第15話 シロ
溢れる涙と嗚咽と言葉を、差し出されたタオルへ埋めた時。
「……あのぉ、お取り込み中、申し訳ないんすけど」
おずおずといった具合の声が店側からやってくる。
いち早く反応したのは、猫の動きに合わせて、蛙の鳴き声を上げていたキフ。
新たな獲物を見つけたらしい彼の行動を、さすがの猫も追う気力はなかったらしい。
「おおっ! シロちゃんっ! カモ――――べ」
居間からホップステップジャンプと飛んだ似非紳士は、相手の軽やかな身のこなしにより、抱きつき先を店の床へ変更させられた。
続けざま、避けるため引いた足をキフの頭へ乗っけたのは、純白の毛並みを持つ人狼。
声の調子や獣面に残るあどけなさから推測するに、まだ少年と思われる人狼は、くりくりした可愛らしい黒目に反し、鼻面へ深い皺を刻む。
「誰がシロちゃんだ。オレは司楼、司楼・チオ。変な略し方してもらっちゃ甚だ不愉快。……んで、お取り込み、もう終わりましたかね?」
「うあ、はぃ、すみまひぇんっくしっ」
愉快なやり取りに涙を忘れ、次いで起こるくしゃみへは、横からティッシュが差し出される。
見れば、困惑気味のへらり顔。
「……すみません。もう大丈夫ですから」
「そ?」
ほっとしたような言い草から、またも涙目になるのを恐れて鼻をかむ。極力音は抑えたつもりだが、泉待ちらしい沈黙があるせいで何ともいたたまれない。ゴミを捨てに立っても、全員の視線が行動を見守っていて恥ずかしい。
つい、ワーズの後ろへ隠れる形で座ったなら、スーツ姿の人狼は数度瞬きをした。
不思議なものを見るような黒い瞳に、居心地の悪さを増すところではあるが、ワーズ越しに改めて対峙した純白の人狼は、奇妙な微笑ましさを感じさせた。
何せ、人間姿であれば遜色ないはずの黒スーツが、長い毛のせいで歪となり、隙間からは白い毛を飛び出させているのだ。思い浮かぶのは、立派な毛並みがあるのにファッション性を追求された挙句、飼い主の嗜好でぴちぴちのTシャツを着せられた犬の姿。
奇人街の住人の衣服は各々の好みに寄るため、種族で揃えるということはないが、毛足の長い者たちは大抵が布地に余裕のある服を選ぶ。当然それは、目の前の人狼のような有り様になると見越して、この状態を回避するため。
だというのに、何故この格好をわざわざ選んでいるのか。
初めて見る人狼の考えは全くもって泉には分からないが、ランやシウォン、他の人狼たちにも共通する特徴はあるはずなのに、着ている服だけでこんなにも印象が変わるものなのかと、生真面目そうな人狼を見つめる。
「えーと……店主に死人に……あり? なんでホングスの旦那が……まあ、いいや。そんで、キフのおっさん……猫と…………………………ん?」
そんな泉を余所に、黒いつやつやした爪でここにいる者を順番に指差した司楼は、泉とソファの上の少年を交互に見ては首を傾げた。
「っかしいな? 報告では、従業員の女は一人だけって話だったのに……なんだって二人もいるんだ? 連絡ミス? またか?」
また、というからには、前にもあったのだろうか。
しきりに首を傾げる様子を見かねて、泣き顔のまま笑いそうな頬を誡め教える。
「あの、そっちの人は男の子なんですけど」
「……ああ、そういう趣味ね」
あっさりと、とんでもない誤解が生じた。
当人の知らないところでは、幾らなんでも酷かろうと訂正を入れておく。
「いえ、この格好はワーズさんが」
「……ああ、そういう趣味か」
(あれ? 今度はワーズさんが勘違いされちゃった?)
思いつつ、今度は訂正できない泉。
人間だったら同じ服着ても問題ない、という発言をしていたため、一概に否定できない。
何より、本当に少年のセーラー服姿は、よく似合っていたのだから。
コツ……と音がしたのを受け、泉が顔を上げれば、しゃがんだままのワーズが銃口を頭へ向ける姿が映る。
「んで? また虎狼公社の使いかい? 猫がここにいるってことは、お前、新しい玩具?」
「いいや、まさか。それに前のは、そこの従業員が止めたみたいっすからね。どっちにしたって、オレは猫の玩具にゃなりませんよ」
「ふ~ん? 泉嬢がねぇ?」
不可解そうな口振りで泉を見るワーズ。
「玩具」が示すモノを昼の球体と察しては、鮮明に思い出された姿に泉が青褪める。
「それはさておき。確かに使いは使い。で、親分から、手紙を預かっています」
そんな二人の様子は我関せず、封蝋の為された手紙を黒い爪が器用に抓んで差し出した。
気づいたワーズが手を伸ばせば、ひょいと逃げる。
「ああ、すみませんけど、これ、従業員に直接渡せって言われていましてね」
「……私?」
まだ赤い鼻をぐずりつつ指したなら、黒い鼻先が軽く下を向いた。
少しばかり躊躇した後で、恐る恐る爪の前まで移動。
手紙を取っては、すぐさまワーズの後ろへ戻る。
礼を失した行動だが、白い人狼は気にもせず、言いにくそうに頬を掻いた。
「んで、出来れば即、返事が欲しいんすよ。店主はともかく、猫がいる芥屋にそうそう近寄りたくないもんで。しかも返事貰うまで帰ってくるなって話でして」
「返事……って、何のですか?」
「それは……実はオレも知らないんです。夕方、一の楼に来て、すぐ渡されたもんで」
夕方といえば、確実に昼の一件があった後。
(……開けて爆発…………は、ないわよね。この薄さだし。でも、奇人街ならではってことも考えられるんじゃ)
見るからにプライドが高そうなシウォンだ。
迫って頬を張られたばかりか、攫っては逃げられ、喧嘩を売っては猫に倒され――
泉と関わったがための事象は、どれほど愉快に考えても、そのプライドを傷つけ、逆恨みの要因を生じさせているはず。
正直、開けたくなかった。
念入りに手紙の薄さを確かめては、透かしたり振ってみたり曲げてみたり――。
「……あの、普通に開けて大丈夫っすよ? もし親分がアンタへ危害を加えるつもりなら、手紙なんて証拠残さず、暗殺するはずっすから」
「…………あ、はい。すみません……」
あっけらかんと言われた単語は穏やかではないが、疑い続けるのはなんとなく、司楼に失礼な気がして謝る泉。
「何故に泉のお姉ちゃんが謝るのですか? 疑われても仕方のないことした、シウォンのおっさんの人徳のなさが問題だとシイは思うのですが」
「へえ。シイのくせに良いトコついてるじゃないか」
「うおっ、ワーズの人に褒められるなんて……明日は槍が降るのでしょうか?」
「槍か……いいねぇ。人間以外が串刺し血塗れの画なら、嬉しいねぇ」
喩えを血生臭い方向へ転換するフォローは聞かなかったことにして、封蝋へ手をかける。
その際、封蝋の押印から虎狼という文字を読み取っては手を止め、
「あの、シロウ……さん?」
「はい?」
「虎狼公社って、何ですか?」
「ああ、従業員さんは知らないんですっけ。そうっすね。言うなれば、会社みたいなもんです。上は狼首――親分と人狼で固めてますけど、能力如何では他種族も入り交じりで運営してます」
ロウシュ、は初めて聞く言葉だったが、司楼がわざわざ言い直したところから、人狼の群れのトップを差していると推測する泉。
「じゃあ、シウォンさんって、社長みたいなものなんですか?」
「そうですね。そう理解して貰えたら早いと思います」
今まで会った中では、一番まともで礼儀正しい人狼が、返事を待たせているにも関わらず、変わらぬトーンで説明する。
傍若無人な人狼しか知らなかった泉は、会社というある程度の秩序を必要とする組織と繋がらず眉を寄せたが、司楼を見ているとすんなり納得できる気がした。
論外はもちろんいるものの、手段はどうあれ、シウォンも一応はそれなりの手順を踏んでいたのだ。
認識を、爪の先くらいは、改めるべきかも知れない。
完全に信用できるほど、気易い種族ではないから、ほんのちょっぴりでも。
そんなことを思いながら封蝋を剥がして開封する。
中の手紙を取り出せば、いきなり泉の鼻と口が塞がれた。
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