――大物、と称するべきか。
「キフのおっさんがパパだったら……シイ、確実にグレますね」
スエのところへ非難していたはずのシイは、追い返されましたと居間に戻ってきていた。
「シイのくせに的を射たことを。……んで、泉嬢は君の母親にでも似てるのかな?」
椅子の背もたれを前に、銃口を少年へ向けながら尋ねるワーズ。
少年は銀の凶器に怯えつつ、ソファの背から降りては足を挙げる。
「う、うるせぇ! んな玩具、人に向けて何が楽しいってんだ!」
そのままワーズの銃に向かって踵を落とした。
ぱんっ
ワーズが銃を落とすことはなかったが、短い破裂音が響き、ソファ下に丸い穴が開く。
少しだけ驚いたシイが泉の元へ駆け寄る。
「ほ、本物!?」
またソファの背の上に逃げ出す少年へ、ワーズがへらへら笑いながら銃で頭を掻いた。
これを見て、より一層警戒を増した少年は、びくびくしながら問う。
「こ、ここはどこだ?」
その目は泉の方へ向けられていた。
昏倒していようとトラウマになりそうなキフ、室内でも黒コート・シルクハット着用で銃装備のワーズ、小さくともぎらりと光る牙を携えたシイ、背中を壁に預けて項垂れようとも厳つい獣面のランを認めては、泉が一番話し易いのだろう。
けれど、正直に「奇人街」と答えたところで、彼は納得するどころか、泉にすら怯えてしまうかもしれない。
「ここは……貴方が住んでいた場所とは違うところです」
「お前らは何なんだ!?」
結局怯えたままの少年の言い草に、彼にとっては自分も充分、ワーズらの同類なんだと理解し、かなり凹む。
大仰なため息を一つ吐いてから、
「私は、貴方と同じところに住んでいた人間です。……
「違う! 俺はシンだ! んな、イモみたいな名前じゃねぇ!!!」
「はあ……」
力一杯否定を叫ぶ様を認め、やっぱりそうなんだ、と泉は気のない返事をした。
シンこと本名・権田原竹平は、泉の友人がファンだという若手の俳優で、連日マスコミ各社を賑わせていた少年だ。
本人は兼業のミュージシャンが本業のつもりらしい。
本名を挙げられて途端にむくれる耳や腕に、洒落たアクセサリーをつけている。形から入るタイプのような服はワーズに引っぺがされたが、装飾品はそのままのようだ。
その服はといえば、泉の猛抗議により、セーラー服からワーズの黒い服に変わっていた。
もちろん、得体の知れない空間へ繋がるコートと、室内で被る必要があるのか分からないシルクハット、危険な銃は装備されていないが。
そんな彼の歌を聞いた覚えのない泉。
熱狂的なファンを自称しながらも、「シンは俳優業に専念すべきなのよ!」と友人が見たこともない真剣な顔で語っていたのをなんともなしに思い出す。
ようするに、贔屓目に見ても無意味なほど、音痴なのだそうな。
「全く、ふざけるなよ、チクショーが。権田原だぁ? 俺はシンだってぇのに。ミュージシャン掴まえて、田舎臭い名前出すんじゃねぇよ」
ぶちぶち悪態をつく。
同郷がいると知ってか、いくらか警戒を解きながらも口汚く喚く竹平に、復活したキフが微笑みかけた。
「良い名前じゃないか、おじさんは好きだねぇ、権田原君」
「気安く呼ぶな! こっち見るな、気持ち悪ぃんだよ!」
足を振って払う仕草に、キフは「うぅん、つれない」と近寄ろうとし、猫にまた踏まれた。
「な、なんだ、この虎……?」
揺らめく影の猫を恐れ、ソファの背によじ登りかけた竹平。
ワーズがへらりと笑う。
「猫、だね。トラじゃないよ」
「マオ?……で? てめぇは?」
「ボクはワーズ・メイク・ワーズ。芥屋の店主さ」
「シファンク……? 何だ、その変な名前は」
目一杯不機嫌を竹平が露わにすれば、シイが小声でこっそり泉に問うた。
「泉のお姉ちゃん、あのお兄ちゃんは何故あんなに偉そうなのでしょう?」
「そうね……。芸能人だから、なのかしら?……よく分からないわ」
「げーのーじん?……同じ場所から来たのに?」
再度問われて、奇人街にはテレビやラジオがないのを思い出した。
どう伝えたものか眉根を寄せ、また動き出したキフを踏みつける猫に例えを見つける。
「分かりやすく言うと、彼と私は、猫とシイちゃんの強さくらい、住んでいる場所に差があるの」
「ええ!? あのお兄ちゃん、そんなに強いんですか!?」
「いや、そうじゃなくて……」
感心するシイに失敗を悟る。
だが、他に適当な説明も思いつかず、泉は意識を料理へ集中させることにした。
今日の晩飯は手軽にカレーライス。
ルーは奇人街製という恐ろしいものだが、散々妙な物を食べさせられたのだ。今更見えない具材に怯えてなるものか。
とはいえ、肉はしっかり選び、鳥っぽい形を捌く。羽根がやたらと多いのは怖かったが、味見をすれば甘みと辛みが溶け合う、風味豊かなものが出来上がる。
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