第2話 退屈な雨の日に

 そんな昨日に耽り、窓の外を眺める泉。

 好き勝手言われて腹は立ったものの、だからこそ絶対痩せてやると、密かに闘志を燃やして、迎えた今日。昼の奇人街を歩く予定は、この雨のせいで呆気なく中止となっていた。

 それを朝一で泉に告げたのも、発案者であるワーズ。

 陽と違って害はない雨ゆえに「色々消費」する効果が望めない、というのが理由らしい。

 まあ、雨の日に目的地もなく歩き回るのは、泉も好むところではない。

 とはいえ、連絡手段のない奇人街、シイやランへどう知らせれば良いのか尋ねれば、ワーズはへらり笑い、珍しい雨の日に、わざわざ出歩く物好きはいないと断言した。その後で「もし来たとしても追っ払うだけだよ」と心底楽しそうに嗤う当たり、人間以外への嫌いっぷりがよく分かる。

「…………シイちゃん、今頃何しているのかなぁ」

 止みそうにない雨に、家がないという子どもを思い浮かべる。シイ自身はそのことを全く苦としていない様子だったが、せめて雨をしのぐ手伝いくらいはしたかった。もしも今日、シイが訪れたなら、ワーズに頼み込んでみよう――とまで考え、それはきっと簡単に叶うのだと思い至る泉。

 なにせ彼の店主は、人間以外を嫌う反面、人間には甘いのだ。泉がシイの雨宿りを提案すれば、かなり渋りつつも了承してくれるだろう。

(ワーズさんは人間を優先するから。だから、体重のことも、私のため……。雨で中止なのも私の――人間のため)

 昨日のやり取りで荒んでいた心が、雨音に幾分和らぐ。

 振り返れば、あれ以来、つっけんどんな態度をワーズに取ってきた泉。先程の昼食にしても、食後の茶にしても、短い会話すら碌に応じなかった。――その一部内容に「雨天中止で残念だねぇ」と体重ネタが含まれていたせいもあるが。

 苛立ちは未だ燻るものの、やり過ぎだったと反省する。

 無愛想を謝りたいと、きっかけを探って雨に煙る街へ視線を投じた。

 だが、途端に泉の身体はピシッと音を立てて固まってしまう。

 珍しい奇人街の雨。

 なればこそ、わざわざ出歩く輩はあまりいないはず、なのに。

 場所にしてクァンの店前。茶店造りの軒下には、昔時代劇で観たものに似た、赤い布が敷かれた椅子――の上に、折り重なる二つの影。妖しく蠢くソレは、降りしきる雨があるから隠さなくて良いのだと言わんばかりに、着衣と思しき布を椅子の周りに散らす。

 目の前で起こっているコトが信じられず、見たくもないのに凝視したまま動けない泉。

 これを動かしたのは、重なる影の下で、こちらに気づき、艶めく唇を動かし手招く姿。

 読唇術なぞ使えないのに、耳元で囁かれたが如く、色のある声が視界に響いた。

 ――あなたも、混じる?

 次の瞬間にはガバッと上半身を仰け反らせ、勢いのままに走り出す。

 こけつまろびつ部屋を出、一階に降りれば、つい先程まで怒りの矛先であった相手が、不思議そうな混沌を向けてきた。

「泉嬢? 耳まで真っ赤だけど、どうしたの?」

「い…………え、な、なんでもありません。ちょっと……自分の明日を見失ってしまって」

「ふぅん?」

 さして追求してこないワーズにほっとしつつも、泉は気まずい思いから視線を逸らした。謝りたいとは思っているものの、当の本人は昨日からの泉の接し方をどうとも思っていないようで、それが増して居心地を悪くさせた。

 かといって、窓の外がアレでは部屋に戻る気にもなれない。

 ソファには少年が横たわったままだし、食卓の椅子も落ち着くには不適切。

 なにせ一度座ってしまえば、食卓の名に恥じぬ量の菓子や飲み物が、ワーズの手によって並べられてしまうのだ。

 彼曰く、食卓を前にして何も出ないなどあってはならない、ということらしい。

 気まずい中で出される美味そうな菓子類など、何の拷問か。

 迷いに迷って店の外へ目を向ける。

 そこから見える範囲にあの情景はなく、耳に届くのも窓や壁、地面を打つ雨音のみ。

 今の泉の居場所としては申し分ない店の静けさに、ふらりと身を寄せる。

 店番と同じように踏み板へ腰掛けようと、まずは足を下ろすべく重心を前へ――

 けれど叶わず、ぐっと後ろに引かれる身体。

 そのまま倒れることはなく、背中に人肌というには低い体温が伝わった。

「ちょっと動かないでね、泉嬢」

 褐色のクセ毛を揺らす声音は、耳までくすぐってくる。

 現状を把握できず固まってしまった泉の身には、朝焼けを模した色彩の服ではなく、裾に優美な蝶の刺繍が施された、濃紺の服が被せられている。着用した覚えのないそれは、肩に回された黒い腕が押さえ、腹に回されたもう一本が固定し、身体の線を極力出すよう勤めていた。

「んー、丈は良さそうだね。腰位置も変わりないし」

「わ、ワーズさん?」

「ん? ああ、御免、泉嬢。ちょっと肩、押さえててくれる?」

 言われた通り押さえれば両腕は離れたものの、折り曲げた泉の腕と服の袖を合わせる手は未だ後ろから伸びており、泉の緊張は全く解消されない。

「んー……もの凄く癪だけどさ、あの変態みたいに見ただけでサイズって分かんないから」

「さ、サイズ……」

 浮かんだ赤毛の中年は、見ただけで正確且つ詳細なサイズを読み取る、確かに変態染みた特技を持っているが、そう言うワーズの今の所業もかなり危ないと泉は思う。思うだけで、拒む素振りすらない自分も、それ以上に危険だと感じつつ。

 窓の外で赤らめた頬が、それ以上の紅に染まれば、やっとワーズが離れた。

「泉嬢、ちょっとこっち向いて?」

 涼しくなった背中に力が抜け、気を取り直すように服を重ねた格好で振り向く。

 その先で、何故かしゃがんでいる黒コート。

 一往復、泉というより濃紺の服を眺めて後、勢い良く裾がめくられた。

「ひゃっ」

「ん?」

 腰下までスリットの入った服だが、泉が着ているわけではない。

 めくられた裾から出てくるのも、足ではなく同色の布である。

 無論、泉も分かってはいるものの、どうにも落ち着かない。

 対するワーズは不思議そうな顔でしばらく泉を見つめた後、裾を持ち上げたままスリットを眺めて首を捻った。

「うーん……これ、やっぱり下に布でも入れようかな。一応、いつも通りズボン履くの前提だけど、煽られるケダモノなんてザラだし……」

「はあ……」

 裾から手を離し、「よっ」と声を出して立ち上がったワーズ。

 へらり笑いかけられた泉は、つられたような愛想笑いと共に、濃紺の服を返す。

 その過程で、部屋から降りてきた際、同じ服を手にしたワーズの姿を思い出した。

(……本当に手製だったんだ)

 頻度は下がったものの、度々手渡される服。自分の手製と言うワーズだったが、一針縫う姿さえ、これまで見たことはなかった。

 それもこれも、ソファの少年が目覚めるのを待って、居間に長くいるため……。

 不意に湧き起る嫌な予感。

 意識的に逸らしてきた分を取り戻すように、再度顔が火照り出す。

 目覚めた時、芥屋のソファで寝かされていた泉。

 少年への対応からもしやとは想像していたが、泉の時もほとんどの時間――?

「ワーズさん」

 とうとう我慢しきれず、質問しようと顔を上げれば、銃口を己の頭に宛がう姿。

 慣れとは恐ろしいもので、今にも世を儚んでしまいそうな格好へは、別段思うことなく、それよりも珍しい困惑だけの表情に、質問を呑み込んで問う。

「どうかしました?」

「んー……もしかして泉嬢、退屈?」

「え……と……?」

 脈絡のない問いかけに対し戸惑う泉。

 確かに、これといってやることはない。奇人街での散歩は中止、踏み板へ座るついでで店番しようとも、ワーズの言を借りれば雨の日の来客はほとんどないはずだ。

 だからといって、退屈、とは芥屋に来て一度も思った憶えがないことに気づかされる。

 ――泉が元いた場所は、毎日が惰性であり、息が詰まるほど退屈だったというのに。

 自分は奇人街での生活を、いや、ワーズとの生活を楽しんでいる?

 芥屋の店主から提供された居場所は、退屈を感じさせないほど居心地が良かったのだろうか。

 答えはすぐさま、内から生じた。

 いや、違うだろ。

 照れか羞恥か、持った熱は泉の記憶を若干美化させていたようだ。

 疑いを持って冷静さを取り戻せば、退屈云々思える余裕がなかっただけの話、との訴えが身の内からなされた。

 自らを人間と名乗りながら、必ず”一応”と付け加えるワーズの行動は、泉の理解や予測を遥かに超えたところに存在している。対処しようにも、回避すら出来ない状況が常。例えば、ノックなしに自室を開けてきたり、何の声かけもなく、服を合わせる名目でいきなり後ろから抱きしめてくる等、羅列すればきりがない。

 警戒を緩めてはならない。そんな再認識の真っ最中に、すっ……と黒コートが動いたなら、泉の目は自然とその姿を追っていく。

 程なく、店へ降りた手が精肉箱に掛かったところで、同じように触れられたことに行き当たった泉。またしても起こる嫌な予感に、今度は青筋を立てて問う。

「ワーズさん。さっき、服合わせる時どうして……だ、抱き締めるような真似をしたんですか?」

 推測が正しければ赤らむ場面ではないはずだが、それでもさっと赤らんでしまった頬を見もせず、精肉箱を開けたワーズは、中を探りながらのほほんと答えた。

「んー? ボク、目だけでサイズなんか計れないって言ったよね。だから胴回りを調べようと思ってさ。でもまだ大丈夫そうで良かった。もう少し太かったらアウトだったけど」

「…………」

 予感の的中にわなわな震える拳は、ごそごそ漁って後、「あった!」と喜ぶ混沌の瞳には入らない。その顔が精肉箱から上がったのを見て取り、堪った怒りを吐き出そうとした泉は、けれど、ずるり、精肉箱から出てきたモノに言葉を失くした。

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