第16話 コイブミ
「っ!?」
驚きながらも説明が欲しいと白い手を掴めば、泉の頭へ回った腕が締めつけを強くする。
「ストップ、泉嬢。喋らないで。手、避けないで」
「うおっぷっ! シイ、逃げときますね!」
落ち着いたワーズとは逆に、シイが大慌てで二階へ上がっていく。
今朝いたスエの姿はないため、二階にいるであろう彼の下へ向かったのかもしれない。
それにしてもこの反応。
爆弾ではなかったが、危険なモノが手紙の内に潜んでいたのだろうか。
急に恐ろしくなって手紙を放そうと思うのだが、手が言うことを利かない。
力を入れて開こうとしても、手紙を軽く抓んだ格好を取り続ける。
「ほお? これは……
「柚姻? まさか親分……にしても、キフのおっさん。アンタ、起きてるなら先に言えよ」
「ふっふっふ……何を言うか、シロちゃん。愛しい君に踏まれておじさんは全身せ・い・か――――ぎゃ」
「アンタ、も少し黙っとけ」
余裕のあった頭を踏みつぶした司楼は、身を乗りだして泉から手紙を取った。
「あ」
何かをごっそり奪われた気分で手紙を追えば、ワーズを振りきり引っ張られる形となった身体が、黒い靄に受け止められた。
「グルゥ」
「……猫?」
不思議に思って惚けると、手紙をなおも追う手とは逆の手が掴まれて、黒コートへ引き寄せられた。
「ワーズさっとおっ!?」
しかしてバランス悪く泉を引き寄せた男は、そのまま床に倒れてしまい、手を掴まれた泉もへらり顔の後を追う。
ときめきとはかけ離れたドキドキ脈打つ胸に合わせ、巻き込まれた恐怖が息を荒くする。
そんな泉を抱きとめた胸は、肺に含んでいた空気を「げぇ」と出しては彼女の顔を己へ埋めさせた。
どれだけ泉の内側が黒い思いを抱いても、安堵する香りが鼻腔を擽り、泉の手は手紙を忘れてコートを求め――――
「よっと……あ、泉嬢。まだ駄目だよ?」
ワーズごと起こされ、その腕に納ったままの状況を思い出した泉。慌てて離れようとするが、回された拘束は許してくれない。
奇人街に来てからというもの、よく人に抱きついたり抱きつかれたりするが、慣れた憶えはなかった。加え、気絶している少年や壁にもたれて目を閉じ唸るラン、靴跡を顔面につけて悦び白目をむいているキフや獣である猫は別として、ワーズの目の前、泉の後ろには司楼がいるのだ。
(人前で抱き締められるなんて……)
意識したならその分だけ増す羞恥。
これは何が何でも離れなくては、そう考えてもがく寸前。
(…………待って。今日って、朝からずっと、こんな感じじゃなかった?)
しかも相手はワーズに限らず、あれほど嫌っていた人狼が二人ほど加わって――――。
眩暈がした。
ついでに往生際が悪いと大人しくもする。
今更、だ。
嫌がったところで今更ワーズの一人や二人に抱き締められる姿を見られたって、構う方がどうかしている。半ば八つ当たり気味でそんなことを思うのは、見ているであろう司楼から、何の反応も得られないせいだろう。
助長して、こうなったらとことん付き合ってやる! とまで意気込んだ矢先。
拘束が解かれ、両肩へ添えられた手によって、泉の身体がワーズから引き離された。
決心した後の真逆を行く動作が、瞬間的に怒りを呼ぶ。
「ワ」
「さっすが店主。見事な防御っぷりっすね?」
「へ?」
振り返れば、司楼の黒い瞳がくるりと輝く。
「人狼に褒められても嬉しくない。にしても、柚姻を手紙に潜ませるなんて邪道……虎狼の狼首も堕ちたものだね?」
「まあ、その点は否定しませんが。……親分もなぁ。従業員の手紙に柚姻って」
「ゆいん?」
司楼へ尋ねると、白い人狼は酷く言いにくそうに鼻面を掻く。
「あー……その、本来こんなもの使うお人じゃないってことだけ、念頭に置いといてくださいね。……いわゆる、媚薬の一種っす」
「び……」
「うわぁ。ずいぶん良心的な説明だねぇ? 柚姻は
長々としたワーズの説明を受け、観念した口調の司楼が続ける。
「そうなんすよね。オレもまさか、手紙に香なんて姑息な真似するとは思いませんでしたよ。幾ら従業員が猫操れるったって」
「にー」
「……操っているわけじゃないんですけど…………でも、防御って何ですか?」
いつの間にか小さなサイズとなった猫が、司楼へ向き直った泉の肩へ乗る。
撫でてやれば喉を鳴らし、これに感嘆の声を上げた司楼は言う。
「柚姻は香りが問題なんで、宙に分散するまでは、別の匂いで誤魔化す必要があるんです。ついでに死人が上に逃げたのは、香を用いた親分が女を好むため。あのチビ助、男みたいな格好してたけど、もう条件獲得した女だったんすね……」
「条件?」
「年齢を重ねられるって意味だよ。シイは見た目アレだけど、精神は大人……いや、それ以上か……。とりあえず、単純に時間で換算すると、泉嬢よりちょっと下くらいを生きている、と思うよ?」
「ええと、私より生きてきた時間は短いけど、大人、なんですか、シイちゃん」
昼間、シイとランから教えられた齢の話を思い出しつつ、混乱しながら問えば、ワーズはきょとんとした顔をする。
「そうだけど……泉嬢も大人だよ?」
「……いや、法律では親の同意があれば、結婚できる年齢ですけど」
「ほーりつ? ほーりつって何?」
「……いえ、何でもないです」
一瞬、説明するための文章を考えた泉、奇人街という場所柄と法律を照らし合わせて、早々に諦めた。
それでも一度興味を持ってしまった混沌の瞳は、鈍い好奇心の光を泉へ向けてくる。
これは別の話題に逸らすべきと判断し、司楼が持ったままの手紙を見つけた。
「えっと、その、媚薬ってことはつまり三大欲求の一つに関わるもので、なのに、ワーズさんの、その、匂いで誤魔化せるってことは、私…………ええっ!? そ、そうなんですか?」
自分はワーズを異性として意識している?
コレを?
信じたくない思いでワーズの白い面をまじまじと見つめる。
造りは中性的な美貌だが、配色は不安にさせる彩りだし、声は不気味だし、行動は変だし……
「泉嬢?」
室内でも常時黒コートでシルクハット、おまけに銃まで持っていて、発射口で自分の頭を突っつく変人。
趣味が悪い――――思うともなく思い、けれど、諦めのような感覚がないでもない。
どれだけ変だろうが、好きになったものは仕様がない、と。
「何を悩んでるのか知らないけど、もしかして、奇人街の匂いの感じ方、知らなかった?」
「……知ってますよ。三大欲求や生命の危機なんかが関わってくるのでしょう?」
だからこそ、頭を抱えているというのに。
けれど、司楼から、不思議そうな声が発せられる。
「三大欲求と生命の危機? 確かに度合いはその順番っすけど……基本、そうじゃない匂いも嗅げますよ? ただ、死んだ奴になると生きてる奴の匂いに負けますがね。じゃなきゃいくら明時の鼻が利くったって、嗅ぎ分け難しいでしょう。それに死んだのは調理されりゃ匂いますし。一体誰からそんな穴だらけの話聞いたんすか?」
「生き死にで匂いが決まる……? ええと、シウォンさんから」
「なるほどねぇ。シウォンの奴、自分に都合の良い説明しかしないから。……ってことは、泉嬢、もしかしてボクを異性として意識しているって、勘違いしちゃったのかな?」
ワーズはそう言って、へらり、いつもと変わらない赤い笑みを浮かべる。
虚を衝かれた泉は、バツが悪そうに目を逸らし、小さな声で「そうです」と肯定した。
勘違い……そうだとして、どうして普段通りに言えるんだろう。
妙な不快が過ぎれば、司楼がため息混じりで頭を下げた。
「申し訳ないっす。ウチの親分のせいで、あらぬ誤解を従業員にもたらしてしまって」
「いえ……でも、それじゃあ手紙、どうしましょうか? 危険な香りつきじゃ触れませんし、返事をしなくちゃシロウさんは帰れないんですよね?」
沈む思いを振り切るように問うと、司楼は面倒臭そうな顔で頷いた。
「ええ。親分、我が侭っすからね。長く生きてる分、余裕あるくせに頑固で。……もし従業員さんさえよければ、手紙、オレが読みましょうか?」
ぺらっと中を開く司楼。
泉の方へ向けられたそれは、距離があるため匂いこそしないものの、眉を寄せるには充分だった。
「お、お願いします。どっちにしろ私、奇人街の文字の読解力そこまでないですし、あってもそんな達筆読めません」
どうもシウォンという人狼は、多趣味な面があるらしい。
それもドン引きするほどのセンスの良さ。
手足を拘束する結び目ですら、解くのがもったいないと思わせる出来栄えは、荒々しい反面優美な筆遣いにも表われていた。
「了解。んじゃお言葉に甘えて………………………………………………………………親分、ロリコンでしたっけ?」
今まで表情をあまり変えなかった司楼の耳が、怯えを示して伏せられた。
「は?」
「それにこれ……オレの口からはとてもじゃないが…………」
「んー? 泉嬢宛の手紙読んだくせに、伝えられないって役に立たないねぇ。どれ、ボクが読んでやる」
言うなり、司楼から手紙を引ったくったワーズ。
――そして。
丁重な断りを返事とした泉の顔は、司楼を見送った後もまだ赤く――……
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