第7話 得手不得手

 ――シイの爆弾発言にひとしきり咽た後。

 その理由を問えば、子どもは気遣う視線を向けてきた。

「だって泉のお姉ちゃん、起きてからずっと元気なかったではありませんか。もしかして、ワーズの人が看病していたのを、気にしているのかなと思いまして」

「だからって」

「うう……でもそれしか思いつかなかったのですよ。あんなでもワーズの人は男ですし、着替えとか、そういうモノが切っかけでオオカミになる可能性もありますし」

「オオカミ……」

 ちらり、何気なく、本当に何気なくランを見やれば、うろたえて首と手を振った。

「な、なんで俺を見るのさ。それに、ワーズが君を襲うことは絶対ないから! アイツ、昔言ってたよ! 自分は相手が望まない限りコトには及べないって!」

「…………それって、前に誘われた経験があるってことですか?」

 しかもワーズだ。

 人間好きの彼の相手となると、やっぱり人間しかいないだろう。

 そういう人も過去にいたのだと思えば、新鮮味半分、驚き半分。

「あ、ああ。……あったよ。その人、最後はワーズ見限ってシウォンのとこ走ってそのままだったけど。なんでも、すごいけど心が籠もってないって」

「…………」

 半々だった思いを消して、泉は食べ終わる直前の昼食の上へ、突っ伏したい衝動に駆られた。

 すごい、としか言いようがない。

 あの、美人だろうが性差の乏しい不気味な配色の店主を誘い、そんな評価を下した、きっと今は亡き人。

 ――――と。

 始終、へらへら笑いっぱなしで性別をおっことした行動をしつつ、男としてやるコトやってた、そんな陰の全くない店主。


 甲乙、つけ難し。


 とてもじゃないが、他の言葉は見当たらず、別の話題を探すべくこげ茶の目を動かせば、死人と包装紙がある。

 話題はあまり変わらないかもしれないが、この際だから聞いておこう。

「……話は変わるんですけど、その、シイちゃん?」

「ほへ? どうしました?」

「私たちが食べている物の匂いって、分かる?」

「…………はい?」

 唐突過ぎたのか、はたまた別の理由からか、首を傾げたシイは使用済みの包装紙を手に取り、くんくんと目を閉じ匂いを嗅ぐ。

「食欲は特に湧きませんが、たぶん、泉のお姉ちゃんと同じ匂いを嗅いでいると思います」

「……そうなんだ。じゃあさ、私の匂いって分かる?」

「……泉のお姉ちゃん、どうしたんですか、突然。匂いフェチですか?」

「…………」

 どうしてこの子はそんな単語ばかり知っているのかしら、と悩める泉を余所に、不思議な顔をしながら泉の袖を引っ張って匂いを嗅ぐ。

「うーん。泉のお姉ちゃんからは、そのハンバーガーの匂いしかしませんね」

「そっか……ええと、ランさん?」

「ふがっ?」

 ランが間抜けな声を上げたのは、泉とシイが話し込んだのを幸いと、残りのハンバーガーをがっついていたためである。

 口の周りにべっとりソースをつけた、ハムスター並みに膨らんだ頬の持ち主は、袖でソースを拭き取りながら、ちょっと待ってと手を翳し、中身の咀嚼に集中する。

 ――――が。

「ぅっ!!」

「ランさん!? これどうぞ!」

 よく噛んでいたにも関わらず、喉を詰まらせたランに驚いて、泉は咄嗟に自分のジュースを渡した。

 しかし、受け取ったランの様子がおかしい。

 余裕がないはずなのに、必死になって固定してある上蓋を取ろうとしているのだ。

「何をやっているんですか!?」

 業を煮やした泉が取り上げ、ストローを口に捻じ込んでやれば、観念したようにランはジュースを飲む。

 苦しそうな青から血色が元通りになったのを見届け、ほっとしたのも束の間。

「……泉のお姉ちゃん、大胆ですね。テーブル挟んだ向かい合わせで、飲ませて上げるなんて。しかも結局関節キスですか」

「わわ…………げ」

 シイに言われて、中途半端に立ち上がったままの泉は硬直し、次いで灰色の頭越しに増した敵意を感じては小さく呻く。

 そこへ、じゅるじゅるじゅる~と最後までジュースを飲む音が響き、ランの口からストローが外されれば、すとんっと席に戻る泉。

 ジュースを飲み干された事実より、ストローを支えていた指から、柔らかな温かさが消えた現象を追って、テーブルに空のカップを置いては自分の唇まで近づけ、

「ご、ごめんなさい! すみません! 申し訳ありませんでした!」

 掠めた吐息の熱さで、たった今、やってしまった出来事に気づき、テーブルへ両手をついて頭を下げた。

 相手は嫌う人狼の女から幾度となく、欲望を押しつけられてきたのだ。

 それと同じ性別の自分が、幾ら喉のつまりを解消するためとはいえ、直前まで口にしていたモノを不用意にランへ突っ込んだ挙句、唇に触れるのは酷ではなかろうか。

 咄嗟に浮かんだのは、全て未遂だったとはいえ、刻まれた嫌悪の感覚。

 男女で感じ方は違うのかもしれないが、本当に申し訳ないことをしたと顔を上げ、

「…………ラン、さん?」

 向かいに座っていた男は、極限まで顔を真っ赤に染め上げて硬直していた。

 試しにひらひら手を振ってみた。

 するとぎこちなくではあるが振り返し、はっと気づいては頭を一回、テーブルへ打ちつける。

 鈍く、良い音がした。

 あらかた食べ終わっていた包装紙の残骸がぱらぱら地に落ちる。

 食べ物ではないからだろう、それらを放ったシイは泉の隣をキープしつつ、突っ伏したランの顔を覗きこむようにテーブルへほっぺをつける。

「ランのお兄ちゃん?」

「…………」

「もしかして、恥ずかしいのですか?」

「…………」

「照れてるのですか?」

「…………」

「泉のお姉ちゃんに惚れてしまいましたか?」

「いや、それはないから!」

 がばっと勢い良く顔を上げるラン。

 思いっきり目が合った泉は、少しだけカチンときて、すぐさま目を逸らした。

「ええ、ええ、そうですとも。シイちゃん、ランさんが私に惚れるわけないじゃない? 失礼でしょ? だって私――――」

 ここまではシイに向かって。

 子どもの顔が青褪めて見えても、それは錯覚。

 ぐるり、滑らかな動きでランへと、盛大に晴れやかに泉は笑い、

「魅力、ないですもんね!?」

 透き通った綺麗な声で、いつかの腹が立った台詞をなぞってやる。

 どうだ何も言えまい、と泣ける勝利の笑みを固めたなら、ランが赤い顔のまま首を振り、

「いや、そんなこと」

 と言った矢先。


 テーブルが吹き飛んだ。

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