第6話 食い気に色気

 メニューを見たところで、奇人街の文字を読み解くのは難しい泉。

 ワーズから「おこづかいだよ」と渡された金をランに預けたなら、そこそこ大きいサイズのハンバーガーと量のおかしいポテト、容量のかなりあるジュースがプレートに乗って目の前に置かれた。

 陽には隠れた吹きさらしの店内。一番路に近いテーブルがファストフードに彩られ、外したマスクをポケットに入れた泉が、これをランの分と理解して後。

 どさどさどさっと散らばる、淡くともカラフルな中身入りの包装紙。

「おおっと!」

 泉の右側に陣取ったシイが、テーブルから逃げ出そうとした数個を、地面に落ちる前に拾っては投げる。曲芸師の正確さで全てをテーブルへ戻すと、やれやれといった調子で路に近い席へ戻った。

「ランのお兄ちゃん。食べ物を粗雑に扱ってはいけないのです」

「悪い悪い。腹減ってたもんだから、つい」

「つい……って、あの、こっちは――」

 泉が示したのは彼女の前にある、散策の目的を考えるとただでさえ不向きな、増量傾向の食材。

 まさかまさかと、催促する腹を無視して問えば、明るくも冴えない笑顔が言った。

「もちろん、君の分だよ」

「か、カロリー高すぎません!?」

「かろりぃ?……あー、御免、何それ?」

「ぇ……えーと…………その、これ食べると、体重が」

 熱量がどうのこうの言ったところで通用しない雰囲気を、向かいの席についたランに感じて、泉としてはなるべく口にしたくない単語を発した。

 すると理解したのか、ランが大きく頷く。

「ああ、大丈夫さ。というより、それくらい食べないと死ぬから」

「は?……え、ええと、でも私、奇人街来た時、何も食べないで日中走り回ったりしていましたけど」

「それって来たばかりの時だろ? 身体の方が奇人街に慣れてなかったからまだ平気だったんだ。しかもワーズのとこに無事回収されたってことは、何か喰わせて貰っただろう?」

「う……はい」

 確かに食べた。

 もしかすると、このハンバーガーより量のあるスープを。

 植木鉢の中では生きていた、人の腕のすり身が入った――

「い、いただきます」

 広がる思い出の美味しさに吐き気を覚え、慌ててハンバーガーへ手を伸ばす。

 そんな彼女を不思議そうに見ていたランも、「いただきます」と手を合わせてから、包装紙を一つ剥がしていく。

 血しか食せないシイの楽しそうな視線を感じつつ、はむ、と噛めば、さくっとした食感が内にある。

 噛み切った具材の断面には、歯ざわりの良い新鮮な野菜の上に、狐色の衣に包まれた白身魚のフライが見えた。

 作りは簡素なフィッシュバーガーだが、油の乗った魚の甘みは舌に溶けそうなほど馴染み、これを助長するタルタルソースは酸味を生かして油のくどさを消し、野菜がさっぱりとした余韻を残す、というこの上ない出来だ。

 もちろん、具材を留めるバンズも控えめながら舌と歯を楽しませる。

「それにしても、ナイスなチョイスですね、ランのお兄ちゃん。泉のお姉ちゃん、朝ご飯サンドイッチだったんですよ?」

「えっ!? 俺、何も考えないで決めちゃった……ご、御免」

 グッジョブと突きつけられた親指にしょぼくれたランだが、何も考えないで決めた食事は続けている。

 五口で泉と同量のハンバーガーを食べる様を見ては、よほど腹が減っていたのだと察せて、泉の口元には苦笑しか浮かばない。

「いえ、美味しいです。……でもこれ、凪海の魚……ですよね?」

 ぱくりと船を丸ごと呑み込んだ巨大魚の姿を思い、これもまた誰かの血肉を糧とした生き物の成れの果てと考えては、ため息が漏れた。

 泉の元いた場所でも知識としてある事象だが、しみじみ感じ入るのは、自分もまたそのサイクルにいるのだと、身を持って知ったかもしれない。

 よく、生きていられるものだ――自分でそう思ったなら、眉を寄せるランの姿がある。

「あー、もしかして、魚苦手? なんだったら俺のと交換する? 色々あるよ。たとえば」

 言って、わたわたと良さそうな包装紙の中身を探すラン。

 勢い余って零れ落ちたモノは、食事に付き合えないシイがそら来たとばかりに拾い、テーブルへ投げていく。

 見事な連係プレイを眺めつつ、返事を忘れて惚ける泉は、温かなモノが胸に宿るのを感じた。


 ラオに礼を――――けれどその前に、彼らへ礼を言うべきだ。


 昨日は心身ともに疲弊しきってそれどころではなかったが、ランと史歩、それにワーズも、泉を探してくれたのだから。

 心配だったのか、別の理由があったのか――それぞれの思惑はどうであれ。

 特に知り合って間もないランへは、謝罪もしなくてはなるまい。

 姿形の恐ろしさだけで怯えてしまった、謝罪を。

 その謝罪は、重ねて口に出せばなおさら虚しくなるものかもしれないけれど。

「ランさん、あの――」

「あ、これなんかどう?」

 言いかけた声を聞かず、ランが見せたハンバーガーの中身は、

「ぶ、豚の、鼻?」

 食べられるという知識はあっても、食べたいとは特に思わない代物。

「へえ? 君のいた場所にもいるんだ。じゃあ、これと交換――」

「いえ、しません。結構です。魚、好きです、美味しいです。さっきはちょっと考え事していただけです」

「そう?」

 首をぶんぶん振ったなら、燻製と思しきブタ鼻をバンズの中に戻し、そのまま美味しそうに齧りつく。

 その際ちらりと覗いた犬歯は、死人の牙より劣るが、人のそれより鋭い。

「ええと、ランさん、御免なさい。その、ありがとうございます」

 あっという間にバーガーを屠る人狼を実感して、怯みつつも言ったなら、指についたソースを、やはり人より長い舌で舐めていたランが笑う。

「いやいや。でもこっちも美味しいんだ、今度食べてみてよ」

「はあ……いえ、ではなくて」

 謝罪も礼も全く伝わらないタイミングの悪さに、説明しようとしたなら突き刺さる視線がある。

 恐る恐る見やれば、また別の包装紙へと手を伸ばすランの向こうから、泉を睨みつける女たちの顔、顔、顔。

 言外に、気安く話しかけるんじゃない、と伝わる不穏から喉が鳴れば、アシスタントを終えて暇となったシイがランへ笑いかけた。

「残念ですねぇ、ランのお兄ちゃん」

「何が?」

「おや、気づいてないのですか? 天然さんは怖いですねぇ。泉のお姉ちゃんと交換したら、関節キスも目じゃなかったんですよ?」

「「あ……」」

「泉のお姉ちゃんも、気づかなかったのですか?」

「若いのにダメですねぇ」と、それ以上に幼い子どもは大人びた仕草で首を振る。

「シイ、頼むから、そういうことは先に言ってくれないと。この子が困るだろ?」

「うう? シイに尻拭いさせる気ですか、ランのお兄ちゃん。二十九にもなって、女の扱い一つできないなんて色男が泣きますよ?」

「誰が色男だ、誰が」

「だってほら、今だって熱いラブコール受けまくりじゃありませんか」

 決して指を差す真似はしないが、シイが示す背後を知り、振り向くことなくランが項垂れた。

 こちらの会話に耳を済ませていただろう女たちは、ランが振り向かないと知るなり、期待に満ちた顔を落胆させ、見てしまった泉に気づいては、先程より憎しみの増した眼光を向けてくる。

 キツい視線から逃げるべく、ランの身体の陰に隠れたなら、彼は気を取り直すように半分まで減った包装紙をまた掴む。

「冗談じゃないよ。何が哀しくて、同族嫌いな俺が、人狼の女限定でモテて嬉しがらなくちゃいけないのさ。嫌なんだよ、俺は。凶暴だのなんだの言われていい気になってるくせに、いざ自分より強い奴が来たら腹見せて尻尾振って服従して……逃げるくらいなら最初から戦うな、糞親父が」

 最後には怨恨を色濃くして金の目を剣呑に細めるラン。

 まともに見た泉の頬が知らず引きつれば、我に返ったランが手を振った。

「あ、御免。ま、まあとにかくさ、俺は人狼が嫌いだから、彼女らから好かれても嬉しくないって話で」

「だから君、俺を好きにならないかい? と」

「シイ……あのねぇ」

「でもお得じゃありません? ランのお兄ちゃん、今みたいな状況を一人で行っていたら、後ろの方全員にもれなく、美味しく頂かれちゃいますし」

「っ!」

 奇妙なやり取りを横目にポテトを食べていた泉は、シイの言葉を受けて、危うく吐き出しそうになった。

 ランの方はといえば、気にした様子もなく、愛くるしい顔立ちに似つかわしくない生々しい話を、なるほどと受け止めた。

「そういやそうだな。いつもだったら碌に食事も取れない状態で逃げ続けてたけど」

「きっと泉のお姉ちゃんのおかげですね。女連れにゃ手を出せない、という暗黙の了解があるのでしょう。下手に手を出して、嫌われちゃ元も子もありません」

「いや、元から嫌ってはいるんだけど……でもそうか。俺、同族嫌いで群れに属してないし、いつも一人で出歩くから分からないけど。シウォンとか人気のある人って、女を侍らせて歩いているせいか、媚びた視線はあっても、誘われている場面見たことないな……」

「…………」

 理解できない世界は余所に置いて、オレンジジュースと思しき味わいのジュースを飲む泉。

 甘酸っぱくて美味しいな――と光のような頭部に霞む路へ視線を投じていたなら、余所の話が望んでもいないのに戻ってきた。

「大丈夫ですよ、泉のお姉ちゃん! 泉のお姉ちゃんの貞操は、シイが守りましたから!」

「っぐぅ!?」

 どういう流れでそんな話に行き着いたのか、さっぱり分からない泉だったが、取り合えず口に含んだ分を飲み干してから、思う存分咽る。

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